雪女と真夏の通り雨(6)


 俺も昔、この女と同じ目をした女に誘拐されたことがある。

 公園の砂場で遊んでいると向かいの家の窓から、いつもこちらを見て手を振っている女の人がいた。

 あの人は誰なのか、祖母ちゃんに聞いたら病気で外に出られないらしいと言われた。

 でもある日、公園でかくれんぼをしていた時、隠れていた俺の前に現れて、笑った。


「隠れるなら、こっちへいらっしゃい。ここなら誰にも見つからないわ」


 そう言って、あの人は俺を自分の家に隠した。

 見つかるわけがない。

 レースのカーテンの隙間から、公園の様子はよく見えた。

 鬼が自分を探してる。

 いつもあの人が手を振っていた場所に、今自分が立っているのは不思議な感覚がした。


 絶対に見つけられないだろうと、その愉悦感に浸り、出されたジュースとケーキを口にした後、俺は意識を失い、気が付いた時には、知らない部屋にいた。

 壁の棚にミニカーがたくさん並んでいる、子供部屋だった。


「もう大丈夫。ママがいるから、大丈夫よ、シュンちゃん」


 あの人は、俺の頭を撫でながら、しきりに言っていた。

「俺はシュンちゃんじゃないよ」と、答えると、あの女と同じような目で笑った。


「何言ってるの? シュンちゃんは、シュンちゃんでしょう? わたしの大事な大事なシュンちゃん」


 その日の深夜、警察が来て俺は無事に保護されたけれど、聞けばあの人の息子が当時の俺と同じくらいの年齢の時、交通事故で亡くなったそうだ。

 あの人も同じ車に乗っていて、大怪我をしたそうだが、助かったのはあの人一人だけ。

 それ以来、あの人の心は壊れてしまったそうだ。

 公園にいた俺が、その亡くなった息子だと思い込んでいた。



 *



 俺たちはすぐに警察に通報した。

 女から小鳥ちゃんを引き離し、佐々木はあの刑事の父親から教え込まれたという柔道の技で女を取り押さえる。

 最初、女は抵抗していたけれど、抵抗しても敵わないと思ったのか、今はとても寂しそうな、悲しそうな、なんとも言えない目でじっと小鳥ちゃんを見つめていた。


「もうすぐ本物の警察が来るからね。小鳥ちゃん」


 最初は近くにいた向井が小鳥ちゃんを抱っこしようとしていたのだけど、小鳥ちゃんは首を大きく横に振って拒否し、なぜか俺の方を指差した。


「こっちのお兄さんがいい。お兄さん、抱っこして」

「え、う、うん」


 ご指名をいただいたので、言われた通り抱き上げる。

 小鳥ちゃんの手には擦りむいたような傷があった。

 もう固まっているけど、プリキュアのお面についていた血は、きっとこれだろう。


「お兄さんすっごいコトちゃんが好きな顔だわ。ねぇ、お兄さんは良光のお友達なの?」

「そうだよ。みんなで探してたんだ」

「ふーん」

「なんだよ、こんなに小さいのに顔か!? 顔なのか!?」


 両手を広げていた向井は残念そうにそう言っていたが、女から引き離した佐々木の方は、もっと恨めしそうに俺の方を見る。


「まったく、これだから女は恐ろしいぜ……」


 そうだろう。

 どんなに小さかろうと、女は女だ。

 自慢じゃないが、運動神経さえ良ければ俺は無敵なんだ。

 自分の顔が女に好かれる顔である自覚はある。

 しかし、今まで彼女の一人もできたことがないのは、運動神経がなさすぎるからだ。

 顔はいいけど、走り方が残念だの、なんかキモいだの言われて来た。


 女子から告白はされたことはある。

 でも、俺が返事をする前に、告白して来たくせになぜかフラれるんだ。

 おかしいと思って理由を聞いたら、走り方がキモかったとか、バレーで顔面レシーブしているのを見て引いたとか、そんな理由だった。


「————小鳥!!」

「ママ!!」


 すぐに警察が到着し、涼子さんの姿を見ると小鳥ちゃんは俺の腕から降りて、嬉しそうに駆け出した。

 前野も一緒に来ていたようで、パトカーの後部座席から降りて、気まずそうに、でもホッとした表情で二人を見つめている。


「前野、俺たちが発見したんだ。誘拐事件だぞ? まさかグリルチキンとお好み焼きだけとは、言わないよな?」

「ああ、わかっているよ。ありがとう。おじさんの店で好きなもんなんでも奢ってやるよ」


 前野は佐々木にそう約束する。


「飲食店って言ってたな。何屋なんだ? もう俺たち腹ペコで死にそうなんだけど」


 向井が尋ねると、前野はきょとんとした顔になる。


「え、俺言ってなかったか? K大前にある、だよ」

「レストラン小鳥!? え、でもあそこ閉店するんだろう?」


 探偵部の夏合宿として、本来なら明日、メンバーみんなで回る予定だったのが、レストラン小鳥だ。

 この廃寺もそうだが、どちらも幽霊やら妖怪やらが出ると噂があり、その真相を調査することになっていた。

 それが偶然にも小鳥ちゃんの両親が経営しているとは……


「ああ、でも、不味いからとか、噂みたいに幽霊が出るからとかじゃないぞ? 単純に、建物が老朽化しているから建て替え工事をするんだ」

「え? 幽霊出ないのか!? なんだよ、それじゃぁ調査しに行く意味ねーじゃん!!」


 佐々木は残念そうに大きくため息をついた。


「それじゃぁ、あとはこの廃寺と小泉の家だけか? 市内は」

「……ん? ちょっと、もしかして君たち、ここに肝試しに来る予定だった?」


 佐々木の声が大きかったせいか、若葉さんが俺たちの話に割って入る。


「え、そうですけど?」

「そうですけどじゃないわよ。まったく、いくら廃寺でも、ここは人の土地なのよ? 勝手に入るなんてダメに決まってるでしょう? 不法侵入で逮捕されたいの?」

「え、で、でも、ほら、中見てくださいよ! ポテチの袋とか、空き缶とか捨ててあるじゃないすか!! 花瓶とかもあったし、お供え物でしょ?」

「幽霊なんて出るわけないでしょ? あれはね、M高の子達がこの辺でたむろしてただけなのよ。それに、その前はホームレスの老人が勝手に寝泊まりしてたの。寺の前の地蔵にね、当時はまだお供え物を持って来る人が何人かいたから……そのお供え物のお餅を喉に詰まらせて病院に運ばれたけど、まだご存命のはずよ」


 その時のうめき声を聞いた誰かが、この廃寺に幽霊が出ると噂を流したらしい。


「えええ!!? じゃぁ、小泉の家と旅館だけかぁ……」


 佐々木はさらにがっかりしていた。

 いや、俺の家も特に何も出てこないと思うんだけどなぁ……


「————小泉くんの家なら、出るわよ」

「へ?」


 それまでずっと黙っていた冬野先生が、急に話し始めた。


「学校近くのあの家でしょ? 昔から有名よ。私は見たことないけど、私の母が見たって言っていたわ。夜中に、走り回る子供の影を……」

「ちょ……ちょっと、冬野先生、冗談はやめてくださいよ」

「————失礼ね、私は冗談なんて言わないわよ」

「え、ええ!? さっき言ったじゃないですか!?」



 まさか、幽霊なんていない……!!

 いるわけない……!!


 そう思っていても、風の音や不意に聞こえてた遠くの車のエンジン音、悲鳴のような何かの動物の声、怪しげな鳥のホーホーという鳴き声が気になって、俺はその日、帰ってから一睡もできなかった。



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