第58話「いとおしい時間」
翌日、瀧本はいつもより少し早めに起きると、アシュリーがいつものように台所に立っていた。
「おはようございます、爽太さん」
「……駄目だよ、休んでなきゃ」
彼女はいつも通り元気そうだったけど、何かあっては大変だ。
放っておけば普通に家事をしそうだし、その最中に倒れてもらっては困る。
「今日は僕が家事するから、アシュリーはゆっくり休んでて」
「お仕事はよろしいのですか?」
「休みをもらった。だから今日は僕が家事をするよ」
でも、と言いかけたアシュリーを瀧本は制した。
「治りかけが一番危ないんだ。まだ身体は弱ってるだろうし、ここで無理をするとまたぶり返しちゃうかもしれない」
もっとも、致命傷になりそうな大怪我でさえ一晩で治癒してしまったアシュリーにとって、この程度の風邪なんてどうということでもないのだろう。
とはいえ、心配だ。
気遣ってくれてありがとう、と言葉をかけ、瀧本は朝食の準備をする。
手つきは慣れてるけれど、アシュリーほど上手くは作れない。
心配そうに見守るアシュリーの視線に気づいた瀧本は、大丈夫だよと言う代わりに軽くスマイルを送った。
そのタイミングでナタリーが寝室からやってくる。
瀧本の顔を見るとうげえ、と言うような表情を見せた。
どうやら笑顔が気持ち悪かったらしい。
少し作り笑いのような部分もあったから、仕方がない部分もあるけれど、そこまで拒絶反応をしなくても、と内心呟いた。
「いただきます」
朝ご飯も出来たので、3人でテーブルを囲む。
トーストに卵焼き。
予想通りの普通の味。
アシュリーが作ったものよりも完全に劣る。
「僕も頑張らなきゃな」
「そんなことないですよ? とっても美味しいです」
アシュリーは褒めてくれたけれど、実際瀧本自身でもそれが彼女の優しさだというのはちゃんとわかっている。
ははは、と笑うことしか出来なかった。
彼女の食欲はいつも通りだ。
問題なくご飯も食べている。
「今日一日はゆっくり寝て、身体を休めて。動きたい気持ちも分かるけど、駄目だよ」
「はい……」
しゅんと、アシュリーは肩を下げる。
動きたい気持ちはわかるけれど、念には念を、だ。
ナタリーがバイトに行くのを見送り、瀧本は一通りの家事を済ませるべく奮起する。
よし、と意気込み、洗濯物や洗い物、部屋の掃除などできる限りの家事を行った。
手際がいい、とはあまり言えない。
こういう時に改めてアシュリーの容量の良さを実感する。
西へ東へ掃除機をかけたり、3人分の食器の洗い物をしたり、やることは多い。
あっという間にお昼過ぎになってしまった。
「アシュリーは、これを全部ひとりでやってるんだな」
やはり感謝してもしきれない。
「お疲れ様です。手伝えることはありますか?」
「大丈夫。今終わったところ。それよりも、君、これを毎日やってるの、すごいね」
「そんなことないですよ。私にはこれくらいしかやれることがありませんから」
とはいえ、尊敬に値することだ。
彼女がいてくれるから、毎日が快適に暮らせる。
……多分、そういうことではないのだろう。
家事をしておかないと、自分の居場所がないと、そう思っているのかもしれない。
それを取り上げられた今、彼女の存在価値とは……。
アシュリーはいつも通りの笑みだった。
しかしその奥にどんな感情がこもっているのか、皆目見当もつかない。
杞憂だったらいいのに、と願いながら滝本も微笑んだ。
「熱は大丈夫?」
「ええ、平熱でした」
「なら、お昼ご飯作るのを手伝ってくれないかな」
「わかりました!」
返事をするアシュリーの声は、少し高ぶっているように聞こえた。
今日の昼食はうどんだ。
一応アシュリーにとって食べやすいように、と意識したものだが、この様子だと完全に復調しているだろう。
瀧本がうどんをゆで、その間アシュリーはかまぼこなどの具材を揃えていく。
特に難しい工程でもなんでもない。
むしろ瀧本だってできる。
だけど今はアシュリーにとってこんな簡単な作業すら、生きがいだと思えてしまうのだろう。
「僕は、君に感謝してる。君と出会っていなかったら、毎日がこんなに豊かになるなんて思っていなかっただろうから」
「どうしたんですか? いきなり」
「いや、ちょっと言いたくなっただけだよ」
隣で微笑みながらアシュリーは瀧本の話に耳を傾けた。
軽く流しているつもりだろうけれど、表情からは喜びがにじみ出ている。
「私も感謝してます。平和な毎日が、こんなにもいとおしいものだとは知らなかったから。この日々の大切さを教えてくれてありがとうございます」
「僕は何もやってないよ。むしろ、やってなさ過ぎて甘えているんじゃないかって思ってるし。実際そのせいで君は身体を壊しちゃったから」
「それは奏太さんとは関係ありません。私が体調管理を怠っていたせいです。私のほうこそ、もっと頼られたいのに」
「そう? なら、これからも頼ろうかな」
「はい、お願いします」
そんなやり取りをしながら、うどんは無事に完成した。
アシュリーが手伝ってくれたおかげか、今までのうどんで一番美味しかった。
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