第79話「一晩経って」

 一夜明け、瀧本は目を覚ます。

 昨日は何も食べず、風呂にも入らず、そのままアズベルトたちと眠ったんだった。

 暖房もすべて滞っているため、毛布を何重にもくるんで床で雑魚寝をした。

 寝心地は当然最悪で、できればもう二度とやりたくはない。


 アシュリーはまだ眠ったままだった。

 つきっきりで回復に充てていたナタリーも眠っている。


 二度寝を決め込もうかと考えたけれど、目が冴えてしまった。

 瀧本は毛布から身体を脱出させ、ベランダに向かい、再び街を眺める。


 荒れ果てて草木の一本も生えていない、あの惨状。

 一晩経ち、落ち着きはしたものの、やはりあの強烈な体験は頭から離れない。


 凍てつく風が肌を突きさす。

 戻ろうかと振り返ると、ナタリーが出てきた。


「アシュリーの様子は?」

「問題ない。疲れて眠っているだけだ。しばらくしていれば目を覚ますだろう」

「そうか、良かった……」


 瀧本は安堵し、白い息を吐いた。


 ナタリーは瀧本の隣に立ち、同じように街を眺めた。

 ただまっすぐじっと、何かを思い返すように。


「貴様がいなければ、きっとお姉様は人間としての繋がりを絶たれていたと思う」

「それはアシュリー本人も言ってたよ。けど、僕は何かをやり遂げたつもりはない。アシュリー自身が自分に打ち勝ったんだ」

「それでも、お姉様にとって、貴様こそが自我を取り戻すトリガーだったのだ。悔しいが、貴様にならお姉様を任せてもいいと思う」


 なんだ嫌味か、と言いたくなった。

 いや、いつもよりも素直な言葉だと思う。


 しばらく沈黙が流れる。

 そして、ナタリーは白い息と共に口を開いた。


「……お姉様を救ってくれて、ありがとう。感謝している、爽太」


 耳を疑った。

 普段感謝の言葉なんて姉であるアシュリー以外には滅多に使わないのに。


 隣で彼を見つめるナタリーの頬は、冬の影響もあっていつもよりも赤く染まっているように見えた。


 ナタリーは続ける。


「私は、お姉様が貴様と出会えて本当に良かったと思っている。きっと貴様がいなかったら、お姉様はあの戦いで、命を落としていたかもしれない。仮に生きていたとしても、お姉様がこうして戻ってくることはなかっただろう。どちらにしろ、貴様には本当に感謝している。本当に、ありがとう…………」


 鼻をすすりながら、ナタリーは「ありがとう」と、何度も何度も繰り返した。

 その姿に瀧本は動揺してしまう。


「僕、アシュリーの力なんかにはなれてないよ。それよりも、ナタリーやアズベルトたちの方がもっと頑張ってたと思う。僕、見てるだけだったから」

「いいや、貴様は決して見ているだけなんかじゃなかった。貴様がお姉様に声をかけてくれなければ、お姉様は完全に力に飲み込まれてしまって、人間に戻れなくなっていた。お姉様が力を最大限に引き出せたのも、貴様の存在があったからだ。お姉様は貴様を信じていた。必ず元の場所へ連れ戻してくれると」


 すると、コツンコツン、と窓をノックする音が聞こえた。

 振り返ると、アシュリーが柔和な笑みを浮かべてこちらの様子をうかがっている。


「アシュリー、もう、大丈夫なのか?」

「ええ。もう元気ですよ」


 窓を開けた彼女は、ふん、と両腕を上げ、元気であるというアピールを見せた。


「無理しないでくださいお姉様」

「大丈夫です。今はすこぶる体調がいいんです。ナタリーが治癒してくれたおかげですね。ありがとうございます」

「いえ、私は当然のことをしたまでで……」


 ふふ、と微笑をこぼしたアシュリーは、瀧本の方を見る。

 やはり彼女の笑顔を見るだけで、心が穏やかになる。


「爽太さん、私、あなたがいなかったら、私は人間ではなく、獣としてこの世界を滅ぼしていたでしょう。ですが、それを止めてくれたのは紛れもなくあなたです。本当に、私を救ってくれてありがとうございます」

「あはは、やっぱり照れるな……」


 アシュリーは深々と頭を下げた。

 ナタリーもアシュリーと一緒に頭を下げる。

 瀧本自身の中では特別なことを行ったつもりはない。

 けれど、自分の行いで誰かが救われたのなら、それもいいかな、と思い始めてきた。


 また、いつもの平和が待っている。

 アシュリーの作った手料理を食べて、ナタリーとわーぎゃー騒ぎながら、矢野と飲んだり、アズベルトたちと遊んだり、そんな日々が待ってる。


 自然と瀧本の口角が緩んだ。

 2人もそれにつられて笑う。

 こうやって笑い合っている時が一番楽しい。


 だが、幸せの顔は唐突に終わった。


 アシュリーとナタリーは突然険しい顔になり、何かを警戒するように周囲を見渡した。

 部屋の中で寝ていたアズベルトとガーネットも起床し、ベランダまで出てきた。


「おいおい、どういうことだよ」

「そんな、信じられない…………」


 アズベルトとナタリーは、イーヴルがアシュリーを蹂躙していた時に見せていた畏怖の顔を浮かべた。

 アシュリーも同じで、何も言葉が発せていなかった。


 彼女たちが察した異様な空気を理解できていない瀧本は、アシュリーに尋ねてみた。


「何が起きたんだ。まさか、またイーヴルが──」

「いえ、違います。ただ、父が……お父様がこの世界にやってきました」


 

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