最終問題
宗吉が呼吸を荒げつつそう頼むと、鼠は一転。
「おっ、諦めないのか。いいぞ! そうこなくっちゃな! 適当に持ってきてやるからまだ死ぬなよ!」
と楽しげな様子で厨房内へと駆け出していく。多少の、否、全く時間稼ぎにすらならないかもしれない。だが、それでもいい。宗吉の中で、ずっと考え続け、考え抜いた末に正体へとたどり着いた。だが、それは宗吉の中でパンドラの箱を開けるに等しい。しかし――――香菜がああなった手前、もう宗吉にも迷いは無くなっていた。
「ほらよ」
やけに丁寧な手つきで、鼠は何枚も持ってきたタオルを止血代わりに宗吉の右肩へと巻き付けていく。その手順の慣れ、がっちりとした固定の仕方にやはり、と宗吉は確信する。この男の正体、そして仄かに……なぜ、自分をこうも邪悪な手段で追い詰め、陥れているのかを。
「……すまない」
「あんたには最後のメインディッシュがあるからさ。俺もついカッとなって殺しかけたけど生きててもらわなきゃ困るんだわ」
また訳の分からない事を……と内心嫌悪感を最大限高ぶらせつつ、宗吉は鼠のクイズ、最後のヒントが待ち構えているであろうそれに乗る方を取った。そうしてどこかで、反撃に転じなければならない。宗吉の中で、確固たる意志が固まっている。
この男だけは、俺の手で殺さなきゃならない、と。
「それじゃあ紫陽花さん。最終問題の前にあんたにご馳走を用意しないとな」
そう言い、鼠はスマートフォンを取り出すとどこかへと電話し始める。いいから来い、早く来いと電話口の相手に伝えると、一息ついて近くの椅子に座り、やがて、被っているフードを捲り上げた。宗吉はここに来てようやく本来の顔を見せた鼠を見、驚嘆する。
自らで切ったのか、肩まで雑に切られた短髪に毛先が染めているのか黄色く変色している。かつ顔立ちは大吾と同じくらいに若く……むしろ、背丈や体形に対して幼ささえある。宗吉よりもずっと、若い男性の顔つき。しかし最も目を引くのは、目元に刻まれている傷痕だ。縦に一本線の、深い傷跡。それに気づいたのか、宗吉に笑いかけてくる。
「思ったよりガキだな、って思ってんだろ。そうだよ。あんたと……おっと」
その時、ベルが鳴って誰かが店内へと入ってきた。足音がやけに多く――――。
「そ、宗吉さん……!」
「大吾君……?」
体格が良く、かつ入れ墨や服装などやけにガラの悪い男二人組に無理やり歩かされる様に店内に入ってきたのは、店から帰ったはずの大吾と、その彼女であるほのかであった。だが、その様子は普通の状態ではない。大吾は頬に大きな痣や口元が切れているのか血痕がついており、目が腫れている、ほのかもぶたれたのか頬が腫れており、かつずっと泣きじゃくっている上に服装の端々が切られている。
椅子から立ち上がると、鼠はその二人に顔を向けた。その表情には宗吉を弄んでいた時の狂喜さや愉悦さが無く、虚無的な冷たさが広がる。と、大吾とほのかを見、あれ? と声に出して男たちに聞く。
「あのさ、百万渡したから大吾君と彼女さんには一切手を出さないで、無傷でここまで連れて来いって、俺君らに確かに伝えたよね?」
その質問に、入れ墨の方はニヤ付きながら。
「あ~~ごめんね、このガキ抵抗するからさ、正当防衛でやっちゃった。それに人二人拉致んのに百はさぁ」
「すくねえよ、なぁ」
「そっか」
そっけなくそう答え、鼠は即座に拳銃を抜き出すと有無も言わせず瞬時に男達の頭部を撃ち抜いた。返り血に触れたほのかが絶叫してうずくまる。大吾が何も出来ず、固まった顔でその場に立ち尽くしている。鼠は顔だけを宗吉に向けて、声を荒げて、言う。
「宗吉さんさ! この二人にあんたの正体全部ぶちまけなよ!」
宗吉の額から一筋の汗が垂れ、顎へと伝う。ずっとうずくまり震えているほのかに、何が何だか分からない、という感情が顔から滲んでいる大吾が宗吉を見、耐え切れずに大声で。
「宗吉さん! これ……これ何なんだよ! 俺達急に……急に車で連れてかれて、ほのかはひどい事、されて……! 訳わかんねえよ! 宗吉さん!」
「俺は……」
宗吉は観念した様に、座っている状態からゆっくりと、肩を抑えながらその場から立ち上がる。その様子を邪魔する事無く鼠は無言で見守る。目を見開き助けを求めている大吾に、宗吉は重々しく口を開いた。
「俺は……田中宗吉、じゃない」
「えっ……?」
宗吉は語る。まるで、自分で自分自身を罰する様に、ゆっくりと。
「ごめんな、大吾。俺は……本当は死んだ人間の名前を騙ってる人殺しだ。名前も、戸籍も、子供の時から存在しない」
鼠は黙している。大吾は宗吉の話の意味が分からず、ただ視線を下に向けてうろたえている。宗吉は構わず話し続ける。
「……悪い政治家がいてな。俺みたいな子供を保護する振りをして、繋がってるヤクザや宗教団体にとって使い勝手のいい殺人鬼を育てるんだ。殺し屋、なんてもんじゃない。犬も猫も人間も関係なく切り刻める、頭がぶっ壊れた殺人鬼に」
――――宗吉はそう語りながら、鼠が気づかない様に、巻かれているタオルの僅かな繋ぎ目を手で解いている。すぐに肩から取り外せる様に。
「ずっと……人を殺し続けてきた。けど、ある日急に思った。俺、人間になりたい。人間らしい、生き方がしてみたいって」
「その挙句に沢山殺したんだろ。追手を数えきれないくらいさ」
鼠がせせら笑う。その挑発に宗吉は決して反応せずに、落ち着いた口調を保ったまま語り続ける。
「お前の言う通り、ここまで逃げるまでにも殺してきた。……やっと、別人に。紫陽花、なんて名前じゃない人生、手に入ったと安心しきってた」
「本当に安心しきってたよな、あんた。驚いちまったよ。すっかり腑抜けたのかなって。でも」
鼠はそこで顔、から体ごと宗吉へと向き直る。そして乱暴に自分と宗吉の間を阻むテーブルや椅子を薙ぎ倒し、短い一本道を作る。拳銃を真っ直ぐに、宗吉の額へと標準を合わせて、今までになくはっきりとした声で、問う。
「その目、思い出したみたいだな。最終問題だ。答えられなきゃあんたも、そこの二人も殺してこの店に火を点ける。聞き逃すなよ」
宗吉はグッとタオルの解け目を左手で握る。握りながら、じっと鼠の顔を見据える。その目つきにはもう迷いや戸惑いによる弱さはない。完全に過去の、いわば”紫陽花”と呼ばれていた時の――――男の目となっている。
「最終問題、俺とあんたは似た者同――――」
踏み込む。瞬時、前傾姿勢で宗吉は、脇目も振らずにその懐へと全力疾走して踏み込んでいく。同時に右肩からタオルを一枚、振り解く。そうして鼠の視界を遮る様に上半身を捻りながら間合いへと入り込む。
鼠はすぐさまタオルを手で振り払う。が、宗吉はそこにはいない。背中側、死角へと入り込むと、その手の拳銃を奪おうと左腕を伸ばす。だが力の差は圧倒的であり、すぐに回り込まれて頭を掴まれて床へと叩きつけられる。だが、宗吉は頭部からダラダラとおびただしく流血しているにも関わらず動じずに、その血をべったりと左手へと擦り付けた。
「見苦しいんだよ、死ね!」
一寸。ほんの五秒程度の間、でも宗吉にとっては十分だった。自分を見下ろしている鼠のがら空きである脚部――――しゃがみながら重心を低くして靴底で力一杯、右足で脛を蹴り付ける。ツっ! と予想だにしない反撃に鼠は顔をしかめ前かがみになった、のを見計らい宗吉は血塗られた左手をその目に向かって勢い良く叩きつけた。
「がっ、てめぇ!」
血によって一瞬視界が真っ赤になり、鼠は歯軋りしながら引き金を引こうとする。その隙を突き、宗吉は反射的に手首に向かって掌底を突き上げた。パン、と放たれた銃弾が頭上の蛍光灯へと直撃して、店内が真っ暗闇になる。
「大吾! ほのかを連れて店から出ろ!」
暗闇の中、そう宗吉の声が響く。大吾は恐怖のあまりに震えていたが、宗吉の声にハッとしたのか、傍らにいるほのかの両肩を掴むとその場から逃げ出そうとする。しかし、ほのかは怯え切ってしまい立ち上がれない。
「宗吉さん、ダメだ、ほのかが……」
「悪いな大吾君。やっぱり君殺した方が盛り上がるわ」
左目を閉じつつ、右目が闇に慣れたためか鼠は大吾の頭にピッタリと銃口をくっつける。
「俺から目を逸らすな」
鼠が宗吉の声に反応する、間もなく手首に妙な違和感を覚え、自らの手首を見つめる。真っ直ぐに、肉どころか骨さえ貫通してボールペンが突き刺さっている。人間技ではないその反撃に、鼠は面白れぇ、と呟きながら拳銃を手放し、腰元のカランビットナイフを取り出して指先でくるりと回す。
「やっぱりあんたと会えてよかったよ、紫陽花さんよぉ!」
目が慣れた暗闇の中、ボクサーの如くステップを踏みながら鼠は姿を見せない宗吉を待ち構える。その表情はクイズを出していた時よりも、一方的に宗吉を甚振り続けていた時よりも明るく、まるで新しい玩具を与えて貰った子供の様だ。
「俺ァ常時クスリで飛んでっからさぁ。半端な痛みじゃ殺せねえぞ!」
「そうか」
衝突する。カランビットの刃の曲面に、宗吉の振りかざした包丁の刃がぶつかり合い、ギチギチと音を立てあう。と、鼠の力が若干勝り、鍔迫り合いの果てに思いっきり包丁が宙へと吹き飛ばされた。が、宗吉は淀みなく、腰に挿したフォークを取り出し、喉元へと突き刺して捻りながら引き抜く。
鼠の喉元から噴水の様に鮮血が噴き出て、息苦しさから吐血する。だがそれでも勢いは止まらず、鼠は口元に笑みを浮かべたまま宗吉の胴元へとミドルキックを放つ。その重い威力に、宗吉は思わずよろけ、その場に転がる。
「貰った!」
仰向けになる宗吉に馬乗りになり、鼠はカランビットを振り下ろそうとした、がそれよりも素早く、宗吉は同じく腰に仕込んだ二つの小柄なディナーナイフを取り出し―――――躊躇なく、鼠の両耳へと突き刺した。鼓膜を、その奥までもぶち抜く。確かな手応えを感じながら、トドメを刺す様に力一杯、引き抜いた。
「へぇ……。やる、じゃん……」
鼠はそう、嬉しそうに呟きながら首を傾げる、どろり、と赤黒い液体を両耳からこぼしながら力尽きた様に、ごろりと宗吉の横へと転がった。
それでも宗吉は止まらず、今度は逆に馬乗りになる。そうして、首を両手で締める。鼠は殆ど瀕死に近い状態な筈だが、それでも笑みを浮かべ、目から血を流しながら宗吉に話しかける。
「……あぁ。俺、超幸せだよ」
「……何がだ」
「あんたが……すっげえ、らしくなっててさ」
グッと、喉の気道を締め付ける。殺す。殺す殺す、この男だけは……だが、宗吉の脳裏に浮かぶのは、自分が”田中宗吉”である頃の記憶。大吾を始め、スタッフと談笑し、明日のメニューやディナーについて話し合ったり、まかないに採点を点けたりする、そんな光景。あるいは、香菜の家族や、自分の料理に舌鼓を打ち喜んでくれる、そんな人々の事が頭をよぎり、力が入らない。
「……おい、締め……ろよ」
鼠が力を緩めている宗吉にそう力なくつぶやく。だが、宗吉は手を解く。首を絞めなくても、どちらにしろ、もうこの男は。
「……クソが。これだけ仕込んで……殺して、くんねえのかよ」
「……お前は死ぬ。勝手に死ぬ」
「だろう……な」
宗吉も体の力が、強張っていた筋肉が緊張状態から解き放たれたせいか、ぐらりと鼠の隣に仰向けで倒れた。実の所、宗吉自身もずっと右肩からの出血が再び起きており、あれだけ動けているのが不思議な状態ではある。
「この日の……前、あんたの飯……食いに来てたんだよ、俺」
宗吉は視線だけを横に向ける。
「案外……美味かった。スープだけは……温かったがな」
「……お前は、香菜を殺した」
宗吉がそう言うと、鼠は何故か笑い声を発する。
「ガキは殺さねえ……夢見がわりいから。チンピラ雇って……悪かったな」
「何……?」
「言っただろ……俺は、あんた、だけを」
目を見開き、口角を上げたままクスリが切れたのか、それとも事切れたかは分からないが、笑顔を浮かべたまま鼠は動かなくなった。店の外からけたたましいサイレンの音、店内を照らす赤いパトランプ。宗吉は立ち上がろうとしたが、精魂尽き果てたのか、そのまま気を失った。
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