第69話「傷」
「…………んっ」
目が覚めるとそこは瀧本の家だった。
見慣れたリビング、見慣れたインテリア。
紛れもない彼の家。
ついさっき謎の少女に襲われて、それで死んだはずだったのだけれど……。
「気が付いたか、瀧本!」
隣でナタリーの声が聞こえる。
彼女の声に応じるように、瀧本は身体を起こそうとする。
すると、肩にズキッと激しい痛みが走った。
「いってえ!」
「無理するな! まだ横になっていろ!」
慌ててナタリーはぐるぐるに巻かれた瀧本の左肩に手をやった。
すると、彼女の手が優しい緑色に輝き、それと同時に肩の痛みも徐々にではあるが消えていく。
「ナタリー、これって……」
「私の能力だ。お姉様が風邪を引かれた時は動揺して何もできなかったが、今ようやく力を使うことができた。どうやら私は平和ボケしていたらしいな。軍人としてあるまじき失態だ」
「そんなことないよ。それは、君がこの世界に馴染んだってことでしょ? それはとってもいいことだと、僕は思う」
「……だが、状況が状況だ。もうそんなものは通用しなくなっている」
どういうことだろう、とは訪ねなかった。
言いたいことはなんとなくわかる。
多分、彼女たちとの別れが近づいているのだろう。
「まだ傷はちゃんと回復していないから、しばらくは安静だ。しかし、あの傷で生きていること自体奇跡だ。お姉様には感謝しないとな」
「え……」
そういえばアシュリーはどこだ。
さっきまで一緒にいたはずなのに。
まさかあの少女にやられたんじゃ……。
嫌な予感だけが頭の中を駆け巡る。
彼女が傷ついている姿なんて、もう二度と見たくない。
安静、と言われたにもかかわらず、瀧本は取り乱し、きょろきょろと周囲を見渡した。
「アシュリーはどこだ? 無事なのか?」
「落ち着け。お姉様は無事だ。今、自室で少し休まれている」
「そ、そうか……」
無事、と聞いて瀧本は少し安堵した。
どうやらアシュリーがここまで命からがら運んでくれたらしい。
「よくあのイーヴルから逃げられたね。僕、てっきりあそこで死んだかと思った」
「お姉様だからな。なんとか撒いたのだろう。今はここを結界で守っているから、しばらくは安全だ。だがいつまで持つか……」
なんだかとんでもないことになってきた。
アシュリーの腕を見たとき、普通の人間ではないんだなと驚愕はしたものの、普通の人間と何ら変わらないのは一緒に暮らしていてわかった。
しかし、やはりこうして向こうの世界の片鱗を見てしまうと、改めて同じ人間ではないのだと痛感してしまう。
リビングにアシュリーがやってくる。
生気を失くした顔だ。
さっきまでの笑顔はどこにもない。
「爽太さん…………」
既にアシュリーは涙目になっていた。
瀧本も、アシュリーの無事を確認出来てほっと胸を撫でおろす。
「……無事で良かったよ、アシュリー」
「でも、私、あなたを救えなかった。私が近くにいたのに、あなたを守れなかった……ごめんなさい、本当にごめんなさい…………」
ボロボロと、彼女は涙をこぼした。
あれは誰のせいでもない。
むしろアシュリーがあの時アクションをしてくれなければ、瀧本はは確実に死んでいた。
瀧本は自分自身の胸に手を当てた。
どくん、どくん、と心臓の鼓動が伝わってくる。
この世界で、まだ生きている証拠だ。
「大丈夫。僕はちゃんと生きている。たとえ腕が一本なくなっても、僕は君がいればそれで充分だよ。だからもう自分を責めないで」
「……でも」
「でもじゃない。僕はアシュリーに感謝してる。命の恩人だよ。本当にありがとう」
初めてアシュリーと出会った日のことを思い出す。
あの時のアシュリーは酷く衰弱しており、もしかしたらあの時アシュリーが出会っていなければ、おそらく彼女はあの時に死んでいたかもしれない。
恩返しがしたい、とアシュリーは常々言っていた。
それが今日、こんな形で返せたのだ。
本人は納得がいっていないようだが、十分すぎる恩返しだ。
アシュリーは窓の外を眺める。
街は……瀧本が知っているのどかな風景とは少し異なっていた。
遠くの方だが、黒煙が立ち込めている。
炎が燃え盛っているのも視認できた。
おそらくイーヴルの仕業だ。
「行かなければ……」
「お待ちください! まだ身体は完全に回復しておりません!」
「いえ、これでも十分戦えます。それに、イーヴルは私を追ってこの世界までやってきました。なら、私がその責任を取ります」
勢いよくアシュリーは窓を開け、振り返って瀧本の方を見る。
ニコッと微笑む彼女の表情は、痛々しいくらいに悲しかった。
「アシュリー……」
「ごめんなさい、爽太さん」
それだけ呟いて、彼女は戦場へ赴いた。
これは、アシュリーなりのけじめなのかもしれない。
あの厄災をこの世界に招き入れてしまった、自分に対する責任でも取るつもりだろう。
「自分一人で背負うなよ……」
ポツリと呟き、瀧本はゆっくりと起き上がる。
もう痛みはほとんどない。
ナタリーの医療魔法にも感謝しなければならない。
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