第35話「好きな人」
「んでさあ、ナーちゃんは好きな人とかいないのー?」
「そんなものいるわけなかろう。私は常にお姉様一筋だ」
「えー、つまんないのー」
口を尖らせながら、矢野はからあげを頬張る。
カリッという音が食欲をさらに駆り立たせるのか、ナタリーも回鍋肉を口に運んでいく。
瀧本は少し身を乗り出し、正面に座るアシュリーの話しかけた。
「ナタリーと矢野、すっかり仲良くなったな」
「そうですね。良かったです」
ふふ、とアシュリーもナタリーたちを一瞥して、優しい笑みを浮かべる。
仲良くなんかなっていません、とナタリーは口を挟んだけれど、以前のような棘を矢野に向けることはもうなくなっていた。
瀧本と同じで、相変わらず言葉は厳しいけれど。
ぐびっと矢野は缶ビールを飲み干し、うりうり、とナタリーの頬をつつく。
もうこれで3本目だ。
矢野は未成年であるナタリーに酒は勧めなかったものの、代わりに瀧本にしつこく強要してきた。
最初は断っていたものの、飲め飲めとうるさかったためいつもよりも多く酒を飲んだ。
その結果今ものすごく頭が痛い。
あいたたた、と瀧本は頭を抱え、ズキズキとした痛みを和らげるべくコツコツと頭蓋骨付近を人差し指で軽く叩く。
「横になりますか?」
「大丈夫大丈夫。これくらい平気だから」
心配そうなアシュリーに対して瀧本はいつも通りの様子をしてみせたけれど、現状あまり気分はよくない。
酒好きなら無理強いするなよ、という不満を胸の内に抑えつつ。瀧本は矢野を睨んだ。
矢野は火照った頬を瀧本に向けて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「瀧本くんはさ、やっぱりアーちゃんが好きなの?」
「はあ?」
苛立ちが混じった声を放ち、ズキリ、とまた頭が痛くなる。
助けてくれ、とナタリーに目をやったが、彼女は「お手上げ」と言わんばかりに首を振る。
「さっきからこればっかりなんだ。こいつ、相当酒癖が酷いぞ」
「今に始まったことじゃない。諦めろ」
はあ、とナタリーは溜息をついた。
矢野は止まらない。
アシュリーの背後に回り、ハグをする。
「ねえねえアーちゃんはさあ、瀧本くんのことどう思ってるのぉ?」
「えっと、その、爽太さんは、とても優しい方で、それで……」
「そんなの律儀に答えなくていいから」
ナタリーと協力しながら、瀧本は矢野をアシュリーから引きはがす。
床に横になる矢野を蔑視しながら、ナタリーは言葉を吐き捨てる。
「そういう貴様こそ、想い人はいるのか? 見るからに酒が恋人のように思えるが」
「お酒が恋人かあ。それも悪くないかもなあ。でも残念、気になる人いるんだよねえ、あたし」
ピクリ、と瀧本の手が止まる。
仮にも同じ職場の同期だ。
そんな奴の好きな人には興味が出る。
ナタリーも興味があったのか、さらに踏み込んだ質問をする。
「ほう。貴様のような人間に恋人など出来るのかは疑問だな」
「失礼だなあ。あたしだって恋くらいするよ。まあ、恋人になれるかはまた別だけど」
「なら私が断言しよう。きっと貴様は失恋する。間違いない」
「なにをぉ?」
矢野はゆらりと立ち上がり、ナタリーに襲いかかったが、彼女はひらりと矢野を交わし、返り討ちにした。
大の字になり、矢野は天井をぼうっと眺める。
「痛い」
「手加減はしたつもりだ」
よいしょ、と矢野は再び立ち上がり、荷物をまとめる。
酔いが醒めたのか、足取りはちゃんとしていた。
「ごめんね、迷惑かけた」
「まったくだ。酒はほどほどにしてくれよ」
「うん。次からは気を付ける……けど、今日ちゃんと帰れるかな」
「送ってやろうか?」
「ありがとう、助かる」
呂律ははっきりしているし、意識もちゃんとある。
けれど矢野の体内には膨大な量のアルコールが蓄積されていることだろう。
さすがにそんな人間をほったらかしにするわけにはいかなかった。
「ごめん、留守を頼んだ」
「はい。お気をつけて」
瀧本は矢野をつれて家を出る。
夏の夜にしては少し冷え込んでいた。
これで火照った身体も落ち着きを取り戻すだろう。
「大丈夫か? ちゃんと歩けるか?」
「うん、平気。あんまり飲んでないから」
缶ビール3本も飲み干した人間がよく言う。
とはいえ、いつもの矢野と比べて少ししおらしく感じる。
なんだかんだで矢野も女性なんだ、と瀧本は改めて実感した。
「矢野、何か飲む? 水とか」
「あー、サイダーがいいかな」
公園に差し掛かったところで、瀧本たちは自販機でサイダーを購入する。
瀧本自身、炭酸飲料なんて大学以来口にしていない。
シュワシュワと広がる感覚を懐かしく感じた。
「そういえばさ、矢野、言ってたよな。気になる人がいるって」
何となく尋ねてみた。
じりじりと、夏の湿度が肌にまとわりついていく。
ああ、と生返事をした矢野は、あはは、と誤魔化すような笑いを浮かべ、いつもの元気さを取り戻した。
取り戻した、と言うよりもその元気さで何かを隠したようにも見える。
「教えない。乙女のヒミツ」
「乙女って歳でもないだろ」
「ひっどーい、傷ついちゃった」
はいはい、と呆れながらも、瀧本は再びサイダーを口にする。
無駄に爽やかな味だった。
これが高校生同士の会話だったら、丁度いい味になっていたのかもしれないけれど。
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