第一章 雪女と夏の凍死体

雪女と夏の凍死体(1)


「よっ! 転校生! 前はどこに住んでたって?」

「愛知県だよ」

「あー……名古屋か!」


 違う。

 俺が住んでいたのは愛知県であって、名古屋ではない。

 なんで愛知県だというと、決まって名古屋だと言われるのか……

 まぁ、県外の人間からしたら気にならないのかもしれないけど……


 俺も逆に北海道から転校して来た転校生に、「札幌か?」って聞いてしまったことがある。

 彼もきっと、こういう気分だったんだろう。

 彼は確か音更おとふけとかいう町の出身だった。


「違うよ、岡崎市ってところ。徳川家康の生まれた城があるところ」

「へー!! 知らねーわ」

「だろうな」


 俺も北海道の地名なんて、札幌と函館くらいしか知らなかった。

 歴史の教科書に五稜郭ごりょうかくが載っていたし、新撰組を題材にしたアニメにどハマりしていた時は、いつか北海道に行ったら行ってみたいと思っていた。

 それがいざ親の都合で北海道に移住してみれば、札幌でも函館でもない場所だった。

 それも、札幌に行くには車で約五時間、函館だと八時間くらいかかるような僻地。

 そして、なんと地下鉄は札幌しか走っていないらしい。

 学生の移動は基本、チャリだ。

 見たことのないオレンジのコンビニは近所にあるが、ファミマがない。

 こんなことなら、引越し前にファミチキを食べておくんだった。


 7月といえば、岡崎ではもう連日30度以上を観測し始める真夏だというのに、ここは30度を超える方が珍しいほど涼しい土地なのだとか。

 今朝の最低気温は14度。

 これでも高い方だというから、驚きでしかない。

 俺からしたら、秋の寒さだ。


 教室にエアコン等の冷房の類は一つもなくて、その代わり冬に大活躍するストーブが設置されていた。

 暑い日はどうするのかと聞けば、団扇と扇風機で十分なのだとか……

 それでも、地球温暖化の影響で年々少しずつ気温は上がっていて、例年より30度を超える日数は増えているらしい。


 あのジメジメとしたうだるような暑さからは回避できていいが、冬は体験したことのない寒さが待っているのだと思うと、今から少しだけ恐怖を感じていた。

 俺は寒いのが苦手だし、冷たいものは怖いと思っている。


「で、えーと、名前なんだっけ?」

「おい、どこから来たかより、そっちを先に聞けよ」

「いやぁ、オレ人の名前覚えるの苦手なんだよ! 悪いな!」

「悪いなって……」


 まずはお前が名乗れよ……と、思ったが、制服の白シャツの胸ポケットには佐々木と、至極読みやすい名札がついていた。

 この鼻が矢印のような男は、佐々木らしい。


 俺の名札は今準備中で、まだ担任からもらえていなかったから、仕方がない。


小泉こいずみだ。小泉さとる

「小泉! そうそう、そうだったな! 俺は佐々木京介きょうすけだ。よろしくな!」

「俺は鈴木」

「俺、森」

「僕は清水」


 次々と自己紹介されたが、さすがにいっぺんには覚えられない。

 少しずつ覚えて行こうと思いつつ、とりあえず一人一人と握手をした。

 なぜか全員握手を求められたからだ。

 他意はない。

 ちょっとだけ、政治家になったような気分だった。


 女子の方は、俺に関心はあるようだったけど、男子より少し離れた位置からこちらをチラチラ見ている程度だった。

 声をかけるのは、多分、恥ずかしいからだ。


 顔にはそれなりに自信がある。

 前の学校じゃぁ、成績もトップ。

 バレンタインには女子からチョコをたくさんもらったし、告白もされた。

 あまり覚えてはいないが、小学生になる前までにそのあまりの美少年っぷりに三回は誘拐された、もしくはされかけた経験まである。

 ただ一つ、問題があるとすれば……


「おい、お前らさっさと着替えろ! 授業始めるぞ!」

「はーい! すんませーん」


 体育だ。

 俺はとにかく、運動神経が悪い。

 女子たちはあまりに情けない俺の姿を見て、去っていく。

 あまりにダサすぎると……


 あの時、薔薇の花束を持っていたマッチョな山本先生は、見た目通り体育教師だった。


「まずは試合の前に軽くグラウンド一周! ……なんだ、転校生、その走り方は!」

「す、すみません」


 足は遅いし、何より体力がない。

 走り方なんて知らん。


「よし、それじゃぁサッカー始めるぞ」


 サッカーなんて、止まっているボールですら空振りするくらいだ。

 そして……


「危ない!!」


 佐々木が蹴り上げたボールが、俺の顔面に直撃した。


「おい! 大丈夫か!? 小泉!!」

「だ……いじょう……ぶ」


 じゃぁない。

 痛い。

 そして何だこれ……


「鼻血が出てるじゃないか! 佐々木、責任持って保健室連れてけ!」

「わかりました!」

「あ、いや待て!」

「えっ?」

「俺が連れて行こう。佐々木、お前は審判だ」


 山本先生は何故かニヤニヤと笑っていた。

 怖い……

 生徒が負傷したのに、一体何が面白いんだ……?


 *



「そう、サッカーボールが」

「そうなんです。それで、この有様でしてね、冬野先生」

「…………」


 山本先生が自ら保健室についてきたのは、単純な理由だった。

 あのプロポーズをあっさり断っていた白衣の先生は、理科の教師じゃなく、保健室の先生だった。

 山本先生は俺をダシにして、この冬野先生に会いにきたのだ。


 下心が丸見えすぎて、気持ち悪い。

 こんなやつ、振られて当然だ。


「わかりました。後はこちらで対応しますから、山本先生は授業に戻ってください」

「え、でも……」

「何度も言わせないでください。邪魔なんです。わかりませんか?」

「……わかりました」


 山本先生は肩を落として、とぼとぼと保健室を出て行った。

 きっといつもこんな感じで、冷たくあしらわれているのだろう……


「ふがっ……!」


 冬野先生は、俺の鼻に丸めたガーゼを押し込んだ。


「まったく……気をつけなさい。せっかくの綺麗な顔が台無しじゃない」

「ふみまへん……」


 鼻血だけじゃなくて、擦り傷もついていたようで、冬野先生は一つ一つ丁寧に消毒して、絆創膏を貼ってくれた。

 綺麗な顔と言われたが、間近で見た冬野先生の顔の方がよっぽど綺麗だ。

 透き通るような白い肌に、大きなアーモンド型の目、まつ毛が長くて、鼻も口も、漫画やアニメの世界から飛び出してきたんじゃないかと思うくらいの美人だ。


 手も指も綺麗。

 所作も美しい。

 非の打ち所がない。


 ただ、少しだけ……


「先生の指、冷たいですね」

「……末端冷え性なの。はい、これでよし。鼻血が止まるまで、そこに座って少し休んで行きなさい」


 手当が終わると、冬野先生はソファーを指差して俺から離れる。

 扇風機の風がよく当たる椅子の座面に開いて伏せてあった水色のブックカバーがついた文庫本を手に取り、続きを読み始める。


 俺はとりあえず言われた通りソファに座り、血が止まるのを待った。

 しかし、ケータイも何もなく手持ち無沙汰になっていた俺は退屈で、壁に貼ってあったポスターやプリントを読むくらいしかやることがなかった。


 その中に、養護教諭・冬野雪子と書かれているものがあった。

 クールな上、名前も雪子ゆきこ

 そりゃぁ、雪女と呼ばれていてもおかしくはない。



「先生、何を読んでいるんですか?」

「……人間が死ぬ、ミステリー」


 冬野雪子先生は、その後、別の生徒が保健室に来るまで、一言も話さなかった。



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