第66話「鍋」

 ナタリーも橙色の振袖に着替え、瀧本たちは近くの神社に向かう。

 小さな敷地なので、そこまで人は込み合っていないけれど、神社の祭壇の前には行列ができていた。


「出店はないんだね、残念」

「規模が小さいからな」


 すると腹の虫がどこからか鳴った。

 矢野に目を向けるが、彼女は首を横に振った。

 ならば……とアシュリーとナタリーに視線をやった。

 案の定、アシュリーはぷいとそっぽを向き、なぜか腹部を隠すように手で覆う。


「君は相変わらずだね」

「すみません。ちょっとはしゃいでいたもので」


 彼女が言った「はしゃぐ」というのは、おそらく先ほど瀧本を連れて外に出たことを指しているのだろう。

 なかなか強烈な体験だったけれど、アシュリーが満足しているのならそれでいいや、と今では思っている。


 とはいえ、おせちとお雑煮を食べた後に腹が鳴るそのシステムは意味が分からないけれど。


「うーん、近くに屋台は出てないからなあ。いっそのこと都心の方に行ってみる?」

「それなら私、アズベルトたちのところに行ってみたいです」


 ええ、とナタリーは少し驚いた声を出す。

 恵子が経営している店は隣県にあるから、ここから電車で大体1時間以上はかかる。

 しかし昨年の夏以来一度も伺っていないから、たまには足を運んでみるのもいいのかもしれない。


 しかし今日は正月だ。

 おそらく店は休みだろう。

 急に押しかけても迷惑だろうか。


 早速連絡しますね、とアシュリーはアズベルトたちに連絡を取る。

 すぐにOKが出た。

 本当に寛容な人たちだ。


「今から行きましょう!」

「行くって、どうやって」

「そりゃあ、レンタカー?」

「いきなりは借りられないぞ。矢野は車持ってないのか?」


 あるわけないじゃん、と矢野は口を尖らせる。

 仕方ない、と瀧本は経路をスマートフォンで調べた。


「電車で1時間半、それでも行く?」

「もちろんです」


 想定通りの答えだった。

 瀧本は何も言わず、スマートフォンを閉じる。


 いつの間にか境内の前に立っていた。

 4人は賽銭を投げ入れ、手を合わせる。


 アシュリーたちと、これからも幸せな日々を過ごせますように。

 神に祈り、境内を後にする。


「みんなは何をお願いしたの?」

「私は家内安全を」

「私はお姉様に蔓延る虫の排除だ」

「2人ともつまんないのー、ぶう」


 そう言う矢野はどうなんだ、と瀧本が尋ねたら、彼女は「給料アップ」と答えた。

 矢野も矢野でつまらないじゃないか、と口に出そうになったけれど、言ったら絶対戦争になるからやめた。

 それに、余計な追及は墓穴を掘りかねない。


「じゃあ瀧本くんはどんな願い事したの?」

「まあ、似たようなもんだよ。健康第一」

「一番つまんなーい」


 少し言葉を変えた。

 そのまま伝えたら、きっといじられることは目に見えている。


 その後、瀧本たちは電車に乗り、アズベルトたちの住んでいる住宅街へ向かう。

 正月ということもあり、晴れ着を着た人をちらほらと見かけた。


「今年もさ、みんなで一緒に騒いで、楽しい1年にしたいよね」


 矢野がそう呟く。

 その言葉には瀧本も同意だ。

 こんな日々が、いつまでも続いてくれたら、と何度願ったことか。


 経路の案内通り1時間半かかった。

 瀧本たちはアンティークショップ兼喫茶店であるラルクアンシエルに足を運んだ。

 案の定「本日閉店」という看板があったが、アシュリーは気にせず中に入る。


「いらっしゃーい。お、みんな勢ぞろいだね。ほら入って入って。今から鍋にしようと思ってたところだから」


 恵子の朗らかな声が瀧本たちを出迎える。

 テーブルの上にカセットコンロが置かれていて、土鍋には白菜やら豆腐やらがたくさん入れられていた。

 喫茶店らしさは微塵もない。


「鍋、なんですね」

「そう。今日は寒いから。それにみんな来るって言われてたしね。あ、安心して、ちゃんとデザートは作ってあげるから」


 わーい、と矢野は子供のようにはしゃぎながら鍋を囲む。

 取り皿に野菜を次々と入れていき、次々と頬張る。


「美味しいです」

「実家から送られてきた野菜なの。遠慮せずにどんどん食べて」


 食欲のリミッターを外したように、アシュリーもひょい、ひょい、と食材を口にしていく。

 しかし着物の帯のせいでなかなか胃に入らないらしく、首をかしげては帯を外そうとする場面も見受けられた。


「はしたないですよ、お姉様」

「だって、思ったより入らないんですもの」

「十分食べられたでしょう? 太りますよ」


 うぐ、とアシュリーはちらりと瀧本の方に目線をやり、罪悪感を感じさせるような顔で鮭の切り身を食べる。

 ナタリーの言う通り、この時期は美味しいものばかりだから油断していたらすぐに太ってしまう。

 もし家に体重計があったらきっとアシュリーはショックで膝から崩れ落ちてしまうだろう。


「そんなの気にしちゃだめよ。食べられるうちにちゃんと食べなきゃ」

「……そうですよね!」


 まるで吹っ切れたかのように、その後アシュリーはたくさん食べた。

 これで太り気味になることは間違いないだろうけれど、彼女が幸せならそれでいい。

 そもそも、アシュリーのことだから太る姿なんて想像もつかないのだけれど。

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