そんなこと

小狸

短編

 そんなことをして、何の意味があるの。


 例えば、青春学園ものであっても、モラトリアムミステリものであっても、時折話題に困ったときに投げ出される疑問文が――まさにこれである。


 恐らくこの「そんなこと」の部分には、ゲームだとか、お絵かきだとか、賭博であるとか、一見して何らかの役に立つ可能性を絞り出せるものから、全く無意味極まりない害毒まで多種多様に代入することができる。


 シチュエーションを想定するのなら、試験勉強の前に己の趣味に没頭する子どもへと声をかける、親からの視点だろうか。


 勉強しなさい。


 何をしているの。


 ちゃんとしなさい。


 その次辺りの、かなり攻撃性の高い言葉として、この一文は使用される。


 かくいう僕も、小学校の頃はよく言われたものだった。皆と同じように外で遊びたかったし、ゲームもしたかった、遊戯王ゆうぎおうでデュエルをしたかったのだが――親へと懇願するたび、存外簡単に、このセリフが飛んできた。


 その行動に何の意味があるの。


 そこに出す金銭に何の意味があるの。


 将来意味のあることをしなさい。


 今となっては――とは言ってもまだ僕は大学生だが――、親心も分かろうというものだ。片親家庭になった負い目を感じて、母は僕ら兄妹を大学進学させ、定職に就かせ、不自由ない暮らしをさせたかったのだろう。そういう思いが、厳しさに表れたのだと、今なら読解することができる。


 ただし――今その良心が分かったからと言って、言われた言葉の記憶がなくなるわけではない。


 何の意味があるの。


 その言葉は――さっくりと、僕の心のあたりを切り裂いていた。


 大学生になり、僕は小説家を目指していた。


 これは、親にも妹にも話していない。元より自己の感情制御のために書き始めた文章を、小説に認めようと思ったのが始まりである。どうせ話したところで、それは就活に意味があるのかとか、それで安定した職業に就けるのかとか、世間一般的とされる視点からの物言いに物憂くなるに決まっているからだ。


 勿論――就職活動も同時並行であった。


 サークルは、文芸サークルのようなものに一応は在籍していたが、途中で辞めてしまった。


 誰も彼も他人の才能に嫉妬していて、醜いと思ってしまったからだ。


 そんなこんなで、大学での居場所を見出せぬまま三年生を迎え、講義とインターン、そして小説の新人賞への執筆を行いながら、しかし――僕はふとある時。


 小説を書くことができなくなってしまった。


 理由は、まだ分からない。



 *



「俗に言うスタンプという奴だな」


「それを言うならスランプだ。別に判も念も押さないよ」


「おっと。俺が百年に一度行うボケに容赦なくツッコミとは、なかなかどうして、本当に煮詰まっているらしいな――君も」


「お前の変な口調聞いたからな」


 私立崩壊ほうかい大学八号館の食堂は、四時限目の授業が始まったからかがら空きであった。


 この時間が空いていることを見越して、僕と――もう一人、僕の唯一の友人であるところの双子澤ふたござわは、うどんを啜っていた。


 僕は釜玉で、彼はきつねである。


 万年金欠大学生には優しい食堂である。


「いやあ、書けなくなったっていうかさ。何かさ、ほら、小説を書くって、世間一般的に見て、邪道みたいなところ、あるじゃないか。普通は、就活して、就職して――そんでもって定職に就いたり、あるいは転職したりだろう?」


「ふうん? 俺はそうは思わないがな」


 美味しそうにお揚げを口に含む双子澤。


 この男に相談したのは失敗かもしれない。

 ただ、学科――というか大学内を探しても、僕の相談相手はこの男しかいない。

 

 地の文見て分かるだろう。ひねくれ者同士は惹かれ合うのだ。


「確かに君の言うことも一理、いや、二理はあるな」


ことわりが二つもあってたまるか」


「まあ聞きたまえよ。確かに小説家になるという道は細き門だ。新人賞などに応募し、そこで自らの文章を評価される必要がある訳だ。つまりそれが、我々のするような『普通』の就職活動、ということだろう」


 友人は水を飲んだ。喉越しが響く。


「……いや、まあ、そうなんだけどさ」


「だから、人と違うことをしているというだけで、何かの定職に就きたい、何かになりたいという気持ちは、そのままあるということだ。何もしたくない、仕事なんてやりたくない、全員死ねというのだったら、この場で叱責している所だが、そうではないのだろう? なら、書けなくなる理由がないじゃないか」


「…………」


 書けなくなる理由がない。


 スランプ。スポーツなどでも良く用いられる単語である。一時的に調子が出ないことを表し、不調と訳す。


 確かにその通りだった。


 今は親元を離れていて、以前までの過干渉はなくなっている。


 大学生としても二回生だから――そこまで就活で切羽詰まっている訳ではない。


「……確かに、分からないな」


 改めて声に出して見ると、何とも自分が愚かに感じた。心の中に何か引っ掛かりがあり、それを取ってもらおうとこの友人に声をかけたのだが、実際の所、僕は自分の心すら、ちゃんと見えていなかったことになる。


「先程から妙に要領を得ないな、君らしくない」


 と、沈黙の中、双子澤は切り出した。


「そうか」


 まさか、心配してくれているのだろうか。


「ああ。普段の君は、自分が行っている小説という行為に絶対的な自信を持ち、自分にどうしようもなく厳しく、また他人の声などには絶対に折れることなどあり得ず、ただひたすらに小説を書くことを追求する。そんな男だったはずだ」


「いや、流石にそこまでじゃないはずだぞ」


 友人からの予想外の褒め言葉(皮肉交じり)に、若干辟易した。


 いや、流石にこの男の大言壮語も混じっている。

 

 そんな理想の高く、己を研鑽けんさんする人格だったのなら、僕はとっくに小説家としてデビューしている。


 いや、双子澤がそこまで言う程に、僕の様子がいつもと違うのだと、そう解釈しよう。


 以前の自分とは、違う部分。


 それは――。


「……ああ」


 ついぞ、喉から声が漏れ出た。


 そうだ――思い出したのだ。

 

 祖母から言われた、あの言葉を。


「そんなことをして――何のためになるの、と言われたんだ」


「ほう? 御母堂ごぼどうか誰かに言われたか」


 この男、妙に古風である。


 御母堂って。


 昨今の歴史小説でも聞かない響きである。


「いや、祖母だよ。言ったろ。僕の実家って片親で、母方の祖母も一緒に住んでいてさ、以前実家に帰った時、居間で小説を書いていたら、さらっと、そんなことを言われたんだ」


「ふうん、元からそういうことを言う人なのか、刀自とじは」

 

 今度は刀自ときたか。


 相変わらずこいつの語彙力の多さには舌を巻く。まあ本人もその多彩な語彙力を使いこなせていないところが、玉にきずだが。


「戦争も経験してる祖母だからさ、多分、僕のためを思って言ってくれた言葉なんだと思う。実際僕の元親父も、就活に失敗してぐだぐだになった末に離婚したみたいだしな。だけど、どっか心に引っかかって離れないんだよ。『そんなこと――』ってさ。小説家を目指すために頑張ることは、『そんなこと』――その程度のことなのかって思って、今になって思い出して、なんかえちゃってさ」


「萎えた?」


 復唱された。特に意味のない反駁はんばくだろう。


「ああ。うん、実際分かるんだよ。小説家になんてなれるわけないって、どこかで思っている自分もいるんだ。お前の言うように狭き門だし、世にあるいくつもの新人賞に応募しまくったところで、僕の小説が日の目を浴びることはないだろうって。確率的に見てもそうだろ? 小説家になれる確率と、普通に就活して一般企業に就職できる確率がどれほど違うか――周りは安泰を期待している。特にうちの家はそうだ――だから、いつまでも夢を見てちゃいけないんじゃないかなって、思ってしまった訳だよ。そこからはスランプ――お前風に言うなら、スタンプだ」


「ふうん、そうか」


 僕の渾身のボケにもツッコミを入れることなく、真剣に双子澤は考えていた。


「何だよ、やけに神妙じゃあないか」


「そりゃ、大切な友人がスランプに陥っているのなら、心配にもなるさ。これでも俺は友達思いなんでな」


 言う言う。


「ただ、それは取り越し苦労だったようだな。俺は、それを心配する必要は、もう無くなった」


「……どういうことだ? 僕はまだ絶賛スランプ中なんだが」


「いやあ、君自身、もう気付いているはずだぜ」


 そう言って、双子澤は笑わずに言った。


「誰かに言われたとか、誰かの所為とか、そんなことはどうでも良いじゃないか。俺達は小説を書き、それを職業にする、そう誓った仲だ。だからこそ、こう言えるわけだ」


 双子澤は続けた。


「そうやって人のせいみたいにしているけれど、君の夢を一番莫迦ばかにしているのは、一番愚かだと思っているのは、一番虚仮こけにしているのは、結局君自身なんじゃないか?」


「っ…………」


 僕は。


 僕自身が、莫迦にしていた? 


 小説家になろうと――小説家に近付こうと泥臭くもがき、汗臭く取り組む、自分を?


 


 


 


 それは――。


 僕は、双子澤からの返答に窮した。


「ま、それが分かったのなら僥倖ぎょうこうって奴だろうよ。言っておくが俺としちゃ、君に書き続けていてもらった方が嬉しいがね、将来のライバルが一人、こんな近くにいるとなっちゃあ、燃えずにはいられないのだから。じゃ――俺は先に行くよ」


 そう言って、双子澤は立ち上がった。僕の返答を待たずに、箸袋を畳んで片付けた。


「どこに――行くんだ」


 やっと出た言葉は、そんな意味不明の文だった。


 僕を置いて行かないでくれ――とか、待ってくれ、とか。

 

 そんな言葉すら、今の僕からは出てこなかった。


「どこって、決まっているじゃないか」

 

 双子澤は、言った。

 

 振り返らずに。


「小説を書きに行くんだ」

 


 *



 それから、僕の努力は結実し、見事在学中に小説家となった。


 ――なんてそんな上手い話があるわけないな!

 気を付けよう、最後の一文まで、小説家は魂を込めている。それを見逃してはならない。

 

 結局、僕はスランプから抜け出した。

 

 その日、双子澤を追って八号館を出(あいつはもういなくなっていた。逃げ足の速い奴である)、そのまま下宿先へと帰ってパソコンを開き――気付いたら、小説を書いていた。


 本当に自分を縛っていたのは、祖母の言葉ではなく自分自身だったと、気付くことができた。


 それは双子澤のお蔭である。


 次会った時に、お昼ご飯をおごった(一番高いかきフライ定食を頼みやがった)。


 それから僕らは執筆を続けた。


 一次選考、二次選考に残ることが何度かあったけれど、結局在学中にデビューすることはできなかった。同時並行で行っていた就職活動にて、僕は運よく内定を取ることができた。

 

 双子澤はその辺りを大っぴらにする性格ではないので、どうなったかは知らない。

 就職しているか、就活浪人をしているか、あいつのことだから、どこかで野垂れ死んでいるかもしれない。


 ただ――それでも、きっと。


 あいつは小説を書いているだろう。


 いつだって、今だって、これからだって。


 そう思うことにした。


 晴れて社会の歯車としてデビューを果たしたわけだが、小説は書き続けようと思う。


 一体いつになるのかは分からないが、『そんなこと』呼ばわりされて、僕だって内心穏やかだったわけではないのだ。


 見返したい――見せつけたい。


 続けていて良かったと、思いたい。


 そんな気持ちで、そんな思いで。


 僕は今日も、小説を書く。



(了)

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