第63話「静かな夜に」
矢野たちが帰宅するとあれだけ賑やかだった部屋は一気に静まり返る。
今は食器を洗う水の音だけが部屋に響いていた。
瀧本はアシュリーと一緒に食器を洗うのを手伝う。
ナタリーは飾りつけを処分していた。
自分で飾り付けたものばかりだから、名残惜しそうではあったけれど。
「あっという間でしたね」
「そうだな。騒がしかったけれど、とても楽しかった」
「私もです」
ふふ、と懐かしむような少し物悲しい笑みを彼女は浮かべた。
矢野たちが帰ってからそこまで時間は経過していないけれど、それでも寂寞の思いに捕らわれるには十分すぎたのだろう。
洗い物を終えて、片付けもひと段落ついて、それぞれ静かな夜を過ごす。
瀧本はベランダに出て、冷蔵庫の中にあった缶コーヒーを開けた。
今日はいつもより一層冷え込んでいる。
はあ、と白い息を吐き、空を見上げると、雪がパラパラと降り始めていた。
今日もホワイトクリスマスになりそうだ。
「風邪、引きますよ」
アシュリーが声をかける。
ああ、と返事をしたが、瀧本は部屋には入らない。
もう、とアシュリーも瀧本の隣に並んだ。
ご丁寧に上着まで用意している。
「これ、着てください。何か羽織るものでもあった方がいいでしょう」
「ごめんね、わざわざ」
「いえ。健康が大事ですから」
はあ、と彼女も白い息を吐き、両手を合わせてさすさすと摩擦する。
その仕草が妙に人間臭くて、思わず吹き出してしまった。
「どうされました?」
「いや、何でもない」
「何でもないことないじゃないですか」
むう、とアシュリーは頬を膨らませた。
なんだか出会った頃よりも人間味が随分と増したような気がする。
皇族としての気品は保ちつつ、親しみやすさが随分と増えた。
きっと、向こうの世界だとさらに人気を集めることだろう。
……向こうの世界。
最近はなるべく考えないようにしているつもりだが、それでもふとした瞬間に思ってしまう。
いつか、アシュリーたちは向こうの世界に帰ってしまうのだろうか。
きっとそれが本来あるべき姿なのだろう。
彼女は次期国王で、国の未来を託されている。
こんな平凡な人間のところにいつまでも居座っていいはずがない。
「向こうに戻ったらさ、きっとこんな風にみんなで馬鹿みたいに騒げないよね」
「でしょうね。皇族や貴族には気品が何よりも求められますから。堅苦しい会合ばかりになるでしょうね」
「それって、辛くないの?」
「慣れてますから」
いつもの柔和な笑顔だ。
その表情が仮面かどうか、半年以上一緒にいた瀧本でさえ見破れなかった。
普段はよく感情が表情に表れているから忘れていたけれど、やはり皇族であるから本心を隠すのが上手い。
「アシュリーはさ、元の世界、帰りたいって思ってる?」
前にも同じ質問をしたような記憶があるけれど、改めて尋ねてみる。
彼女は沈黙した。
下を向き、まるで回答することから逃げているように見える。
「何とかして帰らなければならないという使命感が半分、この世界で爽太さんたちと楽しく過ごしたいというわがままが半分。若干後者の方が思いは強いですね」
アシュリーにとって、激動の毎日だったと思う。
慣れない土地にやってきて、慣れない文化に触れながら、それでもすぐに順応していって、知らなかったことを知れて、貴族社会では体験することなんてできなかったことを日々学んでいって。
そんな日々を、アシュリーなりに楽しいと思えているのかもしれない。
とはいえ彼女は次期国王であるから、彼女の帰りを待っている民は大勢いることだろう。
国を捨てるか、一人を捨てるか。
「ま、最初は向こうに帰る方法を探すところからだけどね」
「それなんですけど、おそらくそれは難しいかと」
神妙な面持ちでアシュリーは答えた。
「どうして?」
「私とナタリー、そしてアズベルト。この世界にやってくる前、共通していたのが、強いエネルギーの発生があったこと。ナタリーとアズベルトは何者かが発したエネルギーによって、私の場合は、エネルギー同士のぶつかり合いによって、おそらく空間に歪みが生じ、この世界にやってくることができたのだと思います」
「つまり、こっちでもそれくらい大きなエネルギーが生み出されたら向こうには帰れるんだな?」
「理論上は。ですがそれをするにはかなり神経質なコントロールが必要になりますし、もし少しでも間違えれば街が消し去ってしまう可能性も」
またそれだ。
いったいどんな原理なんだと恐怖と通り越して少し好奇心が勝る。
とはいえそれが今最も可能性のある方法ならば、それに賭けるしかない。
とはいえ。
「それ、アシュリーはできるの?」
「だから難しいって答えたんじゃないですか」
となれば、今後もこの世界で居座り続けるという選択肢が濃厚だ。
ほっと滝本は胸をなでおろす。
コンコン、と窓を叩く音がした。
振り返ってみると、ナタリーが2人分のマグカップを用意している。
瀧本の分は彼が缶コーヒーを飲んでいるからいらないと判断したのだろう。
「ココアを淹れたんです。よろしければぜひ」
「そうですね。ここは冷えますし、早く戻りましょう」
アシュリーにとって幸せな日々を歩めていけますように。
そんなことを思いながら、瀧本はリビングに戻った。
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