第23章 ツアー

 夜も更け、既に眠りに就いていた頃、少しずつ大きくなる音に目が覚めた。ソルヴもそれに気づいたらしく、体を起こして音の鳴る方へ顔を向けていた。それは私たちが上ってきていた階段からで、同じ様に誰かが上ってきている足音だった。

「誰か来る。気を付けよう。」

 彼は傍に置いてあった拳銃をホルスターごと手繰り寄せながらそう言った。この街に居る人間だ。普通の者とは限らない。私もライフルのチャンバーを確認し、弾が入っていることを確認した。音の主は私たちの居る階まで登ってきて、通り過ぎようとした時にこちらに気づいた。

「うわあ。誰だ?ここは僕の場所だぞ。」

 と驚いた様子だったが、怒っているわけではなく、想像していたような支離滅裂な狂気も感じ取れなかった。この男はみすぼらしい格好に、ボロボロのコートを羽織った30代程と思われる見た目の男で、髭が生え、髪は乱れていたが、比較的まともな印象を放っていた。しかし、ここが自分の場所などという発言は少し異質に感じた。

「すまない。この街に来たのは昨日が初めてで、この街の様子が芳しくないと感じたものでここに居させてもらった。」

 とソルヴはこの男に対して対話を試み、そう返した。

「そうなのか。僕がこの街を案内してもいいぞ?」

 この男には話が通じ、敵意のようなものは感じられないが、やはり常人には見えなかった。

「いや、もう朝にはここを出ていくつもりなんだ。だから気持ちだけ受け取っておくよ。」

 彼も不気味に思ったのか、その提案を飲まずに当たり障りのない回答をした。男は

「いやいや、実はそうはいかなくてね。こんな成りに見合って食料にも困ってるんだ。タダで分けてもらうというような都合の良いことは言わないから、この街を案内させておくれよ。この街の夜景は綺麗だろ?いい所も実は多い。それにここも結構物騒で、二人で出ていくのも危険だぞ?」

 と少し流暢に話した。有難迷惑で、安全なのか危険なのかわからぬ、ちぐはぐな提案だが、この街を知っている者がいるのは心強いと感じた。この男は合理的思考を持ち合わせており、礼儀というものも心得ているようで、嫌な感じはしなかった。私たちは顔を見合わせこの男の提案を飲むことにした。頷くと男は嬉しそうに

「では、出発だ。今から街を案内して、朝には出られる様にするよ。「ブライト・マルセル」だ。よろしく。」

 と今すぐに食料をせびることもなく、手招いた。

「ソルヴ・ウォーターだ。」

「アンナ・ウォーターよ。」

 一応挨拶をし、荷物をまとめてその男の後を付いていった。私たちはその男を信用したわけではなく、銃からは弾を抜かずにそのまま持ち出すことにした。

 ブライトは街の歩道を歩きながら、この街について稚拙ではあるものの、説明してくれた。

「この街はもともと大都市で、人も多かった。今では僕みたいな連中が集まる場所だ。野党もいるから気を付けろ。最初に案内するのはここさ。」

 ブライトに付いていって、案内されたのは駅だった。規模は大きくないものの、しっかりとした建物が建てられていた。駅構内は改札とロビーからなり、電車には改札を通って階段を上がり、ホームから乗ることができるという構造だった。ブライトは階段を軽やかに上り、ホームに私たちを導いた。ホームも椅子が数台と、案内板があるだけで、廃棄された電車が扉を開けたままでそこに放置されていた。

 電車もあの事故の影響を大きく受けたものの一つで、それ以降は移動手段として使われることはなくなった。よって、私たちはそれを見るのが久しぶりで懐かしい気分になれた。ブライトは嬉しそうに、放置されドアが開けっ放しの電車の中に入ってすぐ横のシートに座り、その横を手で叩いた。どうやら座れと言うことらしかった。ブライトはどこか子供っぽいところがあり、その行動には狂気も感じたが、完全に理解できないものではなく、可愛げもあった。私たちはその通りにし、シートに座った。 

 少し埃っぽい感じはしたが不快感は少なかった。窓からは街の風景が見え、もう動かない電車から、微かな鼓動を残した街を見て、また世界が終わってしまったかのような気分になった。これも嫌なものではなく、営みが終わってもこうして形として遺産があるのが喜ばしかった。街を案内されると言われた時はいらないと思ったが、これはこれで悪くない。満更でもない私たちの表情を見てブライトは

「どうだ?落ち着く場所だろ?ここは僕のお気に入りの場所なんだ。」

 と得意げになっていた。最初は警戒していたが、案外その必要はないかもしれないと思った。彼もブライトのことを微笑んで見ていた。

 ブライトはその後も街の随所に行き、私たちを案内した。うめき声がする路地は避け、暗がりの多い場所も行かないようにしていることから、安全に配慮しているように見え、見かけよりも色々と考えいるらしかった。

 案内された場所は、もう使われていないホテルやレストランなどの施設が多く、廃墟ばかりだったが、この街のかつての繁栄も紐解くことができ、ただ単に不気味な場所という印象も薄らいだ。正直言って楽しいと感じた。ブライトが言っていたように大都市だと言うことにも頷くことができ、施設は充実し、街もそれなりに広かった。この街が夜に明るいのも、勝手に予備電源で電気が点く仕様なためであった。ひとしきりこのツアーをし終えたところでブライトが

「次で最後の場所だ。とっておきの場所だぞ。」

 と興奮した様子で笑いながら言った。もうすぐ夜明けなので、朝には出れるというのは本当らしい。

 最後に連れて行かれたのは時計塔だった。横にも広く、厳かな装飾の多い、歴史が深そうな建物で、かなりの高さがあったため、上っていくのは骨が折れた。エレベーターはあったが当然使うことはできず、階段を上るしかなかった。この建物は時計だけではなく、何かとの複合施設としても成り立っていたらしく、階段の踊り場にあるドアからは廊下に出ることができ、その廊下から様々な部屋にアクセスできるらしかった。踊り場から見えるこの廊下は、ガラス張りの窓があるおかげで、外からの光が差し込み明るかった。

 幾つもの階段を上ってようやく、時計機械室と呼ばれる場所に着いた。部屋には大きな歯車が組み合わさった機械が設置され、この部屋で時計を制御しているということだった。もちろん、これらももう動くことはないが。この部屋にある階段を上り、時計の文字盤のある部屋も見せてもらった。大きな文字盤と共に鐘が上方に設けられており、これだけ大きなものが遠くから見れば、腕時計のように小さく見えるのが不思議に思うくらい壮大で圧巻するものだった。ブライトの説明は、ホテルやレストランの時は抽象的だったが、ここの施設に関しては妙に詳しかった。

「ブライトさんはここがとっておきって言ってましたけど、何か思い入れはあるんですか?」

 ここまで、あまり質問をしてこなかったが、聞いてみることにした。ここまでしてくれてずっと疑いの目を向けるのも失礼だと思ったからだ。

「僕はここで働いていたんだ。時計の管理も任されていた。」

 またもや誇らしげに胸を張ってブライトは答えた。ブライトはこの街にずっと居たために少しタガが外れてしまっただけで、もとは普通の人だったのかもしれない。私たちは関心を示し、存分に楽しんだ後、時計塔から降りることにした。この街の予想外の美しさに、既に街として機能していないことが残念に思われた。既に遺産となった物達を見ることができたので案内を受けてよかった。改めてそう思った。

 時計塔は高く、下まで降りるのにも時間がかかり、途中で催してしまったのでブライトに聞くことにした。ここで働いたと言っていたしトイレの場所も知っていると思ったからだ。

「すみません。お手洗いってどちらにありますか?」

 と階段の中腹で尋ねると

「廊下に出たらある。」

 と返され、ブライトは階段の踊り場から長い廊下に出た。私たちもそれに従い付いていった。しばらく廊下を歩くと曲がり角があり

「この角を曲がってすぐの所にあるよ。」

 と手前で止まってブライトが指でその曲がり角を指した。二人は特に催していなかったらしく、ここで待つと言ってくれた。言われた通りに角を曲がるとお手洗いのマークが壁にあり、直ぐにそこに行くことが出来た。

 用が済み、トイレから出て曲がると、息を飲む光景を目にすることになった。ソルヴがブライトに正面から拳銃を突き付けられ、両手を挙げていたのだ。もっと警戒すべきだった。完全にこの男が安全だと思い込んでしまっていた。私が帰って来た所でブライトが話始めた。

「全く。平和ボケした連中だぜ。とは言え、分断してくれて感謝するぜ。おい、女、妙なマネするなよ?その銃に手を掛けたら、彼氏さんの頭に風穴開けてやるからな。」

 その口調に今までの幼さを感じるものはなく、醜悪さと狂気だけがにじみ出ていた。全て演技だったというのか。ライフルは肩に掛かったままで、射撃するにはブライトに引き金を引く十分な間を与えてしまうので、それはできなかった。その時、ちょうど日が昇り始め、朝日がブライトのニタニタとした表情を照らした。顔は汚れ、歯が欠けており、その卑劣さが増大して見えた。

「なにが目的だ。」

 とソルヴは震えた声でそう聞いた。アクション映画の主人公ならば、拳銃を突き付けられても物怖じすることはないだろうが、実際に銃を突きつけられたソルヴは体も震えていた。

「食料が欲しいのもあるが。気に食わないんだよ、お前らが。特にそこの機械人形にはくたばってもらわないと気が済まねえ。」

 ブライトはどういうわけか、私のことを人架だと認識しているようだった。鋭い眼光で睨まれた。この男を止めたいが、今の私たちは下手なことはできない。

「なにが、そんなに憎いんだ。」

 ソルヴは相手を刺激せぬよう、否定と取られない口調でブライトに質問した。

「当然だろうが。不必要な存在だからに決まってる。こいつらは何もかも奪っていって、それでも当然の様にのさばっていやがる。」

 ブライトの怨嗟は本物の様だった。何かが過去にあったのは予想できるが、今は同情する気は毛ほども起きない。

「だったら、彼は関係ないでしょ?銃を置いてそっちに行くから彼には手を出さないでよ。」

 とソルヴを守りたい一心で慎重に提案した。だが、そう上手くはいかなかった。

「関係ないって?お前がいるからこいつが危ない目に会ってるんだろうが。見たところ、ここまで二人で逃げて来たって身だろ?これからもお前が居れば危険は一段と増える。いい加減気づけよ。自分の存在がどれ程害をなしているかを。動くな。それ以上はない。」

 この男は慎重な上、洞察力も持ち合わせており、非常に狡猾で強かであった。今何ができるか、それを頭の中で必死に考えていた。ソルヴもそれは同じようで、打開するために説得を試みた。

「でも、君が憎むことにこの子は関係ないだろ。君が今俺らを殺しても、何も浮かばれない。何か過去に相当な傷を負ってしまったのは心中察するよ。話し合おう、そしたら少しは分かりあえるんじゃないか?」

 彼はそう言い、宥めた。恐怖の中にありながら、その声色は心から同情し、手を取り合おうという姿勢が感じられた。決してこの場から抜け出したいという欲求だけから来ているものではなかった。しかし、ブライトに何を言っても無駄で、私たちの言葉は怒りに拍車を掛けるだけだった。

「黙れ!お前こそ気づけ。お前はただのガラクタに必死こいて腰を振ってる愚かな人間なんだよ。そんなものに縋ることしかできない無能が、俺に指図するな。もしもーし、機械と交われば心は満たされますか?お人形ごっこは楽しいですか?こいつらに命はないんだよ。人間の見た目をした何かだ。そんなもんに人生を費やしてるお前は、現実も見られねえ生きる価値のない人間なんだよ。」

 とあまりに下品で低俗な事を彼に舐めた口調で喚き散らした。その途轍もない侮辱は私の中の恐怖を沈め、比重が怒りに傾き始めた。ブライトは拳銃の撃鉄を起こしたので、あまり猶予もなさそうだった。もういつ引き金を引かれてもおかしくない程にブライトは苛立って見えた。どうなるかはわからない。どうせ撃つのならと思い、私は一か八かの賭けに出た。

「あなたこそ、頭が足りてないんじゃない?そんな機械ごときに躍起になって。人生の無駄だね。」

 ブライトに対して、挑発の言葉を吐いた。ブライトがもっと冷静ならばきっと彼を撃ち殺してから、私に銃を向けただろう。その言葉は同時に、ソルヴへの合図だった。ブライトは私の術中にはまり

「死ね、くそ女!」

 と私に銃を向け発砲しようとした。咄嗟にソルヴはブライトの銃を手で弾くようにして弾道を逸らし、自分のホルスターから銃を引き抜き、素早くブライトの腹部へ二発撃ちこんだ。手からは拳銃が力なく零れ落ち、ブライトはうめき声をあげながらその場に倒れこんだ。即死ではなかった。口からは血を吐き、顔を歪ませている。私もすぐさまソルヴの元に駆け寄る。

「くそが。死に晒せ。」

 ブライトは未だに悪態をつきながら、落ちた銃に手を伸ばそうとしていた。ソルヴは床に落ちた拳銃を足で払いのけ

「俺たちにこんなことを言われても憎悪しか生まないのはわかっている。だけど言わせてくれ。君がどうしようもない苦しみの中に居ることは理解できるんだ。それがどれだけ大きいかはわからない。でも争うことはないんだ。そうすれば、君はもっと傷ついてしまうだろう?」

 と依然としてブライトに同情の言葉をやさしく差し出し、ブライトの横に膝をついた。ブライトは参ったのか、力尽きたのかうめき声を挙げるだけで何も言わず目を閉じてそのまま亡くなってしまった。その目に和解の念があったかは私にはわからなかった。

「大丈夫?ケガはない?」

 ようやく、落ち着いた私はソルヴの安否を確認した。

「うん。アンナこそ大丈夫なの?」

 彼は疲れ切った様子だったが、冷静さも感じられた。私も彼の問いかけに頷いて、お互いに怪我がないことを確認できた。

「ねえ。なんでこんな奴にあんなに優しくできるの?絶対に許せない侮辱までされて。」

 ソルヴに演技風な所はなく、心で話していることは間違いなかった。

「一つは、前に言った、殺すことに慣れちゃいけないことさ。そんなことにならないためにも穏便に済ませたかった。もう一つは話せばわかってくれるかもって思っただけさ。絶対に分かり合えない人はいると知っていてもね。」

 殺さざるを得ない状況だったのは確かだ。だが同時に彼も手を汚してしまったのも事実なのだ。そんなことが当然だと思うことは私たちの倫理にはあってはならないことだ。だから彼はどんな理不尽を受けても、その選択を本当に最後の選択肢として持ち、銃を簡単には抜かないのだろう。私も身を守ることばかり考え、殺すことに移転してしまっていたが、それが慣れてしまうということだと知り、難しい問題だと痛感した。命のやり取りをするならば、一瞬の判断が命取りだ。そんな状況で殺すことをしない選択を取るのは尚のこと厄介なのだ。

「でも、許せないよ。散々人を嘲って…悔しいよ。」

 相手にすることではないと解っていた。それでも、私に命がないというのは本当かもしれないと思ってしまったのだ。私の本質を疑ってしまった。そう思うとソルヴが、ただのモノに必死になっているということを肯定してしまうことになり、それが身のちぎれる程に不快だった。ソルヴの前ではそれをうまく言葉にできなかった。

「分かってる。でも俺には俺の正義がある。だから、自分自身の言葉を信じる。アンナはアンナだ。そうだろ?」

 その言葉は安心できた。彼が言ってくれるのなら、それは確かなことに感じた。例え命はなくとも私は彼を愛している、そして彼も私を愛してくれている。その思いが本物ならその人生も本物のはずだ。

「ソルヴ、ありがとう。」

 私はしみじみとそう返した。沢山の意味を込めて。ソルヴは頷くと思い出したかのようにブライトのコートを、失礼するよ。と言って探った。

「やっぱり。変だと思ったんだ。君を人架だって見抜いてたから。」

 彼がコートから取り出したのは双眼鏡のような見た目をしたスキャナーだった。起動は簡単らしく、直ぐに使えそうな代物だった。

「アンナ。少し、そこの角にもう一度曲がってくれるかい?」

 と彼に頼まれたので、言うとおりにトイレがある角に曲がった。

「ここでいい?」

 それに従って少し曲がって、彼にそう聞いた。きっと壁越しでも見えるかを試しているのだろう。

「ああ、そのままで。」

 と彼が言うと、その足音はすこし遠ざかっていき、また近づいてきた。もういいよ。と言われたので、角から出て彼に聞いた。

「何かわかったの?」

 すると彼はすこし忌々しそうにスキャナーを見回しながら答えた。

「ああ。これ。かなり厄介なものだよ。壁越しでもわかるし、数十メートルくらいの距離なら確認できそうだ。ブライトも建物の外から検知したんじゃないかな。」

 彼の言うとおり、それは本当に厄介な物であった。こちらが気づくこともなく知られるのだから危険極まりない。彼はスキャナーを床に投げ捨て、持って行こうとはしなかった。

「もう行こう。あんまりここに居たくないし。」

 それを皮切りに、私はこの場を離れることを提案した。彼も了承し

「せめてもの手向けだ。受け取ってくれ。ツアーは見事だったよ。」

 とカバンから小サイズのチョコバーを取り出し、ブライトの手に握らせ敬礼した。私はブライトの侮辱は許すことはできないが、殺し慣れない為には、その姿勢が大切なのは理解できたので、文句は言わず、彼のするままにし、その場を後にした。

 時計塔から出たときには既に辺りは明るくなっており、日も完全に上っていた。銃声を聞きつけたせいか、周辺の路地は静まり返っていた。私たちは予定通り、目的の街の出口まで行くことにした。そこからは何の問題もなく門に着き、この街から出ることが出来た。

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