第12話 彼が彼たる所以

 とりあえず授業は再開されたが、教室のざわめきが収まることはなかった。授業中も視線を送ってくる者が大勢いた。

「映画の中にいるみたいだな。役者っていうのはこういう気持ちかもな」

 ガデスは他人の目などまるで気にしていない。楽しそうに弁当を口に運んでいる。授業が終わると同時に早速食べ始めたのだ。ついさっき朝食を食べたはずである。

「もう滅茶苦茶だよ。どうしてくれるんだ」

 上手くやれると思っていなかったが、まさかたった一コマの授業でこうなるとは。不安がどんどん大きくなる。元の肉体に戻れても平和な学生生活が戻ってくるのだろうか。


「また猫を連れてきたのかい。付いてきたというのが正しいのかな」

 未可子からある程度事情を聞いたのだろう。雅樹が呆れたような目つきで開いた鞄を見つめてくる。

「しょうがねぇだろ。こいつが連れて行けってうるせぇんだからさ。どうせなら先公のいる部屋に投げてやろうかな。面倒くらい見るだろ」

 気づいたら潜り込んでいたという設定で通している。鞄の中に入れば、滅多なことで見つかることもない。ガデスを学校で単独行動させるなど危険すぎた。

「学校はペットの預り所じゃないんだよ。流石に業務外だ」

「やらせろ、やらせろ。動物を見るのも似たようなもんだ」

 いくら言っても届きはしない。教師にバレることや怒られることなど、最初から気にしていないのだ。

「今日はどんなつもりだい。また映画やテレビにでも影響されたのかな」

 明らかにおかしく思っている。数日間で性格や態度が二転三転してれば当たり前だ。他の生徒たちの気持ちを代弁していると言ってもいい。

「それとも自己啓発本でも読みこんだのかな。君がそこまで行き詰っているようには思えないが」

 顎に手を添えて問いかける。雅樹なりに変化の理由をすらすらと挙げていく。

「妙な宗教に嵌ったとかなら口出しはしないよ。何を信じるかは個人の自由だからね。友人として一応忠告はさせてもらうが」

「お前さんも随分と思考が飛躍する奴だな。中々面白い発想だ」

 ツボにはまったのか豪快に笑い出し、ご飯粒が机に乱舞した。

「とりあえず喋るときは口を押さえるか、飲み込んでからにしてくれ」

 ため息をつきながら机を吹いていく。客商売をやっているので見逃せないのだ。

「頭を打ったのなら病院を紹介するよ。整形外科か脳外科か精神科か。うちの店長が腕の良い先生を知っているよ」

「どいつもこいつも飽きないねぇ。同じことばかり言いやがる」

 両親や教師、友人までが病気だと思っている。当事者じゃなければ両介だって同意してしまう。ここ数日の急激な変化に対して一番わかりやすい理由だからだ。

「ちょっとやそっと変わったからって騒ぎすぎだ。ハンドル握れば性格変わる奴なんていくらでもいるだろ。それぐらいの感覚でいろ」

「そのちょっとが周囲にはとんでもない嵐に見えるのさ。何しろ原型がないからね。急激なキャラチェンジは混乱を招く元さ。夏休みデビューよりもひどいよ」

 自分らしく誰よりも真面目にやろうとするシャリア。場所も人物も関係なくどこまでも自分を貫くガデス。元の両介からどんどんズレていくのだ。

「君のしたいようにすればいいけど、未可子には上手く言い訳したほうがいいよ」

 両介の頭に浮かんでくる幼馴染。今日みたいな所業を見たらますます詰められる。ガデスにも説明しているが、果たしてどんな態度で接するのかまるでわからない。

「上等だ。こちとらどんだけ女に騙されてきたと思ってんだ。多少の性悪くらい大したことねぇよ」

 自慢にもならないことを堂々と言いのける。発言のおかしさや違和感にはあえて目をつぶる。注意したところで直るわけがない。せめて雅樹に突っ込まれないように祈るしかなかった。

「そんなに経験があったかい。恋愛なんてほとんどしたことなかったじゃないか」

 無理だった。神に祈ったところでどうしようもない。雅樹はどんな気持ちでこの会話をしているのか。

「俺がコナかければどんな女もいちころよ。こないだも宝石欲しがってたから、わざわざ盗んで」

「止めろ、バカ野郎。これ以上墓穴掘るな!」

 大声で叫びながら鞄の中で暴れる。会話は聞こえてくるが止めることができない。外に出るわけにもいかなかった。


「少しでいいからさ。貸してくれよ」

 聞き逃せない声が耳に入る。隙間から目を向けると西川たちが三谷に絡んでいた。親し気に肩を組んでいるが、会話の内容はとてもフレンドリーなものではない。事実三谷は顔を俯け、涙目になっている。

「すぐに返すからさ。今月ちょっとピンチなんだよ。俺らの仲だろ」

 必死に動かした顔が大きな輝きを放つ。ある人物を見つけたからだ。ヒーローに助けを求める子供のように純粋な瞳を向けている。

「あ、あの、市川君。たすけ」

「続けるならさっさとやれよ。教師に見つかるぞ」

 もちろん男はまるで相手にしない。男の中身は昨日と違う。シャリアが交わした誓いなどガデスには与り知らぬもの。三谷の存在など埃のようにしか見ていない。

「放っておいていいのかい。明らかに君を見てるけど」

「こっちは飯食ってんだ。男ならテメェで何とかするんだな」

「言ってることが全然違う!」

 果たして誰の叫びだったのか。それはここにいるクラスメイト全員の感想と言ってもいい。事情を知らなければ両介も同じ反応をしている。西川たちは手を出してこないことに安心したのか、堂々と金をせびっていた。

「ちょうどいいや。そっちがすんだらお茶でも買ってきてくれや。安心しな。俺はそいつらみたいにケチくさいことはしねぇよ。金は出してやる」

 物凄く自然に三谷をパシリに使おうとする。似合っているのだから性質が悪い。

「何とかならないの。同じ悪党なら穏便にすませる方法もわかるんじゃない」

 ガデスには関係ないかもしれないが、昨日した約束をいきなり破るのは流石にバツが悪い。三谷があまりにも気の毒だった。

「悪党って字を調べ直してこい。あんなのと一緒にするな」

 不満げに口を尖らせる。現役バリバリの大悪党であるガデスからすれば、例えどんなに小物でも同じ悪党として括られるのが我慢できないようだ。

「これ美味いな。おふくろさんもたいしたもんだ」

 優子が作った食事を気に入ったのは本当みたいだ。絶賛この世の終わりを味わっている三谷とは裏腹に、幸福なランチタイムを迎えている。ガデスは梃子でも動きそうにない。

 両介も半ば諦めており、気を抜いてしまう。その判断は迂闊という他ない。目の前にいるのは常識が通じない男。一秒先の未来でさえ予測がつかない。凡人の想像など容易く超えてくるのだ。

 どんと大きな音がする。はしゃぎすぎた西川たちがガデスにぶつかり、口に運ぼうとした卵焼きが床に落ちた。


「ありがとね、三谷君。ちゃんと返すから」

 戦利品を得た西川たちは楽しそうに笑っており、嵐が迫っていることにまったく気づいていない。

「い、いてぇ! なにすんだよ!」

 西川の身体が窓枠に叩きつけられた。音もなく立ち上がったガデスが頭を掴んで押し飛ばしたのだ。

 眉を寄せて文句を言う西川とは対照的に、ガデスは楽しそうに口笛を吹いている。嵐は人間の都合など一切顧みない。己が思うままに暴れるのだ。

 軽やかな跳躍と同時にガデスは蹴りを放つ。高くて美しいドロップキック。プロレスの教科書に載せたいほど洗練されていた。

「え?」

 自分に何が起こったのか理解できなかったのだろう。間抜けな声を漏らして、空中へ躍り出ると、西川は重力に引かれて落下していった。時間が止まったような静寂が教室に訪れる。


「騒ぎてぇなら外でやれ。人の飯を台無しにしやがって」

 目の前で起きた出来事を認識し、爆発したような悲鳴と怒号に包まれる。窓際に殺到する生徒や逃げるように廊下に出る生徒。平和だった教室は一気に騒然となる。

「これだから学校なんて場所は詐欺の見本市なんだ。大金ふんだくってるなら、勉強を教える前に人として大切なことを教えろ。飯を食ってる人間の邪魔しないのは当たり前のことだろうが」

 この空気を作り上げた張本人はため息をつきながら肩を竦める。教育界の未来を憂いているように見えた。

「ちょ、嘘だろ。ちょっと、何してんの!」

 驚きのあまり鞄から飛び出し、激しく問い詰める。幸か不幸かクラスメイトは気づかない。目の前で起きたことに興奮しきっており、猫に気を向けることはなかった。

「ぎゃあぎゃあ喚くな。たかだか三階から落ちたくらいで死なねぇよ」

 ガデスからしてみれば、使い終わったチリ紙を捨てるくらいにしか思っていない。打ち所が悪くて致命傷を負ったとしても気にしないのだ。

「テメェらも同罪だ」

 恐怖に顔を引き攣らせている西村の仲間を殴り飛ばしていく。落とされなかっただけまだ幸運かもしれない。

「あ、あの、えっと」

 最後に残されたのは三谷だ。形としては助けられたわけだが、あまりにも突飛な行動にお礼を言うべきかどうか迷っている。

「元々はテメェのせいだろうが! 余計なことに巻き込んでじゃねぇ!」

 そんな三谷に送られたのは強烈な拳骨だった。脳天に振り落とされた一撃は近所の頑固爺を彷彿とさせた。怒りのままにガデスは更なる追撃をかける。

「コブラツイストか。実戦で極める奴を初めて見たな」

「なんでそんなに冷静なの。君も充分恐いって!」

 言葉が通じないのがわかっていても、つい雅樹にツッコミを入れてしまう。というか宇宙にプロレスはあるのだろうか、などと余計なことを考えてしまう。

「次はどうするんだい? そろそろ教師が来る頃だよ」

 チラリと視線を廊下に向ける。騒ぎは他のクラスにも伝わっており、騒然とした空気は学校中に伝播していた。他の生徒が遠巻きに見ているなか、喚声を掻き消すように激しい足音が遠くから聞こえてくる。

「普段は相手にしないくせにこういうときばかり騒ぎやがって。保健体育の良い標本じゃねぇか。応急処置の教材にでも使ってろ」

「言ってる場合か。どうするんだよ!」

 顔色を変えながら両介が指摘する。あまりの事態に頭が追いつかない。何をすればいいのかまるでわからなかった。

「逃げるに決まってんだろ。いちいち相手してらんねぇよ」

「どこにだよ。外はあんな状態なんだよ」

 廊下には生徒が詰めかけており、逃げるスペースがほとんどない。掻き分けていくには時間がかかるし、今まさに教師が入ってくるのが見えた。


「が、ガデス。お願いだから早まらないで」

 冷や汗が滝のように流れていく。心臓を掴まれたような激しい痛みが全身を打ち、腹の中から何かがせりあがってきた。考えうる中で最悪の光景。ここにいる教師や生徒相手に大立ち回りをするのか。

「もっとスマートな方法があるだろ。頭だけじゃなくて目も悪いのか」

 この期に及んでもまるで動じていない。ガデスの様子を見る限り、どうやら最悪の展開にはならないようで少し安心したが、それならどうする気なのか。

 ガデスは自分の部屋に入るような気安さで窓枠に足をかける。一瞬目が点になるが声をかけることはできない。瞬きをした間に飛び降りていたからだ。あまりに軽い感じなので現実感がない。


 悲鳴と怒号が再び教室に木霊する。生徒が増えているためさっきより音量がでかい。目の前で何が起きているのか理解できないだろう。突き落とした本人が同じように飛び降りたのだから。目を覆いたくなる惨状に一緒になって声をあげそうになるが、両介はすぐに思い直す。

(待てよ。彼は宇宙に名を轟かす大泥棒だ。これも勝算があってのことなのか)

 高層ビルや荘厳な古城から華麗に飛び降りる姿が浮かんでくる。身のこなしの高さは充分なほど思い知っている。自分が使うよりも遥かに上手く肉体を使えるはずだ。

 両介はすぐに窓際へ駆け寄る。そこには信じられない光景が広がっていた。肩の力が抜けそうになりながら壁伝いに下へ降りていく。

 軽やかで柔らかく、多少高いところから降りても痛みを感じない。それだけ身体の違いがあるのだが、完全に理解してなかった男がいる。


「よかったね。保健体育の教材がもう一個増えたよ」

「ふざけんなよ、コラ。しょぼすぎるだろうが」

 ガデスは足を押さえながら悶絶しており、呻き声を漏らしている。小刻みに震える身体は痛々しく、演技ではない。彼からしてみればたかだか三階という認識である。まさかここまで負担が来るなど思ってもいない。

「それは君の肉体じゃない。普通はそうなるんだ」

 昨夜から再三再四に渡って同じことを繰り返しており、そのたびにとことん思い知らされている。どうしてこうなるということに思い至らないのか。

「だったらもっと鍛えておけ。この貧弱モヤシ虚弱ガリガリ野郎」

 思いつく限りの罵倒を並べ、怒りをぶつけてくる。もちろん迫力などない。

「自分で鍛えればいいじゃないか。シャリアはちゃんと努力してるよ」

「何で俺がそんな面倒なことしなくちゃならないんだよ。前々からやっておかないお前が悪いんだ」

 理不尽すぎて眩暈がしてきた。ため息も出尽くしてしまう。

 尚も恨み言を吐き続けていたが、遅れてやってきた教師に捕まり、保健室に連れていかれる。登校初日にここまで問題を起こせるのはある意味で才能かもしれない。


「やっぱりこいつバカなんじゃないか」

 最後に行きつく答えである。これから先が不安でしかなかった。

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