第54話 ある男の物語


「僕は小さい頃にこの星に流れてきたんだ。家族はこの星に適応していたけど、僕はずっと退屈だった。別にこの星が嫌いなわけじゃないよ。でもずっとモヤモヤしたものがあったんだ」

 日々を問題なく過ごしながらも理由のない苛立ちや倦怠感にふと包まれる。たまに目を開けるとどろりとした泥の中にいて息が詰まる。時間は流れているのに空気が停滞している。

 耳障りな雑音は心を掻き乱し、眩暈がしてくる。何かにぶつけても解消されない。激しいものではなく、ゆっくりと真綿で首を絞められていくような感覚だ。まるで見えない牢獄にいるみたいだ。

「そんなときだよ。ガデス・パンドンという男のことを知ったのは。あのときは頭がどうにかなりそうだったよ」

 その男に不可能はなく、あらゆるところに現れ、目当ての物を盗み出す。彼の行動が宇宙を混乱のるつぼへと叩き落とす。犯罪史に燦然と名を刻む最低最悪の大泥棒。

牢獄の中の囚人に射した一条の光。黒い輝きは不浄なるものを掻き消し、心を突き動かす。世界は一変したのだ。

「それからは情報を集めまくったよ。楽しくてどうにかなりそうだった」

 辺境とされるこの星でどれだけの手間がかかっただろうか。彼はどんなことでもやったのだ。目の前の輝きだけが己の全てとなったのだから。

「これだけでも最高すぎるのに天は僕を見放さなかった。もう一つの光が現れたんだ。最初は小さな光だったそれはどんどん巨大になり、もう一つの光を追い詰めていく」

 誰もが捕縛は不可能だと信じた泥棒を追い続ける存在が現れた。何度も苦杯を舐め、飽きるほど煮え湯を飲まされても、決して諦めずに追い続ける不屈の刑事。もう一つの狂気の産物はいつしか互角の捕り物を繰り広げるようになる。


「でもこのまま見ているだけでは満足できなくなった。欲しくて仕方なかった。どうすれば君たちを手に入れられるのか。それだけを考え続けたよ」

 その願いのために生涯を懸けた。二人からすれば身勝手で迷惑でしかない欲望。世界を振り回すかもしれない危険な願いだとしても、自分が見つけた望みなのだ。最後まで貫き通すだけ。

 人の魂を入れ替える装置という結論に至ったとき、彼は部屋を飛び出した。同じ舞台に立つことを選んだのだ。

 荒唐無稽な研究だが、宇宙という広大な世界ならば協力者は見つかるだろう。完成すれば史上類を見ない大発明になるのだから。

 何一つ持たなかった彼がそこに辿り着くまでに何をしてきたのか。人間性など捨てきらなければできない。口で言えないこともやってきたはずだ。

研究はどれだけ困難だったのか。道のりはあまりにも険しく、寝食を忘れて没頭し、 自分以外の存在を徹底的に利用し、全てを費やしてもなお足りない。己の知識や人生を捧げても至らない。いくら未来を思い描いても届くことはない。

どれほどの絶望に打ちのめされてきたのか。触れる者を燃やし尽くす激しい熱。狂気の線など当に通りすぎている。異常なんて言葉では生温い。常人には理解できない。理解などされたくない。

 いくつもの日々を乗り越え、ようやくここに装置は完成を見る。

だが本番はここからなのだ。彼の望みは装置を完成させることじゃない。二人を手に入れることだ。

 ガデスはもちろんシャリアもまともにやったらまず無理である。仮に一人を手に入れられても、二人がいなければ意味がない。

 全ての条件が揃う場を作らなければならない。決定的な機会を生み出さなければならない。奇跡のような瞬間をこの手で作り上げるのだ。


「警備は思いつく限り厳重にしたんだよ。君ですら突破できないようにするために。そうじゃなきゃ喜ばないだろ」

「そいつはどうも。嬉しくて涙がちょちょぎれそうだよ」

依頼者を装いガデスに協力した。自らが作り上げた装置を盗むことを。盗むことができれば刑事は追ってくる。彼女が追いつけるように巧妙に演出する。船に細工をしてわざと追いつかれ、船内に手引きした。

 逃亡先の辺境惑星は自らのホームグラウンドであり、宇宙警察の手も届きにくい。隠れたり、逃げるだけならいくらでもできる。こうして姿を現したのは予定外のアクシデントが重なったからだ。

「この廃工場は僕の隠れ家だったんだ。落ちてきたのは偶然じゃない。墜落事故を装って着地しただけさ」

 全ては仕組まれていたもの。二人の魂を補完する器も用意した。装置だって見られていない。宇宙船をわざと爆発させ、一瞬の隙を作り出す。このときの興奮と全能感は筆舌に尽くしがたいだろう。長年追い求めてきた瞬間が訪れた。

「だけどまさかこんなことになるとはね。これは予想外だった。流石にまいったよ」

 九割方成功していた計画は最後の最後であらぬ方向へと転がり落ちる。ここに主催者ですら想像しなかった登場人物が現れた。会場の外を偶々歩いていた通行人が舞台に上がったようなもの。

 市川両介が突如として主役の座へと躍り出たのだ。


「動機はわかった。あなたはこれからどうする気なの」

 最大の焦点はそこなのだ。一つの肉体に二人が入るという想定外の事態。成功とも失敗ともとれる計画。この先に何を求めるのか。

「ずっと君たちを見続けるさ。これはこれで面白いからね。こいつには監視機能も付いていて映像も音声もばっちりだ。君たちの様子が特等席で見られたよ」

 両介の器になっている猫は生物であって生物じゃない。本人しか知らないような機能がいくつもついている。アインは両介と同じ目線で物語を楽しんでいたのだ。

「タネは話しちゃったし、僕はこいつを連れて雲隠れさせてもらうよ。どこにいても君たちを思い続けているから捕まえてよ」

 この状態が続く限り、アインを追うしかない。居場所は地球に拘る必要もないのだ。本来の肉体じゃない二人では簡単に捕まえることはできず、何度でも繰り広げられるドタバタ劇を最高に楽しめる。モニター役なら両介以外のものを送り込めばいい。アインにとって夢のような日々がいつまでも続くのだ。

「君たちの肉体は責任を持って保管する。どんな美術品よりも貴重だし、好きなときに愛でることができるからね」

 喜びに打ち震えている姿は狂気じみているが、どこまでも己の欲望に素直だった。どれだけ他人に理解されなくても、自分がやりたいからやる。願いのために宇宙でも指折りの二人を相手にできる。曲がることのない強い意志。両介からすれば羨ましく、尊敬すらできてしまう。

「ふざけんな。今なら拳骨だけですませてやるからさっさと戻せ。テメェに付き合う義理はないんだよ」

「スイッチは後でちゃんと切ってあげるよ。安心してね」

「元に戻せって言ってんだよ。鼓膜をかっぽじってよく聞けや!」

 文句を叫ぶが虚しく工場内に響くだけだ。ただでさえ思い通りにならない肉体。今は半分以上が動かない。まともに立つこともできず、地べたに這いつくばっている。籠の中に入れられた鳥のようなものである。拷問以外の何ものでもない。

 そんなガデスと違い、無言で見つめ続けているもう一つの瞳。事件の全てを知り、黒幕に向けて静かに口を開く。

「あなたの計画はよくできていた。私たちは完全に追い詰められている。逃げられたらどうしようもない」

不意にシャリアの左手が動き、何かがアインの手にぶつかる。

「でもあなたは忘れている。この舞台にはもう一人の役者がいることを」

ポケットに入っていた小銭を投げつけたのだ。決定的なダメージはないが虚を衝くには充分だった。


「両介! 早くこっちにきて!」

それまで舞台装置でしかなかったもう一人の役者が解放されたのだ。再び主役の座へと躍り出た男。市川両介は自由を手にする。

 アインがあれほど強気に出られたのも、最高の手札を持っていたからだ。二人を殺す気はないのだから装置さえ手にすればいい。起動の仕方がわからなくても優位に立てる。

「何をしてやがる。ふざけてる場合じゃねぇんだぞ!」

 二人は一緒になって驚愕する。両介は動かない。置物のように留まり、自信なさげに目だけを動かしていた。猫の顔からは考えが読めないだろう。

「ご、ごめん。ぼ、僕に、僕には無理だよ。だって、だって」

 震えながらうわ言を繰り返す。壊れた機械のように同じことしか言えない。どうしても足が動かなかった。

「残念だったね。でもこれはわかりきっていたことだよ。君たちは彼を理解していない」

 ゆっくりと体勢を立て直し、両介を拾い起そうとする。不意なアクシデントにも動じていない。こうなることが必然だったというように。

「だって彼は」

 伸ばした手が触れることはなかった。一発の甲高い音が工場内に反響し、アインは物言わぬまま倒れる。虚空を見つめたまま動かぬ肉体。額に空いた黒い穴から赤い液体が流れていた。

 動揺している時間もなかった。荒々しい足音を立てながら武装した連中が一人と一匹を取り囲む。黒光りする銃口が向けられており、逃げるスペースなどない。あまりにも無粋な乱入者だ。


「ご苦労だったシャリア刑事。君の働きで事件は解決へと導かれた」

 部隊の後ろから歩いてきたロッドマンが素直に褒め称える。彼らもまたアインを追っていたのだ。姿を現さないのですっかり忘れていた。

「まさかこんな猫が装置だとはな。灯台下暗しとはこのことか」

 動けない両介が確保される。優しさの欠片もない持ち方だ。

「彼は事件に巻き込まれただけなんです。すぐに解放してください」

 シャリアが縋るように進言する。自分の身体に戻ることはもちろんだが、彼女にとって最優先するべきは両介の安全を守ること。警察官として当たり前の行動を取っている。

「それはできない。彼は重要参考人だからな」

「ど、どういうことですか」

「君が一番よくわかっているはずだ。我々はあのガデス・パンドンをここまで追い詰めている。この機を逃すわけにはいかない」

 どんな絶望的な状況からでも逃げてきた。脱出不可能と呼ばれる監獄も閉じ込めておくことはできなかった。数々の伝説を打ち立てた大泥棒が見るも無残な姿でいる。シャリアとロッドマンでは決定的に食い違っている。

「喧嘩なら余所でやってくれ。傍迷惑なことだ」

 タバコを取り出そうとした手は銃声に止められる。

「仕事熱心なことで」

 口笛を吹きながら、眼前に空いた銃痕を見つめる。両介には一筋の光が走ったようにしか見えなかった。いわゆるレーザー銃と言われる武器である。こんな状態でも最大限の警戒を払っている。指一本すら動かすことを許さない。

「余計なことをするな。貴様に許された権利はこちらの指示に従うことだけだ」

 冷やかに告げる。敵意の籠められた瞳には一切の容赦がない。

「ロッドマン警視。どうしてこんなことを」

「驚くことはない。全てはこの機を作り出すために用意したものだからな」

 それはロッドマンの計画。ガデスを捕らえるためだけに用意されたもの。心の重石が取れたのか口から零れ落ちていく。両介たちが知る由もない。裏で進められていた計画の全容を。

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二人と一匹 三つの心は交わらない アンギラス @anguirus

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