失ったゆえに

三鹿ショート

失ったゆえに

 裕福であるためか、彼女は常に威張っていた。

 傍若無人の振る舞いは当然であり、自身の我が儘が通らないとなると、即座に騒いだものである。

 彼女の周囲の人間たちは一様に不満を持っているが、それを本人の前で口にしたことは無い。

 何故なら、彼女の我が儘に付き合うことで、それなりの恩恵を得ることができたからだ。

 例えば、彼女に飲食物の購入を依頼された際、明らかに受け取った金銭が多いにも関わらず、釣りを自分のものにして良いと告げられていたのだ。

 ゆえに、彼女の前では、人々は召使いのような存在と化している。

 彼女もまた、特段の不満を抱くこともなく、日々を送っていた。

 だが、終わりというものは、突然やってくるものだった。


***


 彼女の父親が稼いでいた金銭が犯罪行為によって得られたものだということが判明すると、その生活は一変した。

 裕福ではない彼女など恐れる存在ではなくなったためか、それまで文句を言うことなく働いていた周囲の生徒たちは手の平を返し、抱いていた不満を晴らすかのように、彼女に対して横暴な振る舞いをするようになったのである。

 見ているだけの私すら、彼女の身を襲う数々の行為に目を背けたくなった。

 しかし、不思議なことに、彼女は泣き喚くこともなく、それらの行為を黙って受け入れていた。

 体育館の裏手に呼び出された後、近くの水場でうがいをしている彼女に、私は問うた。

「何故、助けを求めないのか。きみが受けている仕打ちは、これまでのきみの行為を考えたとしても、やり過ぎであることは明白である」

 その問いに、彼女は手巾で口元を拭ってから、

「裕福な人間が傍若無人に振る舞うことを許されるのならば、そうではない人間がこのような目に遭うことは、当然のことでしょう」

 彼女は、何の感情も籠もっていない声を発した。

 そして、自身の胸に軽く手を当てると、

「望むのならば、あなたの相手もしましょうか。先ほど他の人たちを相手にしたため、少々汚れていますが」

 私は、彼女の身体を上から下まで眺めた後、生唾を飲み込んだ。

 だが、即座に後悔した。

 私は首を左右に振りながら、

「きみが裕福では無くなったとはいえ、きみがきみであるということに変わりはない。ゆえに、私はこれまで通りに、きみと尋常なる交流を続けるつもりだ」

 私がそう告げると、彼女は鼻で笑った。

「辛い目に遭っている人間に優しくすれば、容易に相手の心を入手できるとでも考えているのですか」

 その言葉に、私は動揺を隠すことができなかった。

 今や裕福ではなくなったとはいえ、彼女の美貌に変化は見られない。

 その姿に、私は心を奪われていたのである。

 だからこそ、彼女が辛い目に遭っているのならば同情し、力になりたいと考えていたものの、彼女の指摘通り、あわよくば親しくなろうという下心が存在したことは、認めなければならない。

 私の動揺からそのことを察したのだろう、彼女は何も告げることなく、その場を後にした。

 それから学生という身分を失い、社会人となった今まで、彼女と接することはなかった。


***


 朝のうちに片付けておきたい仕事があったため、私は常よりも早い時間帯に出勤した。

 職場の掃除を担当する掃除会社の人間が未だに来ていないようだったが、文句を言っている場合ではない。

 仕事が一段落したところで、ようやく掃除会社の人間がやってきた。

 相手は驚いたような声色で、

「随分と、早いですね」

「片付けなければならない仕事があったものですから」

 そう告げながら掃除会社の人間の顔を目にした瞬間、今度は私が驚くことになった。

 その相手とは、彼女だったからだ。

 作業服とは全く釣り合わないその美しさは健在だったゆえに、私は即座に気が付くことができたのだ。

 私が己の名前を告げると、彼女は学生時代を思い出したらしく、わずかに目を大きくした。


***


 互いに仕事を終えた後、近くの喫茶店で会うことになった。

「久方ぶりですね」

 彼女は帽子を目深に被りながら、珈琲を口にした。

 私は緊張を隠すことができなかったが、なんとか言葉を発することができた。

「学校を卒業してから、どのように過ごしていたのか、訊いても構わないかい」

 私の言葉に、彼女はどうでも良さそうに首肯を返した。

 学生では無くなった彼女には、働く場所が無かった。

 父親が犯した罪を会社側が知ることで、一様に勤務を断られてしまったからだ。

 それでも、彼女が諦めることはなかった。

 来歴を気にすることはない職場を転々としていたが、それらの仕事は、彼女の肉体と精神を蝕んでいったのである。

 疲れ切った彼女が公園の長椅子で項垂れていたところ、近くを歩いていた老人が、突然倒れてしまった。

 老人に声をかけながら救急車を呼んだためか、老人の生命は無事だった。

 その老人というのが、現在勤務している会社の社長だったのである。

 礼をしたいという老人に対して、働く場所が欲しいと告げたものの、彼女は自身の父親のことを正直に打ち明けた。

 今回も断られるだろうと考えていたが、そうではなかった。

 老人は彼女の手を握りながら、

「確かにきみの父親は罪を犯したが、きみが悪いことはないだろう。それに加えて、見ず知らずの人間に救いの手を差し伸べるような人間であることを考えると、きみは良い人間ではないか」

 気が付けば、彼女の双眸から涙が流れていた。

 そのような優しい言葉などついぞ与えられなかったためだろう。

 しかし、そこで彼女は気が付いた。

 かつて自身が落ちぶれたときに、手を差し伸べてくれた人間が存在していたことを。

「それを思い出してから、あなたに感謝の言葉を伝えたいと思っていたのです」

 彼女は口元を緩め、私の手を握りしめた。

 私は顔面が熱を帯びていることを感じながら、

「あのときの私に、下心が無かったといえば嘘になる。だが、きみの力になりたいと思ったことは、間違いないのだ」

 そう告げると、彼女は頷いた。

「思えば、あのときにあなたの手を握っていれば、違った人生を歩んでいたのかもしれません」

 彼女は帽子を取り、私を真っ直ぐに見つめながら、

「私は未だに、一人では不安なのです。今さら何を言うのかと思うかもしれませんが、私を支えてくれませんか。もちろん、私もまた、あなたの生活の一助となることを約束します」

 私は首を横に振った。

「そのようなことをわざわざ口にせずとも、きみが困っているのならば、私は力になるつもりだった。わざわざ恩を返そうと思わなくとも、きみが近くに存在していることで、私は明日も生きようと思うことができるのだ」

 そう告げると、彼女は感謝の言葉を告げながら、頭を下げた。

 これから先に、我々が恋人関係に発展するのかどうかは不明である。

 しかし、誰かのために生きるということほど、人生の目的に相応しいものはない。

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