第39話「僕の」

 昼になるにつれて、陽が強くなっていく。

 瀧本とアシュリーは設置したパラソルの下で休んでいた。

 ナタリーはレンタルの浮き輪でどこかを漂っているだろう。

 どこか遠くへ行ったとしても、まあ簡単に帰ってこれると信じている。

 アシュリーの実妹なんだから容易いはずだ。


 暑くなってくると、その気温の上昇に比例するように、喉の渇きも酷くなっていく。

 持ってきた2リットルのペットボトルはもう尽きてしまった。


「僕、なんか買ってくるから、ちょっとここで待ってて」

「はい。分かりました」


 よっこいせ、と瀧本は立ち上がり、近くの自販機で飲み物を買った。

 500ミリのドリンクを合計5本。

 烏龍茶にオレンジジュースなど、種類は様々だ。


 冷たくひんやりとした感触が彼の腕を刺激する。

 何か入れ物でも持ってきたらよかったな、と少し後悔しつつ、元のパラソルの場所に戻った。


「え」


 瀧本の目の前に広がっていたのは、あまり見たくない光景だった。

 3人組の見知らぬ男が、三角座りをしているアシュリーの周りにいる。

 ナンパだ。

 気が滅入ってしまう。


 パラソルに近づけば近づくほど、男たちの会話が鮮明に聴こえてきた。


「ねえいいでしょ? 奢るからさ」

「お断りします」

「そんなこと言わずにさあ、暇なんでしょ?」

「留守を任されてますので」

「大丈夫だって、どうせ盗られやしないよ」

「いいえ、信用はできません」


 アシュリーはニッコリとした表情のまま、毅然とした態度を振る舞っていた。

 こういうところはやっぱりナタリーとそっくりだ。

 表情一つ変えないところが、ナタリーよりも不気味さを感じる。


 しかし男たちもなかなか引き下がろうとしない。

 これ以上何を言っても無駄だとわかっていないのか、変わらずアシュリーに声をかけ続ける。


 これ以上面倒ごとに巻き込まれたくない。

 瀧本は再び足を動かす。


「あの」


 男衆3人はギロリと瀧本を睨んだ。

 敵意剥き出しの目に一瞬だけ怯んだが、ナタリーで慣れたため、すぐに平静を取り戻す。


「止めてもらますか? この子、嫌がってるので」

「え、何、彼女? なら悪いけど貰ってくわ」

「ダメです、僕のなので」


 ぎゅっと瀧本はアシュリーの細い腕を掴む。

 柄にもないことを言ってしまったため、すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたくなったが、そうしてしまうとアシュリーを守れない。

 とはいえ、この場を2人で放置してしまったらそれはそれで荷物が盗まれそうで心配だ。


 と、グルグル思考を巡らせているうちに、おい、と男の背中から怒りを含んだ声が聞こえた。

 華奢な手がグイッと男の肩を掴み、彼の背後から真っ赤なオーラを纏ったナタリーが殺意のような目を男たちに向けていた。


「これ以上お姉様の前で無礼な真似をしてみろ。一瞬で首を引きちぎるぞ」


 それがただの脅してないことにさすがに気付いたのか、男たちはすぐさまアシュリーたちから離れていく。


 援軍が来てよかった、と胸を撫で下ろしたのと同時に、その威圧感が浮き輪と一緒だったことがとてもシュールで、少し吹き出してしまった。

 それはアシュリーも同じだったようで、彼女も笑いをこらえるのに必死だ。


「な、なぜ笑うのです?」

「だってその恰好、シチュエーションと全然合っていなくて面白いんです。浮き輪で説教だなんて、そんな、プッ」

「わ、笑わないでくださいお姉様! あれは、遠くからお姉様に絡む不敬が見えたもので、それで、その、心配になって……」

「お気遣いありがとうございます。おかげで助かりました」


 ふふふ、とアシュリーは先程と変わらない笑みを浮かべた。

 しかし男たちに向けたものとは違い、明らかに柔らかさがある。


 少し顔を赤く染めたナタリーは、その恥ずかしさを誤魔化すためか、瀧本の名前を叫んだ。


「貴様、お姉様のことを『彼女』と言ったな」

「言ってない! 言ってない、けど、似たようなことは言った……」


 僕の、と明確に。

 その時アシュリーがどんな顔をしていたのか、ちゃんと見れていない。

 

 またナタリーに罵声を浴びせられるのだろうか、と少しだけ身構えたが、少し違った。


「貴様をお姉様の恋人と認めるわけにはいかん。が、もしあの場に私がいなかったら、ああしてくれた方が良かったかもしれない。そのことに関しては、感謝する、瀧本」

「お、おう……」


 珍しくナタリーが素直に礼を言ってきた。

 いつもは照れ隠しのつもりか文句を一言付け加えるのに。


「私も、爽太さんに助けていただいて、本当に嬉しかったです。実は私、少し不安だったんですよ? 見知らぬ人にあんな風に声をかけられることなんてなかったもので」


 表情からは不安なんてものは何もなかったように見えたけれど。

 だけどそれが社交辞令だとしても、アシュリーの力になることができて、瀧本も少し鼻高々になる。


「あ、そうだ。何か飲み物買ってきたんだ。お気に召すかはわからないけど」


 瀧本はパラソル下に散乱したペットボトルを拾い上げ、クーラーボックスの中にしまう。

 アシュリーは緑茶を、ナタリーはオレンジジュースを選んだ。

 瀧本は烏龍茶を手に取り、プルタブを開ける。

 冷たくて爽やかな夏の味がした。

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