第13話「遠慮のない人」

 瀧本は溜息を吐きながら、トボトボと家路についた。

 肩や足が重い。

 過去類を見ない徒労感だ。


 アシュリーはちゃんと留守番をしてくれているだろうか。

 それを考えるとまた身体が重たくなる。


「さーて、今夜はすき焼きだあ」


 この疲労の原因の8割は矢野にある。

 が、当の本人はそんなこと夢にも思っていないだろう。


「僕の家にはそんなに食材ないぞ」

「大丈夫、材料はちゃんと買ったし、あたしが仕切るから」


 だからスーパーに寄った時にやけに時間が長かったのか、と瀧本は頭をボリボリと掻きながら、矢野が持つ買い物袋に目をやる。

 彼女がまた家にやってくるのは実に不愉快だが、滅多に食べられないすき焼きが食べられると少し待ち望んでいる自分がいる。


 とはいえ、矢野をあまり家には上げたくないという感情が強いのもまた事実だ。


「あの子にお酒を無理強いさせたら追い出すからな」

「わかってる。絶対に強制させない」


 この言い方は懲りてない人間の言い回しだ。

 はあ、と溜息を吐きながら、瀧本は自宅に戻る。

 今からでも帰ってもらおうか。


 と、思っていた矢先にもうマンションまでやってきてしまった。

 ふんふん、と鼻息交じりでテンションが高い矢野と対照的に、瀧本の足取りはだんだん重たくなる。

 なぜ仕事以外でこんな面倒な奴と絡まねばならんのだ。


 ガチャリ、と開けた扉はいつもよりも重たく感じた。

 

「ただいま」

「おかえりなさ……」


 アシュリーは瀧本を出迎えると、突然の来客に目を丸くする。

 しかし困惑する様子などは特になく、どうぞ、と彼女は矢野を家に招いた。


「わー、やっぱ可愛い! お人形さんみたい! あたしの選んだ服もすっごい似合ってるし」

「恐縮です……」


 矢野に圧倒され、アシュリーは少し縮こまる。

 うりうり、とアシュリーに面倒臭い絡みをする矢野を引きはがした瀧本は、その足でリビングへと向かった。


「あーん、何するのー」

「すき焼き、作るんだろ? 早くしろ」

「こういう時だけあたしの扱い雑じゃない?」

「勝手に僕の家にやってきてすき焼きしようって言い出したんだ。責任は取ってもらう」


 ぶうぶう、と頬を膨らませた矢野は、買い物袋をテーブルの上に置き、ぐるりと部屋を見渡した。


「前にも来た時に思ったんだけどさ、意外と綺麗だよね、瀧本くんの家」

「意外とは余計だ。でも……今日はいつもよりも綺麗な気がするな」


 そんな疑問を抱いていると、先程矢野に褒めちぎられたアシュリーがリビングにやってきた。

 そういえば今日は一日留守番してほしいと言ったが、果たしてちゃんとできたのだろうか。


 瀧本はアシュリーに今日の出来事を尋ねた。


「留守番、大丈夫でしたか?」

「ええ、問題なく。掃除も洗濯も、ちゃんとこなせました。あ、カップ麺、美味しかったです」


 アシュリーの言葉に、ふうん、と矢野は何やら企んだ笑みを見せた。


「瀧本くん、アシュリーに何も作ってあげなかったんだ。かわいそー」

「そういうんじゃない。時間がなかったし、僕にそこまでのスキルはない」

「でもこんなかわいい子がお昼に一人カップ麺って、ちょっと想像したら面白いんだけど」


 ケラケラと矢野は笑う。

 その小馬鹿にした態度に少し腹が立った。


「何が言いたい」

「アシュリーにはもっとお洒落なものを食べてほしいなーって」

「部外者が口を挟むことじゃないな」


 そう言い返してみたけれど、確かに矢野の言う通り、アシュリーのような綺麗な人にはそれにふさわしいものを食べてほしい。

 カップ麺を否定するわけではないが、こればかりだと健康にも悪い。


 矢野と瀧本とのやり取りを受け、少し不安げな表情を浮かべながらアシュリーは小さくガッツポーズを見せた。


「が、頑張ります、料理……」


 ぎゅっと小さく握り拳を作るその仕草は瀧本にダイレクトアタックを食らわせる。


 しかし頑張ると意気込むのはいいが、朝のあの様子では到底難しいだろう。

 せめて卵焼きがちゃんと作れるようになったら考えてあげてもいいけれど。


 そんなことよりすき焼きだ。


「ほら、すき焼きの準備するぞ、矢野、段取りよろしく」

「あいよー」


 適当な返事をした矢野は、ガスコンロの上に設置された鍋に水を始め、牛肉や野菜をじゃぶじゃぶ入れていく。

 このコンロと鍋は学生時代に瀧本が「友人と一緒に鍋パするから」とのことで買ったものだ。

 もう数年使っていなかったけれど、まさかこんなタイミングで再び日の目を浴びるとは。


 矢野がすき焼きの準備をしている間、瀧本は米を炊く準備に取りかかる。

 やはり肉と一緒に食べる白飯は最高だ。

 是非この美味しさをアシュリーにも味わってほしい。


「私も手伝います」


 アシュリーはうろうろと瀧本の前を回った。

 が、特にアシュリーに任せられる仕事は残っていない。

 強いて挙げるとするならば……」


「では、食器の準備をお願いします。小皿を出してもらえますか? そこの深い小皿です」

「わかりました」


 そう返事すると、アシュリーは食器棚から少し底が深めの小皿を2人分用意した。

 元々2人分しかなかったため、矢野の分は紙皿で我慢してもらおう。

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