第11話 変わる日常
「こりゃイケるじゃねぇか。どんどん持ってきてくれ」
物凄い勢いで朝食を頬張っていく。シャリアに負けないくらい食べている。両親は昨日と同じようにぽかんと口を開けたまま見つめていた。
「ちゃ、ちゃんと噛まないとダメよ。身体に悪いから」
優子が心配そうに声をかける。どこか探るような目をしていた。
「そういうことを言い出す奴はご飯粒で人が死ぬと思ってんだよ。おふくろさんも気にするなよ。飯が不味くなるだけだぜ」
食卓に食べカスを飛ばしながら、乱暴に箸を動かしていく。マナーや礼儀といったものが欠片もない。でかい子供がいるようなものだ。シャリアと比べると差は歴然としていた。
「もうちょっと僕っぽく振る舞ってよ。何度も言っただろ」
大声で注意するが聞く耳など持っていない。シャリアのときもあれだったが、ガデスはあまりにひどかった。原型などほとんどない。
「ほ、本当に大丈夫なのか。風邪を引いたなら休んでもいいんだぞ」
昨日も同じようなことを言われた気がするが、より深刻さが増していた。ここ数日間で普段の両介からかけ離れた行動や喋り方をしているのだ。非行に走ったというより、何かの病気になったと思うのが自然かもしれない。
「そんなわけねぇだろ。親父殿も無駄なことに気を回すな。疲れるだけさ」
立ち上がるとキッチンの方へ向かう。嫌な予感がしたので急いで追いかけると冷蔵庫を開け、缶ビールを手にしていた。
「朝っぱらから止めときなよ。いや、夜なら飲んでいいわけでもないけどさ」
「じゃあいつ飲むんだよ。こちとら喉が渇いて仕方ねぇんだ」
「自分の肉体じゃないって散々思い知っただろ。きっとろくなことにならないよ」
この後のことが何となく想像できた。無駄だと思いつつも止めてみる。
「やってみなくちゃわからねぇよ」
缶を豪快に口へ運ぶ。液体が喉を通ったかと思ったら、次の瞬間には思いきり噴き出した。床一面に水飛沫が飛び散る。
「ごほっ、げほっ、なんだ。まさか酒もか」
苦しそうに咳き込んでいる。作夜と全く同じような光景が目の前で繰り広げられた。デジャブみたいだった。
「君はひょっとしてバカなんじゃないか」
言わずにはいられなかった。痛い目に遭ってもまるで反省しない。こうなることなどわかりきっていることだった。
「ちくしょう。ほんとになんなんだよ。このふざけた肉体はよ」
健康な肉体などお気に召さないようだ。愚痴を零しながら酒を飲み始める。咳き込んでいるがお構いなしだ。昨夜も道すがら何度もむせながら煙草を吸っていた。少しでも肺に慣らそうとしている。
「少しくらい我慢しなよ。別に飲めなくても死ぬわけじゃないだろ」
「ごめんだね。邪魔するならこの星ごとぶっ壊してやる」
本気でやりかねないのが恐ろしい。ガデスにとって飲酒や喫煙は食事と同じようなものだ。
「そこまでするものかな」
両介には良さがちっともわからなかった。大人になってもしようとは思わない。
「だからお前はお子ちゃまなんだよ。この味がわからないなんて人生損してるぜ」
「咳き込んでる人に言われてもね」
傍から見てるとあまりにも格好がつかない。
「せめて親がいないところで飲んでよ。ややこしくなるから」
昨日からずっと頭が痛くて仕方ないが決して夢ではない。これで本当にやっていけるのか不安しかなかったが、ガデスだけは元気だった。
「やっぱり止めたほうがよかったかな」
鞄に揺られながら両介は教室の扉を見つめる。既に授業は始まっており、廊下は静寂に包まれていた。完璧に遅刻しており、教室の中から教師の声が聞こえてくる。
「お前が行けって言ったんだろうが。コロコロと変わる奴だな」
「今になって激しく後悔してるんだよ」
教師や両親から色々言われるかもしれないが、問題を起こすよりはマシな気がする。かといって学校以外じゃ問題を起こさないという保証もない。町に解き放ったら何をやらかすのか。結局どっちを選んでも危険なことに変わりはない。
朝食のときは何も起きなかったが、ガデスが危険な男であることは変わりない。爆弾を抱えて歩いているようなものだ。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ。きちまったものは仕方ねぇだろ」
「なんでそんなに乗り気なの。もっと嫌がると思ってたのに」
学校の話をしたときにはかなり鬱陶しそうにしていたから、てっきりサボるのだと思っていた。
「面倒くせぇけど学生なんて久しぶりだし、ちょっとは楽しめるだろ」
テーマパークにきているようなものだ。勉強する気などさらさらない。
「君の学生時代なんて想像つかないんだけど」
まともにやれていたとは思えない。恐ろしい想像ばかり浮かんでくる。
「昔はもう少しマシなガキだったからな。でかくなる前に辞めちまったけど」
「よし帰ろう。それが一番だよ。回れ右だ」
制止も聞かずに教室の扉を開けると、生徒たちの視線が一斉に集まる。こんな狭く静かな空間で注目を浴びるのは嫌だった。もし両介なら誰とも目を合わせず、そそくさと自分の席に着くだろう。もちろんガデスは意に介していない。
「どうした、市川。何かあったのか?」
心配そうに声をかける。両介は無断欠席や遅刻などしたことがない。
「寝坊だよ、寝坊。気にしないで続けてくれや」
ガデスの性格や振る舞いを見る限り、これは当然の反応である。初めから期待などしていなかった。それでも僅かな望みに懸けていた。少しは学生らしく振舞ってくれるのではないかと。
「固まってないで真面目に働けよ。給料泥棒なんて俺にもできねぇぞ。ある意味最高の泥棒だな」
音を立てて何かが崩れていく。青くなるのを通り越し、顔面の色を失ってしまった。どこからともなく吹いた風が髭を悲しく揺らす。
「ちょ、調子が悪かったら欠席していいぞ。それとも保健室に行くか?」
怒るどころか気遣っている。今までほとんど目立たず、大人しくすごしてきた生徒が突如としてこんな態度を取ったら困惑するに決まっている。
更に話をややこしくしているのは昨日のシャリアである。クラスどころか学年でも有名になるほどの優等生として振る舞ってしまった。
そんな生徒が今日になったらこんなことになる。教師だけじゃなく、クラスメイトも戸惑っており、珍獣を見るような目をしている。
「あんたたちほどじゃねぇよ。わざわざ進んでガキの面倒見るなんざ、頭がおかしいとしか思えないからな。もしくは無類の変態だな」
公務員など最もかけ離れている職業だ。精神回路や思考が理解できないのだろう。常人がガデスを理解できないのと同じである。彼の目には余程の変人として映っているに違いない。
周囲の反応など気にせず、ガデスは悠々自適に自分の席へつく。不安しかない一日が始まるのだった。
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