第13話 大泥棒の素顔
「やるじゃねぇか。見た目のボロさからじゃわからねぇもんだ」
カップを啜りながら目を丸くする。コーヒーの豊かな香りが鞄の中まで漂ってきた。昔からやっている喫茶店だが高校に入学するまで知らなかった。店自体は小さいので初見じゃ気づかないのも無理はない。
店内には年代物の調度品が置かれており、優しい音楽が流れている。客はまばらだが寂れている雰囲気はない。暖かさが満ちており、落ち着くことができた。
「もう少し声のボリュームは調整してほしいけどね。他のお客様の迷惑になる」
エプロン姿の雅樹が忠告する。バイト歴は長く、よく似合っていた。
「コーヒーも美味いし、おまけにタバコまで吸い放題。本当に良い店だぜ」
ガデスからすれば相当ストレスが溜まっていたのだろう。店内じゃ禁止にする店も多いなかでは珍しいくらいだ。
「どこもかしこも何が禁煙だ。勝手な都合を押し付けるなよ。煙吸ったくらいで調子悪くなるなら外に出るな。テメェらの吸ってる空気なんか全部排気ガスまみれだよ」
「君は知らないと思うけど、日本じゃかなり厳しくなっているんだ。このご時世だから仕方ないと思うよ」
鞄の中から声をかける。いくら緩いからといって流石に動物を店に出すのは禁止されている。これはグレーゾーンでギリギリ認めてもらっていた。
「いくら気を遣ったところで事故に遭ったら即ドボンだ。どうせいつか死ぬのにこんな極上品を縛る方がどうかしてる」
話が飛躍しすぎだとは言えない。何しろ身をもって思い知っている。自分がこんな状況になっているのだから。一寸先は闇というが本当に何が起こるかわからないものである。
「立派な主張だね。派手に咳き込んでいなければ格好がつくのだが」
雅樹の指摘に咳で返答する。これで何度目になるかわからない。どうやら両介の肉体はなかなか合わないみたいだ。本人に止める気は毛頭ない。
「しかしこんなところでのんびりしてていいのかい。学校は大騒ぎになってるよ」
「付き合ってられるかよ。好きに言わせておけばいいのさ」
幸い怪我はしていなかったが、待っていたのは教師陣の激しい説教だった。あんな大問題を起こしたのだから当然である。
もちろんガデスは気にしておらず、右から左に聞き流していた。両親も呼ばれることになったのだが、隙を見てさっさと逃げ出してしまったのだ。
「たかだか人が落ちたくらいで騒ぎやがって。暇人しかいねぇのか」
「現代日本じゃあれが当たり前なの。というかそれで通じるのは君が住んでる世界くらいだよ」
「違いねぇや」
笑みを浮かべながらカップを口に付ける。先程まで騒動の中心にいたのが嘘みたいだ。
こうして接していると凶悪な犯罪者の姿はどこにもない。近所に一人はいる気の良い兄ちゃんという雰囲気だ。口は悪いがどこか人懐っこいところがあり、無闇やたらに暴力を振るうこともしない。映画や漫画に出てくるわかりやすい犯罪者とは違い、外面だけなら普通の人間にしか見えなかった。
だからこそ恐ろしい。
ガデスという男は道徳や倫理というものを理解できないわけじゃない。わかっていながら平然と線を踏み越えてくるのだ。そこに躊躇いはなく、割り切りが凄まじいのが他の犯罪者と異なるところかもしれない。
理性的な面もあるくせにどこまでも己の感情やその場の気分に従っている。だから言動が二転三転したり、整合性の付かないことが多々あるのだ。嵐が人格を持った存在。シャリアはそんなことを言っていたが納得がいく。
誰からの指示も受けず、どんなときも好きなように振る舞う。次に何を仕出かすかわからない制御不能な男。結果として多くの者に被害を及ぼし、時に大きな恵みを与えることもある。人によって義賊のように映るのもそのためだ。
「俺が言っているのは学校のことだけじゃないよ。そろそろじゃないかな」
時計を見ながら雅樹が呟くと、勢いよく扉が開かれた。入ってきたのは厄介な人物。竹刀を背負っており、一人だけ戦場にいるみたいだ。
「こんなところで何してんのよ。学校に戻るわよ」
店の雰囲気に合わない剣幕で詰め寄る。腹の底から響く声音は怒りに染まっており、眉根には深い皺が刻まれていた。熱気が肉体から立ち昇っている。鋭い視線がガデスに突き刺さるが特に気にした様子はない。
「ちゃんと話しただろ。幼馴染の加納未可子だよ」
改めて説明するとぽんと手を叩く。この生活を送るうえで要注意人物の一人だが、ここまでくるともう投げやりになっている。問題を起こさないようにとか、なるべく違和感なくとか、そんな段階はとっくに超えているからだ。
「とにかく喧嘩だけはしないでよ。お願いだから。ほんとに頼むよ」
何度も何度も念押しする。神に捧げる祈りよりも遥かに切実である。大人の対応をしてくれなどという贅沢は言わない。手を出さないでくれればいい。何しろ明らかに相性が悪そうな二人である。
「そんなに熱くなるなよ。ここは茶を楽しむ場所だぞ。これだから常識のないガキは困るんだ」
両介の願いなど簡単に打ち砕かれた。火に油を注いでおり、明らかに機嫌が悪くなっている。
「自分が何をしたかわかってるの。警察や救急車もきて学校は大騒ぎになってるのよ」
「そりゃ面白そうだ。冷やかしに行くのも悪くないな。ポップコーンはあるか?」
「ホットケーキとクリームソーダなら用意できるよ」
「アイスは二個入れてくれ。氷は少なめにしてくれや」
「真面目に聞きなさい!」
まるで響いていない幼馴染を見て、我慢できなくなったのか机を叩く。食器の擦れる派手な音が店内の空気を壊した。
「喧嘩したいなら余所でやりな。他の客の迷惑になるぞ」
これほど説教が似合わない人間もいない。自分のことなど棚に上げまくっている。話が通じないため、未可子はもどかしそうにしていた。
「というか何吸ってんのよ」
「キャンディには見えないだろ。これくらいでガタガタ言うな。お前らはうるさすぎるんだよ」
盛大に煙を吹かしながら笑ってみせる。もちろん咳き込むのもセットだ。未可子の刻まれた皺が形を変えていく。怒りではなく困惑のものだ。
「本当にどうしちゃったのよ。何かあったの?」
心配というよりもどこか気味悪がっている。未可子の気持ちが両介には痛いほどわかった。もしも自分が同じ立場なら似たような思いを抱くだろう。冷静に受け入れている雅樹の方がおかしいのだ。
「男の子は三日も会わないと別人になるんだよ。成長してると思え」
「かなり入り組んだ方向に曲がっていると思うがね」
「曲がったのは足の方だよ。頭も痛くなってるけどな」
重い息を吐きながら肩を竦める。これまでのストレス全てが込められていた。想像以上に窮屈なのかもしれない。
「と、とにかく学校に戻るわよ。おばさんたちもあんたを捜してるわ」
携帯電話などとっくに電源を切っていた。泣き叫ぶようなコール音を聞くたびに母の顔が浮かぶからだ。どんな思いでいるのか想像したくない。
「おふくろさんたちのことは何とかしておくさ。任せておきな」
何も考えていないようにしか見えない。全く頼りにならなかった。
「市川、ここにいたのか。捜したんだぞ」
扉が開く音と共に担任の声が店内に響く。二人と一匹の視線が自然と入口に向くが、そこに立っていたのは知らない老人だった。奇妙な空気が席に流れていく。
「待ちなさい。まだ話は」
「待てと言われて待つバカがいるか。そんなサービス精神はツケにしといてくれや」
とっと逃げ出してしまう。不意を衝かれたためか追ってくる気配はない。あまりにも見事な逃げ足だった。ご丁寧におかわりの入ったカップと鞄も持っている。
「い、今の君がやったの」
聞こえてきたのは確かに担任の声だった。本人と間違うばかりの完成度である。そんなことができるのはガデスしかない。
「あんなもんただのモノマネレベルだ。くそダサいから騒ぐなよ」
本人はひどく不満そうで苛立ちすら込められていた。数々のドジを踏んでいるので忘れそうになるが、目の前にいるのは宇宙に名を轟かす大泥棒だ。変装など朝飯前だろう。本人の態度を見る限り、両介の肉体じゃなければ、老人や子供、女性にだってなりきるかもしれない。
「でもあれでいいの。確かに問題は起きてないけどさ」
「注文の多い奴だな。喧嘩しないでやったんだからありがたく思えよ。あんだけ怒ってたら普通は拳骨が飛んだりするもんだぞ」
「元凶は君だろ。あとカップを置け。零すよ」
「やなこった。こんなもん爆弾盗んだときに比べりゃ楽勝だって、あちち」
走りながらコーヒーを啜っているが、何滴かは制服にかかっていた。
「さっさと案内しろ。この町のことは知らないんだ」
放課後に情報収集するつもりだったが、予想外のアクシデントですっかり予定が狂ってしまった。ガデスの意見に同調するわけじゃないが、学校に戻っても碌なことにならないのは両介もわかっている。仕方なく案内を始めるのだった。
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