第81話「帰還命令」

 突然の帰還命令に、アシュリーたちは言葉を失ってしまった。

 それは瀧本も同じで、何も反論することはできなかった。


 しかし、なんとなく察していた。

 この暮らしが、永遠に続くわけではないと。

 いつか、彼女たちと別れる日が来るのではないかと。


 いざその日になってみると……やっぱり嫌だ、離れたくない。

 今までの彼女たちとの日常を全部消し去りたくなんかない。

 これからもずっとそばにいてほしい。

 そう願うのはわがままだろうか?


 言葉が出なかった瀧本に対し、アシュリーは強い目で言い放った。


「私は……帰りません。爽太さんと、この世界で一緒に生きます」


 アシュリーは瀧本と腕をかわす。

 まるで恋人がするそれのように。


 初めて、彼女の未来を聞いた気がする。

 いつか、似たようなことを訪ねたとき「まだよくわからない」「今はこの毎日を楽しみたい」と言っていたけれど、それはその場しのぎの言い訳としか思っていなかったし、今回のように何かのきっかけがなければずっとそうなるのかもしれないとすら考えていた。

 けれどそうではないと改めて認識し、別れを覚悟したけれど、アシュリーはそれが嫌だという。


 嬉しかった。

 そういうことを言われるのは初めてだったから。

 

「戦いしか知らなかった私に、爽太さんはいろんなことを教えてくれました。獣に成り下がろうとした私を、爽太さんは救ってくれました。だから私は、一生をかけて彼に恩返しがしたい。そう決めたのです」

「ほう。アシュリー、もしや人間に惹かれたかと言うのか」


 父親に問われ、アシュリーは顔を赤くしながら、「はい」と静かに、しかし強い口調で答える。


「私は、爽太さんのことを愛しています」


 瀧本の隣で、ぎゅっと彼女は彼の手を握る。

 小さく震えていた。

 きっと、怖いのだろう。

 あの鋭い目に睨まれたら、さすがのアシュリーも委縮してしまう。


 大丈夫、と言葉にする代わりに瀧本も彼女の手を優しく握り返す。

 もう何度アシュリーの手を握っただろう。

 彼女が不安になるたびに、優しい言葉と共に手をつないだ。

 ただそれだけで、不思議と心は落ち着きを取り戻す。

 それは瀧本にとっても同じだった。


 ぎゅっと彼女の手を握り、アシュリーの父親と対峙する。

 顔色一つ変えない彼は、立っているだけで威圧感がある。

 でも、ここで引いてしまったら、彼女を守ることはできない。


 アシュリーの父親は、今度は瀧本の方を向く。


「君は、どう思っている。娘のことを」

「僕は……」


 言葉に詰まった。

 今、言うべきなのだろうか?

 本当はもっと雰囲気のある場所で、彼女だけに伝えたかった。

 だけど彼女は、アシュリーは言ってくれた。

 自分がどうしたいのか、それを親に伝えるために。

 だから自分も、覚悟を決めなければならない。


 ぎゅっとアシュリーの手を握り、すう、はあ、と呼吸を整える。

 深呼吸すると、不思議と気持ちは落ち着いた。


「僕も、アシュリーのことを愛してます。だから、これからもアシュリーたちと一緒にこの世界で暮らしていきたいです。もちろん、あなたの仰ることの理由もよくわかります。このままではまた、イーヴルのような奴がこの世界に迷い込んでしまうかもしれない……でも、僕はこの世界でアシュリーやナタリー、それにアズベルトと出会って、毎日が楽しくなりました。これからも、僕はこの世界でみんなと楽しく過ごしたい」


 言った後、カーっと頬が熱くなる。

 でも、言ってよかったと瀧本は思った。

 ようやく、自分の中の気持ちを整理することができたのだから。


「私も」


 ナタリーが口を開く。


「私も、ここに残ります。おそらくアズベルトも、そう思っているでしょう」


 アズベルトもナタリーの方を向き、ニコッと微笑みながら頷いた。


 ふむ、とアシュリーの父親はは溜息をついた。

 やはり、思うところがあるのだろうか。


「一晩やろう。一晩、お前たちに考える時間を与える。一晩あれば考えも変わるだろう」

「わかりました。ですが、私の考えが変わることなどありません」


 アシュリーはそう言い放った。

 実の親とはいえ、国王だ。

 なのにこうまでもズケズケと言えるのは、本当に肝が据わっているとしか思えない。


「そうか……では、失礼する」


 アシュリーの父親は顔色一つ変えず、蜃気楼のようにその場から姿を消した。

 次の瞬間、白い空間は突如として消失し、周りには見慣れた光景が広がっていた。

 無事に元の世界に戻ってこれたみたいだ。


「きっと、考える時間が欲しいのはお父様の方なのでしょうね」


 クスクスと微笑み、アシュリーは瀧本の隣で手を握る。


「嬉しかったです。私も、ずっと同じ気持ちでしたから」

「え、ああ、うん……こんな形になっちゃったけど」

「構いません」


 そこから、しばらく手を繋いだままでいた。

 寒空の下だったけれど、彼女が隣にいてくれたからか、心はぽかぽかと温かかった。

 部屋の中からアズベルトがニヤニヤした様子でこちらの方を眺めていたけれど、気にも留めなかった。

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