第29話「アルバイト」
ナタリーが家に来てから2週間が経った。
仕事のない休日、瀧本は財布の中を見て、はあ、と大きな溜息をつく。
「そんな顔をするな、幸せが逃げていくだろう?」
「ああ、すまない」
すっかりこの家の住人が板についたナタリーは、Tシャツにハーフパンツというカジュアルな格好をしていた。
これは彼女自身のコーデで、フェミニンな服を選ぶアシュリーとは対照的に、カジュアルだったりボーイッシュだったり、そういう服が多い。
「お姉様に貴様の不幸が移ったらどうするんだ」
「気にし過ぎだって」
「気にしすぎなもんか。貴様も男なら、もう少し胸を張ってみたらどうだ」
今でも口は悪いが、以前のような嫌悪感を表に出すことは少なくなっていた。
信用を得たのだろう、と少し嬉しく思う反面、その代償が財布の中身に如実に表れている。
瀧本は自室に戻って、改めて財布の中身を確認し、そして落胆する。
「……お金がない」
アシュリーと出会ってから、彼の貯金は大きく減っていった。
その減り具合はナタリーがやってきてからさらに加速している。
家賃は高くなったし、食費も、光熱費も、洋服代だって、全て瀧本のお金だ。
稼ぎは安定しているものの、このままではいずれ破綻してしまうのは間違いない。
部屋を出ると、ナタリーが相変わらずの不愛想面で声をかけてくる。
「そんな暗い顔をするな。見ていて鬱陶しい」
「ちょっと酷くない? まあ、いいけど」
瀧本の笑顔は暗かった。
はあ、とまたしても溜息がこぼれ落ちる。
「さすがに見過ごせないぞ。何があった」
ナタリーはグイッと瀧本の肩を掴んだ。
その力があまりにも強かったのか、瀧本はグラッと体制を崩してしまう。
大丈夫ですか、とすぐにアシュリーは瀧本のところに駆け寄った。
「大丈夫大丈夫、ちょっと転んだだけ」
「ですが……ここ最近の爽太さんは少し心配です。なんだか元気がないように見えて」
「そんなことないと思う、けど……」
この際だ、2人には正直に話した方がいいだろう。
実は、と瀧本は神妙な面持ちで事実を話した。
瀧本の告白を聞いたアシュリーはショックを受けたように呆然とし、ナタリーはあっけらかんとした様子で豪快に笑う。
「なんだ、そんなことか」
「そんなこととは何ですか! 私たち、生活できないのかもしれないのですよ?」
「それなら瀧本が稼いでくれればいいじゃないですか」
「無茶を言うな無茶を」
呆れたように瀧本は言葉にする。
新卒2年目をそこまで舐めるな、と言いたかったけれど、きっと彼女には通じないだろう。
しかし、アシュリーにはこの深刻さが伝わったようで、どうしましょう、とブツブツ呟いている。
買い物はいつもアシュリーに任せているが、彼女はいつもタイムセールの時間帯を狙って、他の主婦たちと激戦を繰り広げているらしい。
なおかつそれで連戦連勝、しかもスーパーに入ってから去る姿が一貫して優雅だから「
本人はあまり良く思っていないそうだが。
そして、そんな鬼婦人が今は慌てふためいている。
「どうしましょう、このままだと私たちは飢えて死んでしまいます」
「まあ、そこまで急を要することではないんだけどね。でも、なんとか対策をしないといけないのは事実だ。ボーナスはあんまり信用しないでね。なくなる時は一瞬だから」
うーん、と瀧本とアシュリーの2人は頭を悩ませる。
しかし、何も考えていないのか、それとも何事にも動じないメンタルがあるのか、ナタリーはいつものように発言する。
「だったら私が働こう。あるばいと? という制度がこの世界にはあるのだろう?」
彼女の言葉に、2人はハッとする。
そうだ、どうして忘れていたんだ。
労働量ならちゃんとあるじゃないか。
一気に瀧本の目に生気が戻り、みるみるうちにエネルギーが身体中に満ち溢れてくる。
「そうだ、その手があった」
「あの、爽太さん。あるばいと、とは何ですか?」
「最初に言い出した私もなんだが、私も詳しくは知らないんだ」
いいだろう、と瀧本はなぜか立ち上がり、胸を張って2人に教える。
「アルバイトっていうのは、期間を決めて労働することを言うんだ。コンビニの店員だったり、飲食店の店員だったり、いろいろあるけど、やってみるか?」
「なるほど。理解した」
「私も、働いた方がいいのでしょうか」
「できればそうしてほしいと助かるな。けど急がなくていいよ。じっくり、自分に合う仕事を探したらいい」
「自分に合う、か……」
ナタリーは口元に手を当てて、じっと一点を見つめていた。
そういえばナタリーは向こうの世界では治癒能力を生かした仕事をしていたと聞いた。
だったら看護婦などが合いそうだが、そんなバイトは当然ないだろうし、あったとしても資格が必要で、現代医療に基づいた医療行為をしなければならないから、ナタリーにとっては大変だろう。
「何か希望の仕事とか、ある?」
「いや、特にないな。適当に決めてくれても構わない」
「そう? なら勝手に探しておくけれど、文句は言うなよ」
「わかってる。生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。この際なんでもやってやるよ」
そこまで大げさなものではないが、まあいいだろう。
意気込みだけは褒めてやりたい。
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