第50話「宝くじに当たって」

 社会人に夏休みなるものは存在しない。

 世間で言うところのお盆休みが過ぎると、また市役所勤めという現実と向き合わなければならない。


「おはよ。なんか久しぶりだね。こうして話すのは」

「そうか? そうでもない気がするんだが」

「あたしにとってはそうなんだよ」


 出勤早々、矢野が話しかけてきた。

 PCを起動させながら、2人は会話に勤しむ。


「それよりもさ、今日何かいいことあった? とても嬉しそうだけど」

「別にいつも通りだろ」

「そんなことない。なんというか、いつものオーラと違うっていうか、雰囲気明るくなったね」


 そうだろうか、と自問自答し、「そうかもしれない」と瀧本は返答した。

 今日の朝食は実に美味しかった。

 メニューはいつもと変わらない、トーストに目玉焼き。

 だけど、いつも以上に深い温もりがあったと、瀧本は確信して言える。


 ふふふふふ、と口元が綻んだ。

 その姿が不気味に映ったらしく、うわあ、と少し淀んだ声を矢野は発する。


「いつになく気持ち悪いね。気を付けた方がいいよ」

「うるさい」


 ログインの画面になり、瀧本はパスコードを打ち込む。

 心なしか、いつもよりもタイプする時の打刻音が強かった。


「ねえ、仕事終わったら家に行っていい?」

「家にアシュリーいるからダメ」

「だからじゃん。はい決定」


 有無を言わさず、矢野は資料を運んでいった。


「拒否権はないのか」


 ポツリと呟き、溜息を吐く。

 その後も矢野は意味もなく「ねえねえ」と瀧本の頬をつついたり、膝を小突いたりして、何かとちょっかいをかける。


「何?」

「べっつにー」


 そう言いながら、矢野はにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながらストローを齧る。

 どこで買ったのか、お洒落なフラッペを飲みながら、矢野は再び仕事に取りかかった。

 それほど一緒に飲むのが嬉しいのだろうか?


 定時の時刻になり、瀧本たちは帰宅の準備を始める。

 なおも矢野はルンルンとした様子でご機嫌だった。


「アーちゃんの料理、久しぶりだなあ」

「目当てはそれか」

「うーん、それもあるけど、いろいろ近況報告も聞きたいし?」


 ニヤリ、といたずらな笑みを矢野は浮かべる。

 キリキリと瀧本の胃が軋む。


 朝来た道を矢野と帰る。

 ふんふんふん、となぜかいつも以上にご機嫌だった。

 まさか朝からずっとアルコールを摂取していたのだろうか、と疑いたくなる。


「今日、なんでそんなに機嫌いいの?」

「あのねえ、宝くじ当たったんだ。だからこれで瀧本くんに奢ってあげようかと思ったんだけど、やっぱりいいやって思って」


 昨日たまたま宝くじの売り場に寄ったところ、何か運命的なものを感じたらしく、それで5枚試しに購入してみたらなんと2等である5万円があったらしい。

 ギャンブルとは結構こういう気分で勝った方が当たるのかもしれない。


「すごいね、君」

「へっへーん」


 鼻高々に矢野はふんぞり返る。

 そうこうしているうちに瀧本の家までやってきた。


 鍵は開いている。

 アシュリーが家にいるから。


「ただいま」

「おかえりなさい。あら、矢野さんも一緒だったんですね。丁度夕食の準備ができたんです。よかったら上がっていきますか?」

「わーい、やったー!」


 矢野は瀧本を押しのけ、ずけずけと部屋に入っていく。

 はあ、と溜息をつく瀧本にアシュリーは優しく近づき、彼の鞄を手に持つ。


「お疲れ様です。お荷物持ちますね」

「急にごめんね。矢野が言うこと聞かなくて」

「いえ、矢野さんが来るといつも楽しくなるので、大丈夫ですよ」


 ふふ、と微笑むアシュリーはまるで天使のようだった。

 瀧本は自室で簡単なジャージ姿に着替え、リビングに出た。

 既に矢野は缶ビールを開け、既に晩酌を始めていた。


「遅ーい、瀧本くんも飲もうよ」

「矢野、貴様勝手に上がり込んで酒ばかり飲んで。肝臓がやられても知らんぞ」

「大丈夫大丈夫、アーちゃん、もう1本頂ける?」

「はいはい」


 ここを居酒屋か何かと勘違いしているであろう矢野は、アシュリーが差し出したビールをグイッと飲む。

 飲みっぷりだけはいい。


 テーブルに並べていたのは、てりやき風味のからあげだった。

 こういう日に限って酒と合う料理が出されるなんて、アシュリーには一種のエスパーでも宿っているのだろうか?


 どうぞ、ともう一品出された。

 きゅうりのおつまみだ。


「あー、あたしもアーちゃんみたいな完璧美人になりたかったなぁ」

「矢野さんも十分綺麗ですよ」

「あたしをおだてても何も出ないよ。あ、そうだ、5万円いる?」


 突然矢野は財布から諭吉を5枚取り出す。

 宝くじが当たった、と言うのは嘘ではないらしい。


 当然アシュリーは困惑の色を隠せずに「遠慮しておきます」と少し慌てふためいていた。

 以外にもナタリーの方は「受け取っておきましょう」というスタンスで、その相反する姉妹のやりとりが傍から見ていてとても面白い。


「受け取らないからな」

「あら残念。これはあたしのためのご褒美としてもらっておこう」

「そうした方がいい」


 やれやれ、と肩を下ろし、瀧本も唐揚げを口にする。

 てりやきのたれの辛さが丁度良くて、白米とも相性がいい。

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