第22章 廃棄された街
目的のサラガインまでは2,3日も掛かった。下車して自然を楽しむこともあったが、一日の大半を移動に費やしていた。朝と昼に移動をし、夜に野宿をするというサイクルが普通になっていた。長かったが、退屈なものではなかった。私は船での経験もあり、退屈な一日に慣れがなるので尚更だった。
日が沈んだ頃に、やっと車から目的の街が見えてきた。今まで通って来た場所と違い、街としての原型を留めており、遠くからでは、今もまだ栄えた街であると言われても疑わなかっただろう。
私たちは街を抜けてより遠くに行くため、街の中に車を走らせた。門に文字が飛び飛びで書かれていたが、ここで間違いないようだった。門も開けっ放しで、阻むものもなく入ることが出来た。日は沈んだばかりなので、この街を抜けてしまおうという話になっていたが、門を抜けて暫くして、トラブルが起きた。燃料切れだ。ここずっと走らせていたのでそれは必然だった。
「もうこの車ともお別れか。アンナ、ここからは徒歩になるかもしれない。」
と彼はアクセルから足を離し、深刻そうに言った。給油する手段もなく、トラックを捨てざるを得ない状況だった。
「仕方ないね。ここに置いておこう。今日はここで一晩過ごして、明日に出ようよ。」
休む必要があるので私はそう提案した。今まで車で来たような所を徒歩で行くことは気の遠くなる話だが、他に方法はなかった。それにこの街は少し異様で、ずっと車で待機するのは気が引けた。私たちは覚悟を決めて、念のため銃に弾薬を込めてから車を捨て、街に降り立った。
街が遠くから栄えて見えたのは、未だに電灯が点いた建物や街灯が幾つもあったためである。そのくせ人の気配はなかった。いや、正確には普通の人の気配がなかったのだ。数は少ないものの物音や唸り声が所々から聞こえるのだ。街の床は石畳で、剥がれ落ちた部分もあるが比較的綺麗だった。建物も半壊しているものもあるが、街としては形を成していた。そんな、街として機能していないはずが、営みを感じさせるような街並みが不気味さを際立てさせていた。安心して泊まれるような所や、あたたかな場所ではないというのは一目でわかり、どこか狂気が満ちていた。
私たちは車から荷物を取り出して、一番近くにあった高い建物内で一夜を過ごすことにした。私は銃のスリングをぎゅっと握りしめながら、その建物に入り、警戒しながら階段を上っていった。幸い、ここに人の気配はなかった。それでも彼は私の前を歩き、いつでもホルスターから銃を抜けるようにコートをずらし、上の階に上っていった。建物の階段は踊り場のある螺旋階段で、踊り場からドアを介して広い部屋に繋がっているという構造だったが、ドアは取り払われ、壁もコンクリートがむき出しになっていた。
階段は常に暗かったが、上層階の踊り場に出た時、そこが明るいことに気づいた。部屋の方を見ると大きく壁が崩れているせいで外からの光が差し込み、階段付近も照らされていたのだ。私たちはその明かりの元で、一晩を明かすことにし、その部屋に入った。
部屋はオフィスほど広く、明かりは外から差し込む月明りや他の建物からの光だけだったが、部屋がどんな構造になっているかくらいははっきり判った。壁と床以外には何もなく、この部屋の、外に面した壁のほとんどがいびつに崩れて、その近辺の床も巻き込まれたかのように凹凸のある崩れ方をしていた。私たちは思ったよりも上ってきていたようで、壁が崩れた部屋からは外の景色を一望することができ、街の低い建物は見下ろせた。
この街の雰囲気は気味の悪いものだったが、この景色は見事のものだった。摩天楼と言えば話が早いが、それだけではなく、街の中には点滅する電灯や街灯もあり、それが街全体をイルミネーションのように飾っていた。誰も使っていないのに、明かりが点く建物も幾つもあり、街全体は明るさが保たれていた。また、ここと同じように崩れた建物も幾つかあって、普遍的な街並みではない非日常感が広がっていた。まるで、この世界が今にも滅んでいっていることを体現しているようなカタルシスな気分と共に、滅びの中にも美しさを見出せるという楽観的思考が入り混じった複雑な芸術を見せられているようだった。美しい。そう一言で表してしまえば簡単だが、そんな単純なものではない気がした。私はしばらく、この予期していなかった絶景に立ちつくしていた。
私たちは、この街の名前が自分たちの位置をある程度掴む手掛かりになってくれたので、次の目的地を絞ることにした。どの方角から来て、どの街に居るのかさえ分かれば、古い地図でも他の国境に面さない場所に向かうくらいは可能と判断したからだ。ランタンに火を灯し、地図を広げた。ここサラガインから先も、ポトサレクの土地はまだまだ広がっていて、点々と地名や街の名前が地図に示されていたが、名前も付けられていない広大な場所がひと際目立ってその中にあった。他の場所は街もありそうで、ここと同じ様に機能が損なわれた場所か、前に訪れた村の様に人が暮らしている場所かも検討が付かなかった。それらを超えてもっと行けば国境にも面してしまうため、無法地帯と聞いたこの国では名前もないような所から先に向かう方が安全だった。ただ、先に行くとなると情報も足りず、安全な場所かどうかも不確かなので、まずはその名もない土地に行ってみてそこから考えることにした。名前がないだけで、道路などはかつて通っていたらしく、地図には道が記されていると、少し変な場所であったがそれも情報不足で、行かないという判断材料にはなり得なかった。
次の目的地を絞ったところで晩御飯を食べることにし、いつものビスケットと粉ミルクと共に、牛コマ煮込みの缶を開けた。この街からは特に心地の良い音もなく、今の世を知ることも重要なので、私たちはラジオを付けながらそれらを食べていた。ニュースを聞いているとアナウンサーがまた良からぬ情報を口にし出した。
「未だ戦争状態の国々に引き続き、ノフキアジ連盟にトゥモールが賛同することを決定し、周辺国も相次いで参戦することが予想されます。トゥモールは連名に対して全面的に後押しを行う姿勢を見せています。国内では大きな混乱が見られ、国境の閉鎖を強化する姿勢も大きく見受けられるようになってきています。また、周辺国…」
とウェープランのあった国が戦争を行うという、恐れていた事が現実となってしまった。人架の話は上がらなかった。ウェープランももう戦争に巻き込まれているのだろうか。混乱に乗じた人架廃棄はやはり当然の様に行われているのだろうか。もっとウェープランについての情報が欲しかったが、そんなに都合よくそこにフォーカスしてはくれない。
「みんな。大丈夫かな。」
私には祈ることしかできなかった。ドウルは廃棄される覚悟があるというようなことを言っていた。もし、ドウルが私たちに教えてくれたことが一般人に知りえないような情報だと仮定するなら、人架廃棄も確定的なものだと知っているという仮説も成り立つ可能性が出てくる。どれだけのことを知り、それがどれ程重要なことだったのかは今の私たちでは確認のしようもなかった。
「これは俺の仮説ね。話半分に聞いて。ウェープランは、緊急時以外は管轄を任されてるって言ってたよね?これが緊急時っていうのは間違いないんだけど、国にとっての保護地域なら、その影響が及ぶのって他の所よりも遅いと思うんだ。それに、アナウンスでは国境の閉鎖を強化する姿勢って言ってた。デイラントの時と違って、まだ完全に封鎖されてないって感じじゃないか。何が言いたいかっていうと、ウェープランは国境の閉鎖に関しても遅れがあるんじゃないかって思うんだ。つまりあそこに居た、みんながみんな戦争に巻き込まれる可能性は低いかもってこと。」
ソルヴはそう話した。彼の話に確証はなく、説としても希望に近かった。でも理論が破綻しているわけじゃないし、みんなが無事であると思うためには、そういう論理的に大丈夫であると言った方が安心できた。その仮説が正しいなら、残ると決めた人以外だけでも逃げて欲しかった。
そう考えていると、その思いと共に、先ほどまで立っていた仮説が閃光のように貫き、私の中で理論が組み上げられた。仮説と仮説の理由づけの部分が交差し、それぞれが成り立つ条件を補完した。
「ねえ、遮るようでごめんね。私はずっと疑問に思ってたの。どうして私たちみたいに他の所に逃げる人で溢れかえらないんだろうって。今は世間がそういう流れで、逃げ出そうと考える人はいるかもしれない。でもそういう人が出る所って、もう既に国境が閉鎖されてるの。現状は戦争への声明も、当然のように急に発表される無茶苦茶な世の中でしょ?だからこそ、誰も何処でどうやって戦争が起き始めるか予想がつかないから、比較的安全で、国境が閉鎖されなくても、どこにもいけないんじゃないかって。っていう事はだよ?やっぱりドウルさんは、そんな世界の変遷が分かる程の、私たちでは到底知りえないような重大な秘密を握ってて、本当は誰にも言ってはいけないことを私たちに託してくれたんじゃないかなって思うの。もっと一般的に普及するような情報だったら、その前にもっと大きな混乱状態になるでしょ?こうなることはほとんど決まっているって言ってたけど、もっと細部情報までも知っているのかもって…」
私の話は一つの仮説が崩れてしまえば瓦解する脆い構造をしていたが、点と点が結びついてしまったら、考えを変えるのは難しかった。それほど複雑な話ではなく、理由も単純と言えば単純だが、彼は心底驚いた顔をしていた。
「アンナ。なんて言うか、全部説明できている気がするよ。もうそれが真実って思ってしまうくらい説得力がある。俺もドウルさんは何か知っているかもって勘はあったけど、それと結びつく仮定までは思いつかなかった。それが真実かは分からないけど、世界戦争になるかもしれないのに混乱が抑え込まれてる地域があるのは十分に説明がつくよ。」
私たちの様な平凡な脳では、それが答えだと立証するまでには至らなかったが、ドウルが私たちの知らない何かを知っているというのは確かなことだった。でなければ、こんな偶然が度重なっただけというには無理があったからだ。何にせよ、国境が完全に閉鎖される前にウェープランの大切な人には逃げて欲しかった。
「そうだ、さっきのソルヴの意見も最もだと思うよ。褒め返しているわけではなくて、ウェープランが比較的特別な街なら戦争に巻き込まれるのも遅いかもって思えるし。」
と彼の仮説にも思う所を答えて、同意した。私たちはすっかり忘れていた食事を再開し、ウェープランの安全を胸にウェープランでの思い出話に花を咲かせた。
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