第85話「別れ」

「異世界との交信か。いずれ自由に行き来できるよう、研究に励まなけらばな」

「はい。お父様にぜひ見てほしい景色や場所がたくさんあるんです」

「そうか。それを拝むまで、まだまだ死ねんな」


 心なしか、彼の口元が綻んだように見えた。

 やっぱり家族思いのいい親父さんじゃないか、と微笑みながら、瀧本は心の中で呟く。


 アシュリーの父親は、今度は矢野たちに目線を向けた。


「君たちをここに招待したのは、アシュリーたちと深く親交を持ち、かつ彼女の正体を知っているからだ。君たちからの意見を……と思ったのだけれど、どうやらそれもいらないようだな」

「どうして、矢野さんが私の正体を知っていると?」

「ああ、少し覗いたのだ。向こうの世界から、こちらの世界を」


 とんでもないことをさらりと暴露された。

 しかしこんな空間を用意できるのだから、今さらもう驚きはしない。

 もはや「何でもありだな」とさえツッコミを入れてしまう。


「だからいずれ、この世界と我々の世界を繋ぐ方法を探して見せよう。それまではしばしの別れだ」

「……! はい! お父様も、それまでお元気で」


 アシュリーが涙を浮かべた。

 釣られてナタリーも雫をこぼす。


 2人の父親は手招きをして、2人を優しく抱きしめた。

 その表情に威厳は全く見られない。

 優しい父親の顔だ。


「大きくなったな、2人とも」


 頭を撫でるその様子はまさに子供へのそれだった。

 なんだか心がほっこりとする。

 いつか自分もああいう父親に……瀧本は未来の自分と、現在のアシュリーの父親との姿を重ねながら、3人を眺めた。


 どれほど時間が経っただろう。

 彼は抱擁を解き、2人に別れの言葉を告げる。


「こちらの世界のことは心配しなくていい。跡継ぎもちゃんと考えてある。もっとも、まだまだ現役でいるつもりでいるがな。若い者に負けるつもりはない」

「お父様もお身体にお気をつけて。ほらお姉様、最後にお伝えしなければならないことがあるでしょう?」


 ナタリーはグイっとアシュリーの左手を父親の前に差し出す。

 それを見た彼は、目を見開かせ、ポーカーフェイスを崩した。

 瀧本とアシュリーに向けて何度も目線をやる。


「……そうか、彼と」

「はい。結婚することになりました」


 アシュリーは瀧本の手を引っ張り、父親の前に連れてくる。

 改めてこういう場で結婚相手の父親と対峙すると、ばくんばくんと心臓が激しく鼓動を打つ。

 存在を保つのが難しいくらい緊張している。


「えっと、その……」

「語らずともよい。アシュリーが選んだ人間だ。きっと素晴らしい人であるに違いない」

「……疑わないんですね、僕のこと」

「当然だ。君を疑うことは、すなわちアシュリーを疑うことになる。自分の育てた娘を信じることができずして、何が親か」


 ものすごい自信だ。

 だけど、同じくらい愛情を感じる。

 その愛と、同じくらいの思いをアシュリーに注げるだろうか。


 ……いや、同じじゃなくていい。

 自分なりに、彼女を愛せばいいのだ。

 そう思えたら、緊張の糸も一気にほぐれた。


「絶対にアシュリーを悲しませるようなことはしません。必ず彼女のことを幸せにします。だからどうか、アシュリーを僕に下さい」


 深々と瀧本は頭を下げる。

 一生に一度のお願い、と言ってしまうとすごくチープに聞こえてしまうけれど、実際そうなので何とも言えない。


 アシュリーの父親は、ただ静かに、瀧本に返事をする。


「必ず幸せにしてあげなさい。そして、自分も幸せになること。これが守れなかった場合、君を許すことはできない」

「……はい、必ず!」


 彼に誓った。

 宣言した以上、下手なことはできない。

 身が引き締まる思いだ。

 きっと今以上に、アシュリーのことを愛することができるだろう。


「では、さらばだ」


 そう言ってアシュリーの父親はもやとなって空間の中に消えていく。

 白い空間は瞬く間に崩壊し、瀧本たちは元の世界に帰ってきた。

 先ほどまで一緒にいたアズベルトたちはいない。

 おそらく元居た場所に戻ったのだろう。


「爽太さん」


 アシュリーは隣で微笑んでいた。

 ぎゅっと、彼女の手を握る。


「いろいろ任されちゃったな」

「でも爽太さんなら、きっと私を幸せにしてくると信じてます。もちろん、私もあなたのことを幸せにしますよ?」

「そう言ってくれるととても嬉しいね」


 肩を寄せ合い、肌を寄せ合い、瀧本はアシュリーを抱きしめる。

 やっぱり温かい。

 このぬくもりが、いつまでも続きますように。


 そんなことを思っていると、スパン! と後頭部を誰かが叩いた。


「あまり私の前でいちゃつくな。腹立たしい」

「あら、嫉妬ですか?」

「ナタリー、ハグしてやろうか」

「貴様の抱擁などいらん!」


 アシュリーがまた瀧本を叩こうとすると、部屋の電気がついた。

 想定していた以上に速い電気の復旧だ。

 明かりのある部屋って、こんなにもぬくもりを感じるんだな。


「とりあえず部屋に入ろう。ここは寒い」

「そうですね、そうしましょう」


 瀧本はアシュリーと手を繋いだまま部屋に入る。

 振り返って空を見た

 遠くの空は、青く澄み渡っていた。

 2人の幸せを祝福するかのように。

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