雪女と夏の凍死体(5)


「つまり、入り口のドアは一つしかないと……」

「そう、窓はあるけど、人が通れるような場所じゃない」


 島本の書いた見取り図によると、太鼓部の部室は北側に入り口があり、東と西側に窓はあるが、入り口のドアよりも高い位置にある。

 そこから出入りするなら、何か踏み台がないと難しい。


 そして、山本は入り口の前でうつぶせに倒れていた。


「踏み台にできそうなものは、太鼓ぐらいしかないんだよね。部室の一番奥に大太鼓の上に乗れれば楽勝かもしれないけど、いくら山本先生が鍛えているとはいえ、一人で大太鼓を動かすのは難しいと思う」


 大太鼓は150kgを超える重さがあるそうだ。

 それを窓の位置まで持ってくるのは無理だろうし、一人でも持ち運べる大きさの太鼓を積み重ねたとしても、きっと簡単にバランスを崩してしまうだろう。


「エアコンはどこについてるんだ?」

「エアコン? ……あぁ、クーラーは、ここ」


 島本は入り口とは対角線上の位置に丸をつけた。


「クーラーの風が当たりすぎると、太鼓に悪いんだ。乾燥で面が割れやすくなるから……だからエアコンも高い位置に設置されてるんだよ。山本先生はほら、横谷先生と仲がいいだろ? 元同じホッケー部の先輩後輩でさ。だから、よく太鼓部に涼みにきてたし……昨日も涼みに入ったんじゃないかな?」


 島本は、山本先生がエアコンをつけたまま、うっかり眠ってしまったんじゃないかと思っているようだ。

 確かに、佐々木の情報によると、山本先生の死亡推定時刻は夜中だろうと言われている。

 眠ってしまってもおかしくはない。


「でも、ちょっと涼むために入っただけなのに、内側から鍵を閉めるかしら?」


 机にもたれかかりながら、黙って俺と島本の会話を聞いていた冬野先生は、ここでやっと口を挟んだ。


「それに部室の内部が荒らされていた理由は?」

「荒らされていた……?」

「面が破れている太鼓がいくつか転がっていたわ。犯人と争ったんじゃないかと警察は見てるわよ。誰かもう一人いたんじゃないかって……」

「そうなんですか? 僕は入り口の前に倒れている山本先生しか見てなくて————」


 島本は山本先生が死んでいるのを確認して、怖くなってすぐに部室を出て、人を呼びに職員室へ行ったらしい。

 そのため、山本先生の死体があった場所より奥には入っておらず、中の様子もあまり見ていなかった。


「それじゃぁ、人を呼びに職員室に行っている間なら、出入りできたんじゃない?」

「え……?」

「あなたの足じゃ、走っても職員室まで行くのには15分くらいかしら?」

「……そうですね」


 島本は自分の左足の方を見て、少し複雑そうな顔で頷いた。


「奥まで入っていないなら、中に犯人がいた可能性もあるわ。あなたが目を離した15分の間は、確実に密室じゃなくなっているんだから」


 冬野先生は、淡々とさらに続けて言った。


「遺体のズボンのポケットには鍵の束が入っていた。それを戻すくらいの時間だってある。部室の鍵は、横谷先生が持っているものと、遺体のポケットに入っていたスペアの二つしかない。鍵が横谷先生のデスクの中にある事も、太鼓部の人間ならみんな知っているでしょう? たとえ犯人が鍵を持っていなくても、あなたが職員室に人を呼びに行っている間に外に出たか、逆に入ったかもしれないわ。実際、私が遺体を確認する時間も充分あったし」


 冬野先生が任意の事情聴取を受けたのは、警察と救急隊が到着した時、現場で山本先生の遺体と現場の状況を確認していたからで、雪女と呼ばれていたせいではなかった。

 怪しい女がいると、駆けつけた警察官が言ったのが原因だそうだ。


「警察でもないのに、勝手に現場を動き回っちゃダメじゃないですか……」

「部室の奥から事件の匂いがしたのよ。室内は寒いのに、花火の後のような、焦げた匂いがね」


 俺は冬野先生が保健室でミステリーを読んでいたことを思い出し、きっとこの人はクールに決めているけど、ミステリー好きが高じているのだろう。

 口調は淡々としていたが、言葉数がやけに多くなっていた。



 *



 先に探偵部に行っているように言った佐々木は、俺が冬野先生と島本の三人で話している途中でやっと現れた。

 しかも、これから現場を見に行こうと言った。

 冬野先生がいるのは予想外だったようだが、大人がいるなら利用できると、佐々木はニヤリと笑う。

 そして、俺たちはグラウンドの端にある太鼓部の前まで来た。


「現場を見せろって……そんな、いくら佐々木刑事の息子さんでも……」

「いいじゃんか。もう現場検証もとっくに済んでるんだべ?」


 太鼓部の部室の前には、警官が一人立って入るのを渋っている。

 佐々木のお父さんは本当に刑事だったんだなぁ……


「それに、忘れ物を取りに来ただけだし。それも、ケータイ! 俺たち高校生にとって、ケータイがないのがどれだけ大事かわかってる?」


 島本がケータイを部室に忘れたのは事実のようで、それを口実に無理やり中に入る。

 一応、先生も一緒ということで、許可された。


「部室に忘れたのって、ケータイだったんだな」

「うん、言わなかったっけ?」

「それじゃぁ不便だっただろう、この数日……」

「まぁね。ネットはノートPCがあったからいいけど、多分ケータイの方のメールは溜まってると思う」


 島本は左足を引きずりながら窓の前まで行くと、手を伸ばした。


「なんでそんなところに置いてるんだよ」

「練習中一番邪魔にならないのが、ここなんだ」


 島本のケータイは窓枠の上にあった。

 高身長の島本からしたら見えているようだが、さすがに少し離れた位置からジャンプでもしないと俺には見えなかった。


「結構ここに物置いてるやつは多いよ。太鼓部は部員が多いから、棚は鞄で埋まっちゃうし、床に直置きするのは危険だし……」


 女子はポケットに入れているらしいが、男子の大半がここに置いているそうだ。

 太鼓を叩いている最中に太ももに当たる感覚が気持ち悪いいずいとかで……


「それにしても……ひどいわやだな……太鼓破れてるじゃん。高いべ? こういうのって」


 佐々木は床に転がっている太鼓の面が破れているのを見つめていた。

 部室の一番奥に並んでいる大太鼓は破れていなかったが、中くらいの太鼓は無残にも中心から破れている。

 叩いて破れたにしては、大きく裂けていた。


「これは……ひどい……」


 刃物で切り裂いたという感じではないが、何か強い力が加わって破けたんじゃないだろうか……

 中には内側から破けたようなものもある。


「それにしても、やっぱりクーラーつけてないとクソ暑いな……」


 中に入って、まだ数分しか立っていないが、室内は噂通りの暑さだった。

 じんわりと汗が出てくる。


「つければいいじゃない」


 冬野先生は、壁にあったリモコンのボタンを押して、エアコンを起動させた。

 設定温度は23度になっているが、もっと早く冷やそうとさらに温度を下げ、最低温度の16度まで下げてしまった。

 エアコンのおかげで、一気に室内の温度が下がる。


「ふぅ……生き返るぅ。やっぱ、必要だなぁ。いくら北海道————それも、この辺りの気温は低いとはいえ、地球温暖化で暑い日が多くなってるんだから」


 佐々木は涼しくなってそう言っていたが、俺はだんだん寒くなって来た。


「ちょっと、流石に寒すぎるだろう……」

「これくらい普通だべ。最近はクールビズの取り組みでクーラーの設定温度は28度とか言ってるけど、ここじゃ28度って外気温より高いんだ。 本州内地や札幌とか、内陸部の暑いところの人はそれでいいかもしれないけど……ここでの30度は、内地の人の40度だから。体感」

「そう、なのか?」


 同じ道内でも、場所によって違いはあるそうだが、この地域の人はみんなそうらしい。

 まだ北海道に来てそんなに経っていない俺からしたら、この温度設定はありえないくらい寒かった。


「でも、さすがに体に悪いから、もう少しあげた方が……だいぶ温度下がったしね」

「そうだな」

「先生、温度あげてください」


 島本と佐々木にそう言われて、冬野先生はもう一度リモコンに触る。

 でも……


「あら……?」


 設定温度が、16度から動かない。

 あげるボタンを何度押しても、反応しなかった。



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