第18話「怪物と呼ばれた少女」

 音もなく、アシュリーの右手が元に戻る。

 先程の光景を見てしまったから、いつもの華奢な細い腕から女性らしさは微塵も感じられない。


「ア、アシュリー……」


 ただ呟くことしかできなかった。

 それ以外に、言葉が浮かばない。


 冷たい風が軽く吹き、瀧本の肌を刺激する。

 その冷たさとはまた別の冷気が、この空間を支配した。


「信じてもらえないかもしれませんが、私は、この世界とは違う世界からやってきました」


 きっと、いきなりそんなことを言い出されたら「何を言っているんだ」と軽く流していただろう。


 しかし、あんなものを見せられてしまったら、信じられないものでも信じてしまうしかない。

 たとえそれが突拍子もないことだったとしても。


「この世界と違うって……一体どういうこと?」

「そのままの意味です。と言っても私も詳しいことは知りませんが」


 すう、と一呼吸置き、アシュリーは話を続ける。


「まことしやかに噂されていた言い伝えがあったんです。私が住んでいる世界と、別の世界が存在している、と。嘘だと思っていたのですが、まさか異世界に飛ばされるなんて…………」

「なんで、君はこの世界にやってきたの?」

「それは……戦いに巻き込まれたから、です」


 なおアシュリーの表情が曇っていく。

 それでも彼女は、話すのをやめない。


「この世界に来る前、私は、とある人間と戦っていました。人間……と呼んでいいのかわかりません。なんせ私と同じような『怪物』だったもので」

「怪物……」


 あの日、アシュリーと出会ったあの日を思い出す。

 傷だらけで、ボロボロだったのは、おそらく戦いを経てこちらの世界にやってきたからだろう。

 どんな相手と戦ったのかはわからない。

 ただ、彼女と同じ「怪物」だとしたら、あれだけの傷を負っていたのも納得できるし、すぐに傷が治ったのも普通の人間ではないから、ということで合点がいく。


 瀧本は頭を抱え、くしゃくしゃと髪を掻いた。


「なんで、僕にそれを話してくれたの?」

「隠し事を、したくなかったんです。このまま隠し続けているのは、あなたを裏切っているような気がして。そう思ったら、やはり真実を告げるしかないなと」

「なるほど……」


 はあ、と溜息をつき、瀧本はまた髪をくしゃくしゃにする。

 まだ頭の中で情報の処理は追いついていない。

 それに、今目の前で起きたこと、聞いたこと、全て信じろと言われても時間がかかる。


 だとしても、変わらないことだってある。


 ポン、と瀧本はアシュリーの頭に手を置いた。


「僕は、アシュリーの話を信じるよ。まだ全てを理解することはできないけど、さっきの話に嘘は見当たらないように思える。それに、君の正体がなんだったとしても、君は君だ。これからだって、それは変わらないよ」


 瀧本は優しくアシュリーの髪を撫でる。

 彼女の瞳がエメラルドに輝き、潤んだ目から一筋の光の線が流れた。


「私……普通じゃないんですよ」

「関係ないよ」

「怪物、なんですよ?」

「怪物なんかじゃない。アシュリーはアシュリーだ」

「でも、私、私は…………」


 アシュリーは顔を抑え、静かに肩を震わせる。

 すすり泣く彼女を慰めるように、瀧本は彼女を包み込んだ。


「君がどんな姿になったとしても、僕は君を拒絶しない。君がもう戦わなくてもいいように、居場所を作ってあげよう。だから、これからも僕と一緒に暮らしてほしい」

「瀧本さん……」


 しまった、プロポーズになっていないだろうか、なんて思慮していたら、アシュリーはぎゅっと瀧本を抱きしめ返す。


「嬉しいです。私、これからもあなたと一緒に暮らしていきたいです」


 しばらく沈黙が流れる。

 彼女の肌はとても暖かくて、普通の人間と変わりはない。

 何が怪物だ。

 何も変わらない一人の人間じゃないか。


 沈黙を破るように、ぐうう、と2人分の腹の虫が鳴る。

 瀧本とアシュリーはお互い見つめ合うと、プッと吹き出した。


「お腹が空いたね。帰ったらご飯にしようか」

「なら、夕飯の支度しますね」

「いや、まだカレーがあったから、それにしよう」


 2人は手を繋ぎ、夜景を眺めながら駐車場へと戻る。

 また、アシュリーに元気な笑顔が戻ってきた。

 それは決して「怪物」などではなく、ただ一人の「人間」の顔だ。


 この笑顔を、守っていきたい。

 そう決心するように、瀧本はぎゅっと彼女の手を握った。

 アシュリーもその心に応じるように、固く手を握り返す。


 車を走らせ、自宅のマンションに戻り、冷蔵庫を開ける。

 タッパーをレンジで温めている間、アシュリーはコンビニで買った野菜サラダを卓上に並べていた。


「サラダくらい作りましたのに」

「いろいろあって疲れたでしょ。今日くらい家事はゆっくり休みなよ」

「……では、お言葉に甘えて」


 冷凍していた白米も温め終え、瀧本たちは「いただきます」と声を揃える。

 冷凍ご飯に少し温め切れていないカレーという、それにコンビニのサラダという少し雑な食事だけれど、昨日よりも十分美味しく感じられた。


「明日からは、ちゃんと作りますね」

「じゃあ、任せようかな」

「はい!」


 カレーライスを頬張りながら微笑むアシュリーは、とてもキラキラと輝いていた。

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