第3話 宇宙から来た刑事


「少しは落ち着いたかな」

 ひとまず廃工場から離れた一人と一匹は空き地で状況を確認しあう。自分に慰められるというのは妙な気分だった。

「あ、あの、これはどういうことなんですか。どうして僕はこんな」

 今すぐにでも目を閉じて耳を塞ぎたい。逃げられるならとっくに逃げている。

「詳しくは私にもわからないが、どうやら君を巻き込んでしまったようだ」

 申し訳なさそうに頭を下げる。さっきから自分の顔をした人間が喋ることに強烈な違和感が生じていた。他人からはこんな風に見えるのだろうか。不快感はないがむず痒くて仕方ない。


「というか僕の話していることが通じるんですか」

 今更な質問をしてみる。会話ができているので当たり前なのだが、それでも気になってしまった。両介には自分の声が聞こえているが、相手にはどんな風に聞こえているのだろうか。姿かたちは紛れもない猫なのだ。

「不思議なことにちゃんと言葉が聞こえているよ。人間と話しているのと変わらない」

 微笑みながら答える。会話に困ることはなさそうだ。自分の顔をした誰かは、今まで両介がしたことがないような真剣な顔を浮かべると、ゆっくりと口を開く。


「信じられないかもしれないが最後まで聞いて欲しい。私は宇宙警察局特別犯罪対策五課に所属している刑事シャリア・サンライズ。わかりやすく言うなら宇宙人といったところかしら」

 言っていることが理解できず、何度も瞼を動かす。もしこれが人間ならだらしなく口を開けていたところだが、嘘をついているようには見えない。

「私はある凶悪犯を追っていた。奴の宇宙船に乗り込んだまではよかったけど、事故に遭ってあの廃工場に不時着したの。恐らくあのときに何かが起こったんだと思う」

 あまりにも荒唐無稽であり、普段なら信じることなど到底できないだろう。夢を見ているとか、催眠術にかかっているとか言われた方がまだ信用できる。

 だがくだらないと切って捨てることなどできない。脳裏に焼き付いた記憶が一気に浮かび上がったからだ。

 世界から忘れ去られたような廃工場。他人の目や声が届かない場所は冷たい空気に支配されている。安らかな静寂を打ち破る轟音。天井を突き破った一つの光は網膜を焦がすほど眩しく、崩れ落ちる瓦礫の中を真っ直ぐに落ちてくる。


「あの光はカモフラージュのためだ。流れ星や隕石に見えるようにね」

 ぶるりと震え、毛が逆立つ。呼吸が途切れ、視界が歪む。今になって恐怖が訪れた。猫の身体でなければ、心臓を抑えている。死んでいてもおかしくなかったのだ。

「ま、待ってください。じゃあどうしてこんなことに。これも事故のせいなんですか」

 掠れた声で問い質す。事故に遭ったのはわかったが、問題はどうして身体が入れ替わっているのかだ。

「それもわからないの。こんなことは初めてだから」

 沈痛な表情で答える。理解できない状況の中で彼女も不安なのだ。それでも冷静さを繕っている。両介を少しでも不安にさせないためだ。


「ただこの事態を招いた男は知っている。ほぼ間違いなくその男の仕業でしょうね」

 確信を込めた口調。迷いのない瞳が虚空を睨みつける。

「あなたが追っていた凶悪犯ですか。でもあなたの話が本当ならそいつはもうどこにもいないんじゃ」

「いいえ。少なくても遠くには行っていない。あの衝撃なら宇宙船はボロボロになっているはずだから」

 瓦礫や金属片は落ちていたが、目立った残骸など見つからなかった。宇宙船を隠したのか、何とか飛ばすだけ飛ばして、一時的に廃工場から離れたのかもしれない。


「この星から脱出する手段は限られているの。ある意味奴を追い詰めている状態ね」

 シャリアが手短に説明する。この星は銀河の外れにあり、宇宙船を直すパーツはほとんどなく、技術も足りない。修理屋などという施設もない。宇宙船を抱えて逃げることは不可能だ。


「結局元に戻るにはどうすればいいんですか」

 行きつくところはそこである。両介にとって犯人がどうとか、事故の原因とかよりも遥かに大事なことだ。

「あの男を捕まえるしかない」

 聞くまでもなくわかっていた答え。謎を知っているのはその凶悪犯だけなのだ。

「一生このままなんてことはないですよね」

 力なく呟くと視界が滲み、足元が震えてくる。ただでさえ理解不能な状況である。受け入れることを脳が必死に拒んでいた。

 だが両介の意思や気持ちなど無視して状況は進んでいる。これは揺るぐことのない現実なのだ。寝て起きれば元に戻るなんていう都合の良い話は存在しない。しないのだが縋ってしまう自分がいる。事実を事実として受け止めるのはどれだけ困難なのか。


「ごめんなさい。私には謝ることしかできない。あなたを巻き込んでしまったのは他でもない私だから」

 これで何度目だろうか。シャリアは本当に反省しており、両介を気遣っている。被害者の痛みを自分のものとして感じている。

「こんなことを言う資格なんてない。それでも言わせてほしい。私は何があっても君の味方だ。必ず君を元に戻して見せる」

 伸ばした手は力強さに溢れていた。真摯な表情は太陽のように明るい。どんな不安や絶望も吹き飛ばしてくれる輝き。根拠など何一つなくても信じられる。不思議な安心感を得ていた。

 聞いているはずの声も見慣れた顔もそこにはない。今ならはっきりと理解できる。心の底から納得できる。目の前にいる人間は市川両介の顔と形をしているが、本当に別人なのだと。


 気づけば自然とその手を取っていた。繋いだ手から優しいぬくもりが伝わってくる。本当の顔など見たことがなく、どんな人間なのかもわからない。それでも信じられる確かなものが存在していた。


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