9
元の世界に戻ると、そこはまだ夜明け前だった。時間は遡行世界で進んだ分だけ戻っている。ツゲンが危険地帯を抜けて街へ戻る間に陽が昇り、世界が明るく照らされる。
「よぉツゲン。今日は朝早いんだな」
マーケットの店員が話しかけてきた。
「今日はどうする、いい鉄塊を仕入れたんだ。買ってくかい?」
「……あぁ。そうするよ」
気前のいいツゲンに店員は満足そうだった。ツゲンは、自分が本当に過去に戻っているのか疑問に思っていたが、この買い物によって過去にツゲン自身が困惑したことはしっかりと覚えている。
「これがそれだったのか」とツゲンは手に持った鉄塊を見つめながら言う。
「なにか言ったか?」店員が首を傾げている。
「いや。なんでもない」
ツゲンはそう言ってマーケットを後にした。
考えることはたくさんあった。ロボットに襲われていた町の光景が記憶に焼き付いて離れない。次はこの街の番だろうか。ついに戦火がこの街にも届いてしまうのだろうか。だとしたらどうすればいいのだろう。しかしこの街と外の世界では時間の進行が逆なのだから、この街にまで戦火が広がるならばそれは過去にすでに起こっているはずだ。遡行世界に足を踏み入れたことでツゲン自身もわずかに時を遡ってこの街に戻ってきた。いやそもそもあの世界はなんだったのだろう。ツゲンが直したロボットと同じ型のロボット軍。その世界から来たと思われるレーカは何者なのか。あの町の人々は? このまま自宅へ向かって歩けば、自分は過去の自分と会うだろうか。この日のこの時間、自分はなにをしていただろう。思い出そうとするが、頭の中がグルグルしている。
ツゲンは自然と速足になっていた。自宅が近づいてくる。ガシャンと大きな音が鳴った。一体なにごとだろうとシャッターが開け放たれたガレージから中に入ると、レーカがあらゆるものを壊して暴れていた。
「この! この! この! この!」
顔を真っ赤にしたレーカが、涙を流しながらガレージ内の工具という工具を投げ散らかし、作業台をひっくり返して、窓を割っている。
「レーカ! どうした!」
ツゲンが声をかけるとレーカはキッとツゲンを睨みつけ、そして、躊躇うようにして目を逸らした。
「全部、思い出した」ギリリと唇を噛んで、彼女は言う。「全部思い出したの」
「……君はだれなんだ。外の世界のことを知っているのか」
「あなたこそだれなの。ここはどこ!? 私の町はロボットに襲われて破壊された。お父さんもお母さんも友達もみんな、銃と火炎放射器で無残に殺された! ロボットたちは南からやってきた。あなたが直したロボットが、私の町を襲ったんだ!」
ツゲンは言葉を失った。遡行世界でみた町は彼女の町だった。そしてその町を襲っていたロボットはたしかにツゲンが修理したロボットと同じ型だったが、だからといって自分が直したロボットが彼女の町を襲ったなどと断定できるだろうか。可能性がなくはないが、確実にそうだともいえないはずだ。ロボットたちは心を取り戻し、戦地とは逆方向に歩いて行った。彼らは殺戮から離脱したロボットだ。人間と戦争をしているロボットたちとは違う。きっとそうだ。
レーカは明らかに混乱していた。彼女は、先ほどまで憎悪の瞳を向けていたツゲンに対し、今度は子どものように抱きついた。
「連れていって」とレーカは言った。「私が出てきた尖塔に。その塔が、私の町と繋がっている」
「わかった」ツゲンは即答したが、少しだけ頭の中で考えていた。「けど、少し休んでからにしよう。荒れ地は危険な動植物がわんさかいる。ちゃんと装備を整えてからじゃないと、そもそも尖塔に辿り着くことすらできないから」
いま行けば、おそらくあの町の戦闘に巻き込まれてしまうだろう。少なくとも数日は稼ぎたいところだった。そうすれば――あの町の時間は過去に向かってる。ロボットたちが押し寄せる前の世界に行くことができれば、彼女の大切な人たちはまだ死んでいない。救い出せる可能性すらある。みなこの街に来ればいいのだ。この街は安全だ。それは今この平和な時間が存在していることこそがその証明になっている。過去に彼女や彼女の大切な人たちがこの街を訪れている様子はないが、それはツゲンが知らないだけだ。もう一人の自分がこの街にいたことすら気付かなかったのだ。それに時間の辻褄なんて合わせなくても、問題はなにもない。未来も過去も変えればいい。
「……うん」とレーカは応じた。そして、スッと目を閉じて身体をふらつかせる。ツゲンが慌ててその身体を支えた。ツゲンの腕の中で、レーカは気を失うようにしてスースー寝息を立てて眠ってしまった。ロボットを追いかけて遠くまで行き、記憶の開花もあり、心身ともにかなりの疲労があったのだろう。
ロボットが一体やってきた。ギィギィと不調そうな音を鳴らし、ツゲンを見つめている。
「お前たちに、心はあるのか?」と、おもむろにツゲンは問いかけた。
「……サァ。ドウナンダロウ」ロボットはそう言うと、錆びた節々を軋ませながら空を見上げた。「デモ、今日ノ空ハ、トテモ赤クテ綺麗ダト思ウ」
「……そうか」
「ネェ、モシ空ガ青クテモ、僕タチハ空ヲ見テ美シイッテ思エルノカナ」
「あぁ。きっと思えるよ」
ツゲンはレーカを抱え、彼女の部屋のベッドに横たえた。
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