第59話「ホワイトクリスマス」

 12月24四日、クリスマスイブ。

 この日、瀧本はアシュリーと一緒に出掛けることになった。

 といっても仕事の帰りなので、あまり遠くには行けないけれど。


「ごめん、遅くなった」

「いいえ、待っていませんよ」


 退勤すると、アシュリーがマフラーを巻いて滝本に小さく手を振った。

 冬服仕様だ。

 白いモコモコのマフラーは彼女によく似合っている。


「ごめんなさい、わがままを言ってしまって」

「ううん、大丈夫。たまにはこういう日も悪くないよ。それよりもナタリーも一緒じゃなくてよかったの?」

「アルバイトが忙しいみたいで」

「それは残念だ」


 とはいえ、こうして2人だけでどこかに出かけるなんて今まであっただろうか。

 ナタリーが瀧本たちと一緒に暮らすようになってからはずっと3人だったから。

 まるでデートみたいだ。


 ……デート。

 想像しただけで少しむずがゆくなる。

 まさか、アシュリーが誘ったのって……。


「爽太さん?」

「な、なに?」

「どうかされたのですか?」


 不思議そうにアシュリーは瀧本の顔を覗き込んでくる。

 その表情がいつもより艶やかに見えて、不覚にもときめいてしまった。

 雑念を払うように、瀧本はぶんぶんと首を振る。


「何でもない。ちょっと考え事してただけ」


 この気持ちを静めるには、もう少し時間がかかりそうだ。


 やってきたのは、少しお高いレストランだ。

 こういうタイミングでなければ絶対来ない場所で、高級な店内の様子をはじめ、慣れない雰囲気に瀧本は飲み込まれそうになる。


「僕、こういうお店、初めて来たから、結構緊張してる」

「私もです。皆さん格好も少しおしゃれですし、なんだかいつもと違う雰囲気で肩身が狭いですね」


 はにかむアシュリーだったけれど、向こうの世界ではここより胃の痛くなるようなお食事会をしてきたことだろう。

 すべて瀧本の空想でしかないから実際はどうなのかわからないけれど、やはり少し慣れているのかアシュリーは気品ある立ち振る舞いをしていた。

 周囲の人たちもチラリチラリと彼女を一瞥する。

 それほど、アシュリーにはオーラがあるということだ。


 予約していたので、料理はつつがなく運ばれてくる。

 普段体験することのないフランス料理だ。

 料理を口に運ぶたびに、アシュリーと瀧本は舌鼓を打つ。


「とても美味しいです。ぜひ私のラインナップに加えなければ」

「はは、お気に召して何より」


 きっとアシュリーならこの店と肩を並べるくらい美味しいフランス料理を作れることができるだろう。

 それはそれで楽しみだが、こうやって非日常の空間で食べる料理も彼女の手料理では味わえない。

 こういうものは、場の雰囲気も含めて楽しいのだ。


「見てください、爽太さん」


 アシュリーは窓の外を指さした。

 パラパラと雪が降り始めている。

 ここはあまり雪が降らないから、こういう景色は少し珍しい。

 しかもこの感じだと積もりそうだ。


「向こうの世界では、冬は厳しかったんでしょ?」

「そうですね。毎年多くの餓死者が出ていました。なんとかしてあげたいと思いつつ、何もできない自分が歯がゆかったです。でも、ここではそんなこともない……なんだか心が温かくなります」


 それはこの世界の都合のいい一部分しか見えていないからだ、なんて絶対口にしたくない。

 それはアシュリーも重々承知の上だ。

 だったらもう何も言うまい。


 窓の外を眺めながら、滝本は白ワインを飲む。

 どんどん吹雪いていき、まるで豪雪地帯のような光景が目の前で繰り広げられている。


「今日、帰れるかな」

「帰れる、と思いますよ。ここから家まではそう離れていませんし」

「そうなんだけど、うーん」


 今朝見たテレビの天気予報では何も言っていなかった。

 夜になって雪が降るとか、それがものすごい吹雪になるとか、何一つとして情報が入っていない。

 最近は異常気象がよく起こるけれど、まさかこんなイレギュラーな天気に直面するなんて。

 傘でも持ってきたらよかったな、と少し後悔の念が押し寄せる。


 ピコン、とスマホの通知が鳴った。

 同じタイミングでアシュリーもスマホを確認する。

 メッセージはナタリーからだった。

 おそらくアシュリーも彼女からのメッセージを確認しているのだろう。


「ナタリー、今から迎えに来てくれるそうです」

「だな。本当に申し訳ない」


 フランス料理の余韻に浸りながら、滝本たちはしばらく席で談笑する。

 といってもいつも一緒にいるから、目新しい話題なんて見つからない。

 滝本が仕事の話をすれば、アシュリーは少し顔を暗くするし。


「いっそのこと、そ、爽太さんの、専業主婦に、なっちゃおうかな、なんて、考えてみたりして……なんて、冗談ですよ、冗談。ごめんなさい、忘れてください」


 あはははは、と笑うアシュリーは明らかに動揺していた。

 ぱたぱたと手で顔を仰ぎ、耳を赤く染め上げる。

 恥ずかしいなら言わなければいいのに。


 連絡から数分、ナタリーから「到着した」というメッセージが届いたので、会計を済ませて店を出る。

 傘をさしたナタリーは少しむすっとした表情で2人を見つめていた。


「帰りますよお姉さま。あと瀧本も」


 へいへい、と返事をし、2人は傘の中に入る。

 窮屈だが、とても暖かかった。

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