第5章
第68話「邪悪襲来」
2月になり、寒さも一段と厳しくなってきた。
手袋やマフラーをしないと耐えられないくらいに寒い。
休日のある日、瀧本はアシュリーと夕飯の買い出しついでに散歩に出かけていた。
いつも通りの街並み。
何の変哲もない、平和な毎日。
「爽太さん、もうすぐバレンタインですけど、どんなチョコが欲しいですか?」
そういえばもうそんな季節だったな、とふと思った。
学生の頃は誰からもらえるだろうと淡い期待を抱いていたけれど、もらえたのは母親からの義理いたチョコレートだけだった。
昨年は矢野から市販のチョコ菓子をもらった。
今年は……少し期待したい。
「そうだな……どんなのでも嬉しいな」
「それは市販のものでも?」
「そう、だけど。もしかして手作りチョコ作ってくれるの?」
「はい、一応。ですが、市販の板チョコを溶かしたものをかたどるだけなんて、手作りと言っていいのでしょうか……」
「あー……」
別にどうでもいい、と言い切ってしまえばそれまでだが、最近作る料理が職人顔負けになってきているアシュリーにしてみれば、やはり疑問に思うところはあるのだろう。
とはいえ、手作りだと言えば手作りだし、瀧本自身そこまでこだわりなんてない。
「アシュリーのおまかせでいいよ。でもそこまでこだわりたいのなら、とびっきり美味しいチョコ作ってよね」
意地悪そうに瀧本は笑った。
フフンと鼻息交じりだった。
このくらいでアシュリーが怒らないことは、既に把握済みだ。
「…………はい。わかりました。私、精一杯頑張ります。覚悟してくださいね?」
上目遣いでアシュリーは言う。
覚悟……一体どのくらいのものになるのだろうか。
きっと甘さや苦さが丁度いいバランスで、今まで食べたことがないくらい美味しいチョコレートなんだろうな。
なんて考えていたら、楽しみで仕方がない。
アシュリーがこの世界に来てからもうすぐ一年が経とうとしている。
そのお祝いに、瀧本は何か出来たらいいなと思っていた。
いつもはアシュリーに作ってもらってばかりだから、たまにはごちそうを作ってあげたい。
とはいえ料理の腕はないし、サプライズで驚かせたいからアシュリーに頼るわけにはいかないし……。
なんて、ほのぼのと考えていたところ、突然アシュリーはピタリと足を止めた。
隣で歩いていても、彼女がただならぬ緊張感を漂わせていることがわかる。
「……どうしたの?」
呼びかけてみても、反応はしてくれなかった。
そんな、どうして……と、ぶつぶつと独り言をつぶやくだけだった。
いつもと様子が違うことは明らかだ。
「ねえ──」
その時だ。
背後から何かが瀧本たちに迫ってくるような感覚が襲い掛かる。
くるりと振り返ると、眩い光が瀧本の目の前に迫っていた。
かわす時間すらない。
おそらくあれに当たれば死ぬ。
よけなきゃ、と思っても、身体が動かない。
「爽太さん!」
アシュリーの声は聞こえるが、身体が言うことを聞いてくれない。
動け、動け。
そう念じてみても、足は思うように動かない。
すると、アシュリーは瀧本の右腕を引っ張った。
おかげで足を動かすことが出来た。
が、レーザー光線は瀧本の左肩を貫いた。
「…………うぐっ!」
傷口は見れななかった、というか見たくもない。
ただ今まで味わったことのないような痛みが瀧本を襲う。
直撃なら多分即死だっただろう。
「やっほー、アシュリー。やっぱり生きてたんだぁ」
無邪気な女の声が空から聞こえる。
薄れゆく意識の中、瀧本は光が発射された方角を見た。
信じられないが、中学生くらいのシルエットが浮かんでいた。
人型で、しかし両腕は禍々しい様子になっていて、邪悪な笑みを浮かべているのが遠くからでもわかった。
「…………イーヴル。あなたどうやってこの世界に」
「簡単なことだよぉ? ちょーっと世界の壁をぶち壊してやったんだぁ」
ふつふつと、アシュリーの怒りが伝わってくる。
おそらく彼女──イーヴルと呼ばれたあの少女こそ、アシュリーに深手を負わせ、アズベルトとナタリーをこの世界に迷い込ませたすべての元凶。
イーヴルは右手をかざし、再び光をチャージする。
「なぜ爽太さんを狙うのですか? 彼は関係ないはずです」
「あるよぉ。だってさぁ、その男、アシュリーの大切な人なんでしょぉ? だったらちゃんと守ってあげないと。そいつ、死んじゃうよぉ?」
「……外道め」
鋭い眼光をアシュリーは放つ。
こんな顔、今まで一度も見たことがない。
憎悪と怒りに支配された顔。
それが、瀧本が見たアシュリーの最後の顔だった。
だんだん意識が薄れていく。
痛みもどんどんひどくなっていく。
このままだと本当に死んでしまうかもしれない。
走馬灯まで見えてきた。
出会ってから今日まで、いろんなことがあった。
そのどれもが楽しくて、幸せで、もっとアシュリーとこんな時間を過ごせたらと思っていたのに。
それがこんな形で終わってしまうなんて。
「ごめんなさい、爽太さん」
意識が途切れる瞬間、そんな言葉が聞こえたような気がした。
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