第26話「騒がしい家」
「じゃあ、僕は仕事があるから、これで失礼するよ」
「はい。あ、今晩はナタリーを家に泊めてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
ナタリー自身は不服そうだが、何も言ってこなかった。
とはいえまだ瀧本へは不信感を募らせているらしく、雪解けするにはまだ時間がかかりそうだ。
「そうだ、まだ全部見て回ってないでしょ? せっかくだから2人で見て回りなよ。家族水入らずでさ」
「ええ。もちろんそのつもりです」
では、とアシュリーはペコリと一礼し、ナタリーの手を繋いで公園を去った。
去り際にナタリーから威圧的な目で見られたけれど、気にせずにふう、と呼吸を置いてイベント本部に戻る。
「お疲れ。隣座って」
本部に戻ると、矢野が頬杖をつきながらムスッとした表情を浮かべて瀧本を睨んでいた。
どうせ先程のことを聞かれるのだろう。
瀧本は黙って彼女の隣に座る。
「あの娘、誰? 瀧本くんの知り合い?」
「アシュリーの妹だよ。すごくお姉さんを慕ってる。ちょっと想いが強すぎるところがあるけどね」
ふうん、と彼女はつまらなさそうに相槌を打ちながら、頬杖の手を反対側にした。
豪快にコンビニで販売されているサンドウィッチを頬張りながら、足を組む。
「行儀悪いぞ」
「このくらい普通でしょ。ズボン履いてるから平気だし」
「そういう問題じゃなくてだな」
なんだか変な方向にやさぐれていたけれど、気にせず瀧本は業務を続けた。
戻る時に購入した缶コーヒーを飲みながら、カタカタと瀧本はノートPCにデータを入力していく。
「デートできなくて残念だったね」
「ぶふっ」
チラリと一瞥しながら、矢野はむしゃむしゃとサンドウィッチを食べる。
いきなり何を言い出すんだ、と憤慨しそうな気持ちを抑え、瀧本は吹き出してしまったコーヒーをハンカチで吹いた。
「別にいいんだよ。というか、まだ付き合ってないから」
「あ、そっかー。家に帰ったらいるもんね。いーなー、あたしも彼氏ほしーい」
自分の不幸をアピールするかのように、矢野は少し子供めいた口調で言った。
とはいえ矢野は顔だけはいいからモテる分類には入ると思う。
だからこんな風にぶうぶうと文句をつけてくるあたり、多分彼女自身に本気で付き合いたいという願望はない。
「とりあえず仕事しような」
「はーい」
矢野はサンドウィッチを包んでいたゴミを近くのゴミ箱に投げ捨てた。
ひらひらと舞ったフィルムは、寸分の狂いなくゴミ箱に吸い込まれていく。
よくこんなものを投げて捨てられるな、なんて思いながら瀧本は仕事を続ける。
イベントは夜遅くまで続いた。
全ての仕事を終え、解散したのは夜の10時になってからだった。
近くでは先輩たちが「この後の見に行く人ー」と無駄にはしゃいでいた。
今日はいろいろあったから早く帰って休みたいけれど、飲みに行きたいという気持ちももちろんあった。
事前にアシュリーには「遅くなるから夕飯はいらない」と連絡しているため、何も問題はない。
が、どうしてもアシュリーの顔を思い出してしまうと、飲みに行こうという感情は泡のように消えてなくなってしまった。
「瀧本くんは帰んなよ」
「え、でも」
「いいから。アーちゃん、待ってるんでしょ?」
ほら行った行った、とお昼の時と同じように矢野は瀧本を無理やり家に帰した。
どうして彼女がここまでお節介をかけるのかは不明だけど、恩に着る。
瀧本は矢野に一礼をし、イベント会場を後にした。
晩御飯はいらない、と事前に言っていたけれど、彼女のことだから多分作り置きが少し残っているはずだ。
なければインスタントのカップ麺でも食べよう。
多分アシュリーからしたらこの上ない侮辱かもしれないけれど。
自宅のマンションの部屋の前までやってきた瀧本は、ガチャリとドアノブをゆっくりと開ける。
タッタッタッと駆ける音が聞こえてきた。
「お帰りなさい、爽太さん」
「ただいま。アシュリー」
いつものようにアシュリーはエプロンを巻いて出迎えてくれた。
袖が捲られているのを見て察するに、どうやら洗い物をしていたみたいだ。
「思ったより早いんですね。飲みに行くから遅くなるかも、とも言っていたのに」
「ああ、矢野が帰れってうるさくてさ」
「すみません、ご飯の準備はもう終わってしまって……作り置きのおかずなら少しあるのですが」
「それでいいよ。お願いしようかな」
わかりました、と彼女は嬉しそうに返事をする。
居酒屋での料理もいいが、やっぱりアシュリーの手料理が一番だ。
リビングに入ると、ナタリーが三角座りをしてぽつんとソファーの上に座っていた。
ギロリと睨む目も相変わらずだ。
「そんなに警戒しなくていいから」
「うるさい」
それだけ言って、ナタリーはプイッとそっぽを向く。
少し肩を落としつつ、瀧本はダイニングの椅子に座った。
冷蔵庫から出てきたのはほうれんそうのおひたしで、電子レンジからはからあげが出てきた。
「ナタリー、よほど美味しかったのか、ほぼ全て食べてしまって。これしか残ってないんです。これも元々明日のお昼に、と思って残しておいたんですけど」
「お姉様!」
当の本人が顔を真っ赤にしてこちらにやってきた。
どうやら、この家は瀧本自身が想像していた以上に騒がしくなりそうだ。
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