第16話「アシュリーの告白」

 テーブルには案の定カレーと、野菜サラダが並べられていた。

 いただきます、と手を合わせるアシュリーだったが、不思議と瀧本の目には、彼女がどこか憂いているように映った。


「どうしたの? 食べないの?」

「いえ、いただきます……」


 いつもは食欲旺盛なアシュリーだが、この日はやけにスプーンを持つ手が進んでいなかった。

 何か悩み事でもあったのだろうか。


 不思議そうにアシュリーを見ながら、瀧本はカレーを口にする。

 甘すぎず、辛すぎず、丁度いいスパイスの具合だ。

 

 あの、とアシュリーは口を開いた。

 その声は何かに怯えているようで、彼女の頬からぴとり、と汗が滴り落ちる。


「私、こんなに幸せになってもいいのでしょうか」

「どうしたの、いきなり」


 急に何を言い出すのか、と半分笑いながら聴いていたけれど、アシュリーの顔はいたって真剣そのものだった。

 これは相当重たい悩みに違いない。


 瀧本はスプーンを皿の上に置き、アシュリーの話に耳を傾ける。


「えっと、その、私なんかが幸せになってもいいのかなって、最近思ってしまって……瀧本さんは、素性もわからない私を快く受け入れてくれて、どうして見ず知らずの私にここまでしてくれるのかなって、少し不思議に思ってしまって」

「そうかな。別に普通だと思うけど」


 あっけらかんと瀧本は返答する。

 あまりにも軽い返事だったため、アシュリーはきょとんと目を丸くして瀧本を見つめた。


「僕は、困っている人を放ってはおけないタチなんだ。ボロボロだった君を助けたのも、僕がそうしたかっただけだし、君が気負うことなんて何もないよ」

「ですが……」


 言葉を詰まらせたアシュリーは、首を横に振る。


「私にとって、この場所は、とても眩しすぎます。私なんかが幸せになっていい資格なんて…………」

「何か、後ろ髪を引かれるようなことでもあるの?」


 瀧本の問いに、アシュリーはゆっくりと頷く。

 その瞳は、今にも涙がこぼれてしまいそうなくらい、潤んでいた。


 沈黙が続く。

 しんと静まり返り、秒針の音だけがちく、たく、と聞こえてくるだけだ。


 自分のことについて話してくれるのか、と少し期待してしまったけれど、やはりアシュリーにとってそれは大きなハードルのことのようだ。

 何か大きな犯罪でも隠していなければいいのだけれど。


「ごめんなさい、今はちょっと、気持ちの整理がつかないです。でも明日、明日、お仕事が終わったら、話せることは、話そうかと思います」


 アシュリーは俯いたまま、顔を見せてはくれなかった。

 どんな表情をしているのかわからないけれど、ある程度想像つく。

 目の周りを赤くして、下唇を噛んで、ふう、ふう、と平静を装うように必死で呼吸を整えている。


「…………わかった。明日、聞かせてね」


 食べよう、と瀧本は促し、またスプーンを手に持つ。

 時間が経ってしまったため、ほんの少し冷めてしまったけれど、それでもまだほんのりと温かい。


 アシュリーも俯いたまま、カレーライスを口に運ぶ。

 やはりいつもよりも食の進みが遅かった。

 普段より食事の量も少ないし、完全に精神が参ってしまっている。


「今日は僕が家事全般するから、アシュリーはもう休んでな」

「ですが、居候の身ですので、それくらいは」

「ダメ、疲れている時はちゃんと休む。無理して身体を壊されちゃったらたまんないからね。自己管理もしっかりしてもらわないと。それに、明日までに、ちゃんと自分の言葉をまとめる時間、欲しいでしょ?」

「…………そうですね。ではお言葉に甘えて」


 アシュリーはペコリと頭を下げ、風呂場に向かった。

 かすかに聞こえるシャワー音をスルーしながら、瀧本は鍋に残っているカレーをタッパーに詰め込み、洗い物を始めた。

 カレーライスのような料理はため込んでしまうと洗うのが面倒臭くなる。

 だからこうしてすぐに食器を洗っておかなければならない。


 その後、リビングでくつろいだり、風呂に入ったり、PCで雑務などをこなした瀧本も就寝のために自室に入った。

 既にアシュリーはリビングにて布団を敷いて眠りについている。

 リビングも決して広いとは言えないけれど、机をどかしてしまえば布団一人分くらいは余裕で敷くことができる。


 布団にもぐった瀧本は、アシュリーの正体について軽く考えてみた。

 今でこそこの家に完全に馴染んだ彼女だが、その出自については全くの謎だ。

 ひょっとしたら、人間ではないのかもしれない、と幾度か思ったこともある。


 けれど、容姿は完全に人間そのものだし、体温だって人間と何ら変わらない。

 それに、もう1ヶ月も一緒に住んでいるのだ。

 今更アシュリーの正体が分かったところで、今まで通りの生活を過ごせばいい。

 万一、彼女が何かしらの重大な犯罪に巻き込まれていれば話は別だけど。


「明日のことは明日にならないとわからないよなあ」


 ポツリと呟き、瀧本は部屋の電気を消した。

 時刻は深夜12時を回るかどうか。

 明日も朝は早い。

 アシュリーが起こしてくれるのはありがたいけれど、それに頼りすぎるのも少しよろしくない気がする。

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