第57話「風邪」

「……ううう、頭痛い」


 その日の夜、アシュリーは身体を壊し、37度の発熱を始め、頭痛と身体のだるさを訴えた。


「アシュリーはとりあえず寝てて。病人はじっと寝てるのが一番だよ」

「すみません……」


 申し訳なさそうにアシュリー横になる。

 散歩の途中からアシュリーの症状は悪化の一途を辿っていた。

 それでも頑なに帰ろうとしなかったから、身体を壊したのだろう。


「お粥、作ってくるよ。ナタリーはアシュリーのこと見張ってて」

「ああ」


 部屋を出た瀧本は、キッチンで料理の準備を始めた。

 食材は既に冷蔵庫にあったものだ。

 上手く作れるかわからないけど、これで元気になってほしい。


 スマホでお粥のレシピを見ながら瀧本は調理していく。

 たまにアシュリーの料理を手伝っているから、意外と慣れた手つきで作ることができた。


 もうそろそろで完成、というところで、ナタリーが寝室からやってきた。


「アシュリーは?」

「さっきお休みになられた。でもまだしんどそうだったな」

「そっか……ありがとう」


 会話が続かない。

 ナタリーも心配そうな顔をしている。

 いつもは瀧本を敵対視するのに、今日はそんな元気すらなさそうだ。

「お姉様の言っていたことは本当なんだ。私もお姉様が身体を壊したことは見たことがない。幼少期も含めてな。だから、こういう時はあまり慣れてなくて、正直不安なんだ」


 声のトーンが低く、重い。

 妹が姉をどれだけ思っているかがわかる。


 ナタリーは調理している瀧本の後ろに立ち、ぎゅっと服の裾を掴む。

 いつもならありえない行為だ。


「……お姉様は、元気になる、よな? ちゃんと治るよな? 死なないよな? 教えてくれ、瀧本……」


 完全に涙声だった。

 チラリと彼女の方に目線をやると、顔を見られたくないのか下を向いている。

 その華奢な身体に、一体どれだけ多くの不安を抱えているのだろう。

 初めて、彼女の弱い部分が垣間見えた瞬間だ。


「普通の風邪だから、しばらく休めばすぐに治る」

「本当か?」

「ああ。身体に良いものを食べて、ちゃんと寝て、しっかり休めばすぐに治る。それに、アシュリーがただの風邪で簡単に倒れるほど弱くないこと、君が一番知っているでしょう?」

「……そうだな、そうだ。私は、誰よりもお姉様の強さを知っている。だから信じてみるよ、瀧本。ありがとう」


 ナタリーの顔に自信が戻る。

 いつもの覇気のある顔だ。


 よかった、元の彼女に戻ってくれて。


 安堵しながら、瀧本はお粥を完成させる。

 卵などのトッピングは何もない、シンプルな見た目だ。

 お粥の入った土鍋を木製のトレイに乗せ、コンコン、とアシュリーの部屋をノックする。


「アシュリー、入るよ」


 ゆっくり、彼女の部屋の扉を開ける。

 アシュリーはまだ眠っているようだ。

 苦しそうにしている様子もなく、穏やかな表情で静かに寝息を立てている。


 彼女の部屋の机にお粥を置いて部屋を出ようとしたその時だった。


「……爽太、さん?」


 虚ろな目がこちらを覗く。

 アシュリーは瀧本を視認するとゆっくりと身体を起こした。


「起こしちゃった?」

「いいえ。大丈夫です。あ……お粥、作ってくれたんですか?」

「え、まあ、うん」

「ありがとうございます、美味しそうです」


 疲れた笑みを浮かべ、彼女は土釜に手を伸ばそうとした。

 しかしアシュリーがいるベッドから土釜には到底届きそうもない。


「そうだ、小皿忘れてた。ごめん、すぐに取りに行ってくる」


 そう言うと瀧本はキッチンに戻り、小皿と、お粥をすくうためのスプーンを持って、再び彼女の部屋に入る。


「食欲ある?」

「特には。お腹は空いていませんけれど、あれば食べられます」


 その瞬間、ぎゅるるるる、と腹の虫が鳴った。

 瀧本ではない。


 チラリとアシュリーの方に一瞥すると、彼女は目線を逸らし、耳たぶを真っ赤に染め上げていた。


「食欲は問題なさそうだね」

「すみません、お恥ずかしい姿を……」


 瀧本はトレイをアシュリーの方に近づけた。

 彼女は上半身を起こしたまま、土鍋の中のお粥を小皿に移し、ふう、ふう、と息を吹きかけてから口にする。


「美味しいです。爽太さんが作ってくれたんですか?」

「まあね。自身はなかったけれど、喜んでくれたらよかった」


 もぐ、もぐ、とアシュリーは病人とは思えないスピードでお粥を平らげていく。

 ついさっきまでグロッキーだったのに、少し寝ただけでこんなに回復するものなのか。


 そういえば、最初に会った時もそうだった。

 全身傷だらけだったのに、翌日、肌のどこを探しても傷の跡はなかった。

 きっと、彼女が今まで風邪をひいてこなかったのは、元々備わっていた治癒能力にあると思う。


 ごちそうさまでした、とアシュリーは全て完食し、瀧本は空になった土鍋を運んだ。


「これも、アシュリーがこの世界に馴染んだ、ということでいいのかな」


 もしそうだとしたら、少し嬉しい。

 それと同時に、少し悲しかった。

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