雪女と真夏の通り雨(7)


「————ああ、子供の幽霊ね。いるよ。あたしが子供の頃は、よく家の中走ってたね。姿は見たことないけど、足音なら何度か聞いたよ」

「え……!?」


 翌日の昼、帰って来た祖母ちゃんが、明らかに寝不足な俺にそう言った。


「なぁに、怖がることたぁないよ。あたしのお父さんが言ってたけど、座敷わらしだって。この家を守ってくれてるみたいなものよ」


 この家は祖母ちゃんの実家だ。

 祖母ちゃんは結婚して北海道を出たけど、祖母ちゃんの両親と一番上の兄夫婦がずっとこの家で暮らして来た。

 兄夫婦は残念ながら子宝には恵まれず、二人が亡くなった後は祖母ちゃんのお姉さんが管理していたが、そのお姉さんが去年の末に亡くなって、祖母ちゃんが相続することに……

 父さんが勤めている会社が、新たに北海道支社を増やすことが決まっていたため、俺たちは家族で引っ越して来た。


 さすがに築五十年近く経つためリフォーム工事をして、当時の面影はすっかりなくなっているが、一階の一番奥にある和室だけは畳を張り替えるだけで済んだらしい。


「なんでも、ご先祖様が妖怪とか悪霊とかから人々を守る祓い屋って仕事をしてたらしいのよ。その時に神様が家の守り神として子供の霊をつけたって聞いたけどね。でもあたしのお父さんの代で見える人が誰もいなくなったから、祓い屋は廃業したんだって、昔聞いたわね」


 本当か嘘か知らないが、祖母ちゃんはそういう不思議な力を持つ家の娘だったそうだ。

 親戚に神職の人がいるのもそれが理由だそうで、今は誰も見える力みたいなものは持っていないそうだが、祖母ちゃんの他の姉妹や親戚の多くが神主や住職の家に嫁いでいる。



「智も小さい頃、ここに一度来た時に自分で言ってたの忘れたのかい? ほら、和室の押し入れの前に立ってた女の子とお友達になったって言ってたじゃないの」

「は……?」


 全く身に覚えのない話だった。


「あたしてっきり、この子はもしかして見える子なんじゃないか——……って、思ったんだけどねぇ。やっぱりああいうのって、子供の頃しか見えないものなのかしらねぇ」

「いや、何の話か全然覚えてないんだけど……一体、いつの話?」

「うーん……あれは確か、兄さんが亡くなった時だから十三年くらい前かしらねぇ?」


 ってことは、俺が2歳とか3歳の時じゃないか。

 そんなの全く記憶にないんだけど……


「でも、確かにここに越して来てからは一度も聞いてないねぇ」


 家具も家電もそのままで、十三年誰も住んでいなかった。

 リフォームする前は外壁も屋根もボロボロで、いつの間にか近所では幽霊屋敷と呼ばれるようになっていたらしい。


「どこかに行っちゃったのかしらねぇ? 管理してた姉さんも死んじゃったし……」


 祖母ちゃんは亡くなったお姉さんのことを思い出したのか、少し悲しそうな表情で呟いた。

 ついさっきまで、昔からの友達と北海道旅行の話を楽しそうにしていたのに。

 何だか悪いことをしてしまったような気分になる。


「————ああ、そうだ、智。そういえば、今日お友達が泊まりに来るんじゃなかった? お土産たくさん買ったからね、みんなでお食べ」


 祖母ちゃんは大きな紙袋から緑色の箱を出した。

 金色の文字で『とうまん』と書かれている。


「……なにこれ?」

「なにって、とうまんよ。美味しいのよ、これが。やっぱり、札幌のおみあげといえば、とうまんが一番よ」


 蓋をあけると、丸い小さなカステラのようなものが、ずらっとな綺麗に入っていた。

 どら焼きの生地みたいな色をしていて、『とうまん』と一つ一つに焼印も押してある。


 試しに一つ食べてみると、中には白餡が入っている甘いお菓子だった。


「美味い……!! なにこれ」


 素朴な味だけど、確かに祖母ちゃんのいう通り美味い。


「そうだろ? たくさん買って来たからね。阿寒でお世話になる旅館の方にも一箱持って行きなさい。タダで泊まらせてくれるんだからねぇ」


 紙袋の中にはもう三箱入っていた。

 一箱は冷凍しておくそうだ。


「もし私が死んだら、仏壇にはとうまんをあげておくれよ」

「祖母ちゃん、縁起でもないこと言わないでよ」

「あはは! 冗談だよぉ、まだまだ元気だよ、あたしは」


 そしてこの日の夕方、探偵部が家にやって来た。


「お邪魔しまーす」


 神谷先輩だけは家の用事で明日の朝、阿寒へ行く時に合流予定だ。

 本当は朝からレストラン小鳥とあの例の廃寺の調査の予定が、昨日の一見で頓挫してしまったため、現地集合となったのだ。

 俺は祖母ちゃんから聞いた、この家にいたらしい座敷わらしの話をした。

 みんなでとうまんを食べながら。


「へぇ、それは興味深いな。座敷童か」

「だから、子供の声がしたって話が近所で広まったんですね」


 そもそも本当にいたのか、今となってはわからない。

 ただの迷信のような気もするが、佐々木は真剣な表情で言った。


「でも、リフォームしただけなんだべ? 見たことないってだけで、まだいるかもしれないし……やっぱり、夜になってみないとわかんねーべ」


 まぁ、確かに俺もこの家に越して来てまだ一ヶ月だ。

 父さんと母さんも、特になにもみたり聞いたりはしていない。

 祖母ちゃんなんて、半月いなかった。


「でも今見た感じ、全然幽霊屋敷だったって感じしないですよね。部屋も新築みたいで綺麗だし」

「そうよねぇ、前は何というか……見るからに古そうで、出てもおかしくないって前を通るたびに思ってた。確かエレーナ、小学生の頃に見たことあるって言ってなかった?」

「ああ、そうなのよ。五年生の時だったわ」


 エレーナは自分の体験を語り出した。



 ◆ ◆ ◆



 ————五年生の時だったわ。

 通ってた書道教室が、この家の近所でね……

 いつもお姉ちゃんと二人で通ってたんだけど、その日はお姉ちゃんが風邪をひいてしまって、私は一人で書道教室に行ったの。

 その帰りに、急に雨が降り出して……


 まだ夕方だったのに空は真っ暗だし、雷も鳴って、ひょうも降って来て……

 危ないからこの家の軒下で少し雨宿りさせてもらったのよ。

 とにかく、屋根のあるところに行かなきゃって……


 それからしばらくして、そこが幽霊屋敷だって噂されている家だって気づいたの。

 ちょうど私が立っていた場所の真後ろに窓があった。

 そこからね、誰かがこちらをのぞいているような、そんな妙な視線を感じたの。


 すごく怖かった。

 でも、気になって私は後ろを見たわ。

 そしたら、内側障子が破けているところがあって、そこに目があったのよ。

 じっと私を見てる、誰かの目がそこにあったの。



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