第24章 命

 街から出るといつぞやの様に荒野が広がっていた。しかし、開放感のあるところではなく、山の様に大きな岩が点々とあり、見渡しのいい場所ではなかった。人工的な道も幾つか伸びて、他の街に行くための看板も立っていた。私たちは名もない土地へ行くために、あえて道のまま行かず、方角的に正しい道なき道を行った。見渡しが悪い分、目的の場所にどれだけ掛かるか分からない不安があった。そんな先の見えない広大な大地を徒歩で行くのは気が遠くなるが、贅沢も行っていられないので休み休み歩いた。

 昼になっても荒野は抜けられなかった。そもそも名前のない土地との境界線をはっきりさせるものはなく、到着という概念が喪失しており、ただ前に進むしかなかった。

 日差しも強くなってきてしまい、治まるまで日陰で待機しようということになった。大きな岩陰が近くにあり、近づいてみると正面にぽっかりと穴が開いていて、中は洞窟になっていた。折角なので中まで入り、納涼も兼ねてちょうどいい所で休むことにした。洞窟の天井はかなり高く、飛び上がったくらいで頭をぶつける心配もない程だった。洞窟の道は入り組んでいたが、行き止まりも多く、逆に出口もそれなりにあったが、前に進みために経由する意味もないような場所だった。外からの光が入り、洞窟全体は明るく、進行を遅らせられるものも特になかった。

 探検気分で歩みを進めていると、思わぬ場所に出会った。洞窟の中の一室といった感じで、若干の開放感を感じさせる開けた場所に小さな湖が出来ていた。水たまりと言うには規模が小さく、湖と言えば大げさに聞こえるくらいの大きさのものだ。湖の周りは天井に空いた穴から陽光が照り付け、その周辺だけ草木が生えたオアシスのような場所だった。草木は先ほどまで歩いていた荒野に生えているような品種には見えず、この湖周辺は、まるで何処か別の所から持ち上げてきてそのまま置いたような、この環境に不釣り合いのものだったが、洞窟の中でそれ以外の比較対象がこの場にないため、馴染んでいるようにも思えた。湖は浅く、湖底は見えているが、水は澄んでおり、上からの光を煌びやかに反射していた。そんな自然が生み出した偶然の産物に神聖なものまで感じてしまった。

 私たちは休むのにはもってこいの場所を見つけることが出来たので、美しい湖畔を見つめながら休息を取ることに決定した。そしてこのオアシスに感謝し、自分たちの体を洗うことにした。ここ何日間は風呂に入ることもできず、汚れてしまっていたのだ。その汚れをこの湖に与えてしまうのは忍びないので、タオルを濡らし、それで体を拭いた。代わり番をし、それぞれが拭き終えると腰を下ろし、この景色に肖りながら昼食を取った。またいつもの食事だ。食料もだいぶ消費してきた。あまり余裕もなく、長期的な旅になればなる程、どこかで補給することを視野に入れなくてはならないだろう。

 湖を見ていると自然的な命の息吹を感じ、私はまた思い出してしまった。気にする必要はないと解っていながら、核心に触れられてるようで放っておけなかった。

「私は生きていないのかな?」

 ブライトの言っていたことだ。科学的に見れば私は生きているとは言えない。ただのモノであるという感覚は恐ろしいものがあった。アンナはアンナだ。と彼は言ってくれたが、その事実からは目を背けられないのだ。

「ブライトのことか。アンナは人として生きたいの?」 

 ソルヴは私の質問には直接答えず、妙な質問で返した。私はどうなのだろう。人と人架は酷似しており、やれることも同様だ。だからこそ、どちらとして生きるかという質問は難しい。人として生きようとも人架として生きようとも表面上、そこに大差がないからだ。しかし、どちらとして生きたいかというのは重要なことだ。我々は似ているが全くの別物なのだから。

「私は、わからない。人架として生きるってことがどういうことか分からないし。それに区別がつけられないよ。」

 余りにも似ているために、その棲み分けも難しい。

「それだよ。結局のところわからない。人と全く同じで全く違う者。だけど君は人としても人架としても暮らしている。ただの機械じゃなくて、その考えも、その行動もすべてに君の意思がある。それでも君は自分が生きていないって言いきれるかい?」

 私が人架としてだけ生きるのなら、きっと人間の都合に合わせ、ただの機械として存在するのだろう。私は確かに自分の意志で生きることが出来ている。それは間違いなく、人らしさも抱えている。人と人架の境界線はその構造だけで、どのように生活するかという問題を提示すれば、途端にあやふやになってしまう。そうか、こんなにも酷似し自分の意思を持ち始めたから、私たちは迫害されるに至ったのか。「命」を与えたのは自分たち自身なのに。

「ソルヴが言ってるのは感情こそが命だってこと?」

 と私も彼の言葉を要約し、また質問で返した。

「難しい。科学的に言えば君は生きていないかもしれない。だけど、一緒に居て、笑って、怒って、泣いて。そんな姿をずっと見てきて、君が生きていないなんて信じられない。本当は俺もブライトの言葉に心を抉られた。お前はただの機械に一生をかけてるって。本質はそうなのかもしれない。それでもアンナを前にするとそんな風に思えない。それがどれだけ愚かな行為でも…君が愛おしい。だからアンナ、俺は答えを出せないけど、俺自身がそんな現実を見れない奴にしないためにも、君自身が生きていると信じて欲しいと思うんだ。」

 彼は先ほどまで諭す様な口ぶりだったが、今度は泣きそうになりながらうつむき加減でそう言った。彼の中で何かが波の様に押し寄せたのだろう。ソルヴは私が生きていると心から信じているわけではなく、一種の疑いも抱えていたのだ。哲学的な問いは得意な彼も、この問題に関しては答えを出せずにいた。そして、私という存在が決して機械というものから逃れられないことを暗に伝えていた。生きている。というのは何なのだろう。心臓が動き、息をすれば生きているといえるのか。分からなかった。珍しく感情的になる彼を見て私も狼狽えた。いつもの様に心強い信念によって、納得させてくれると思っていたからだ。しかし、彼が私に対して愛を注げば注ぐだけ、私は生きているような感覚になれ、彼の疑心も気にならなかった。

「うん。信じる。ソルヴも私が生きているって証明するためにも私という存在を信じてよ。二人で歩めばきっとそこに「命」はあるよね?」

 と彼の言葉を借りて、彼を力強く抱きしめ、励ました。彼は頷きながら何度もごめんね。と泣きながら言った。こんなボロボロと泣く彼は初めて見た。彼も同じく、私の様にあの侮辱の数々を戯言だと捌けず、本質を突いたような罵詈雑言に深く傷ついていたのかもしれない。その言葉自体というよりかは彼の中にあった疑念が突かれ、罪悪感が噴出してしまったのだろう。私の中でも何かが弾け、感情が高まり泣いてしまった。お互いに相手の存在を確認しながら抱き合い、心抉る現実に二人で耐えた。   

 彼の涙が枯れ、私も落ち着くまで二人はそうしていた。答えのない問いに私たちはこれからも振り回され続けるのだろう。それを知っていても考えることを放棄することはできなかった。

 ようやく落ち着いた頃には太陽光も控えめになり、移動に支障をきたす程ではなくなっていた。私たちは洞窟から出て、再び歩みを進めた。千里の道も一歩からとよく言ったもので、夕方になると広大だった荒野に終わりが見えてきた。目線の先には森林地帯が広がっており、ようやく見飽きた景色ともおさらばできそうだった。とは言っても、その先も自然が広がっているのは間違いなさそうで、相変わらずゴールが見えないのには変わらなかった。一日中歩き続けたのは初めてで、彼はとても疲弊しているように見えた。車があったらどれだけ楽だったのだろうか。

 日の暮れる前に森林地帯に着くことができた。中は細道が幾つもできていて、進むのには苦労しなかったが人工的なものは見当たらず、より自然的な所だった。ここもいつまで続くか分かったものではないので、私たちは今日の所は休むことにした。茂みに入り、火を起こせそうな場所を探した。細道では草が斑に生え、小火になりかねないからだ。少し進んだところに倒木がある開けた場所を見つけた。運よく、草も繁茂しておらず土が大半だったのでそこに焚火を起こし、夜を迎えた。昼は暑苦しかったが、夜は寒く、彼は火で暖を取る必要があった。私たちは鍋を取り出して、缶の中身を温めそれを体の中に流した。

 翌朝も仇道を通って真っ直ぐに進んでいった。この森林地帯はかなり広いらしく、結局ほぼ一日歩いても出口に着くことはなかった。何もない一日が過ぎ、二日目の夜をまたこの森で過ごすことになった。意味のない移動の様に感じられ、不安もあったが、彼が文句を言わないので、私も否定的なことは言わないようにしていた。最悪、何処が旅の終着点でも良いと、そう思おうという考えが私の中に芽生えつつあった。

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