第21章 幸福の理

 私たちは車に乗り、鉄橋を渡って向こう岸に渡ることにした。取り敢えずの安全は確保されたと踏んだので、私も車の助手席に乗ることになった。村で貰った周辺の地図と、元から持っていた地図を比較し、自分たちの現在地を掴むことにした。村で貰った地図は紛争地の街周辺の範囲しか示していなかったが、所持品の地図と見比べることで、どの方角へ向かっているかくらいは確認できた。見たところ、まだまだ広大な大地が広がっており、その中でも街の名前が書かれた場所も幾つも確認でき、失われた繁栄を垣間見た。

 私たちは戦争に巻き込まれないようにも他の国々となるべく接していない場所を目指そうという事に落ち着いた。それらを避けて遠くに行くなら、大きな街がある場所を通る必要があったが、そこは他の国と面しているわけでもなく、戦争に巻き込まれる心配はなさそうなのでそこを通ることに決定した。そこは「サラガイン」という街であった。かなりの距離があり、その街に行くだけでも長旅になることが予想できた。

 鉄橋を抜けて仇道を通って行ったが、さっきの荒野とは打って変わって左右には樹木が並び生え、草花が生い茂っていた。バックミラーには通って来た鉄橋と共に赤い荒野が映るため、不思議な気分にさせられる。

 森林地帯を30分ほど真っ直ぐ車を走らせていると、建造物がちらほらとある場所に着いた。樹木はその場所だけ生えずにいたが、草花はそのあたりにも生え、建造物にはツルなどが巻き付いていた。建造物はまたもや崩壊しているものが多数で、そこが何かは判別できなかった。この国がこういった景色の場所が多く含まれるということは推測できるのだが、不可解な点も見つかった。それはサムの、この国はコラプスシャットに耐え切れなくなって滅んだ。という言葉だった。コラプスシャットは何十年も前のことではなく、歴史的に見れば最近のことだ。そこからこんなにも荒廃するものなのだろうか。この国の背景を明確に知ることはできないが、緑が浸食していることからも、つい最近このような放置された施設が多数出てきたようには思えないのだ。詰まるところ、コラプスシャットよりも前からこれらの景色はあったのではないかという推測だ。

 とこのようにこの国を進んでいくと自然的な部分が多い場所でも建造物があるなど、かつてどのようにこの国があったかという背景を非常に紐解きづらいものとなっていた。そういうこともあって、地図を見ても自分たちが今何処にいるのかということがはっきりとしなかった。自然と人工物が入り混じり、森だったのか街だったのかもわからぬ場所を抜けていくことになった。建物がある場所に人の気配はなく、国としての機能以前の問題に思われた。まるで、世界がもう滅んでしまった後みたいに、誰も手を付けることなく放置されたものばかりだった。

 夜になっても車を走らせていた。進んでも進んでも同じような景色が反復し、終わりのない螺旋に閉じ込められたかのような気分になった。といっても景色は所々違って、進んでいるというのは確かだった。途中、地盤が崩壊していて迂回しなければならない所もあったが、目的の場所には向かえていた。少しずつ休みを取りながら走っていたが、夜は車から降りて野宿しようということになった。幸い、ドウルから貰った品々はキャンプを行うのには有用で、材料さえあれば調理することもできたり、焚火を起こしたりすることも容易だった。

 私たちが車を停めた場所は、何の変哲もない森の一郭だった。車から降り、枝を集めて焚火をつけることにした。車から近い、周囲を木々に囲まれる少し開けた場所に場所に火をおこし、それで暖を取り、湯を沸かして粉ミルクを溶かした。森からは虫のさざめきが仄かに聞こえ、獰猛な動物の気配もなく、穏やかなキャンプになった。パチパチという焚火の音は心地よくて、ゆったりとした気分にもしてくれる。ビスケットをミルクに浸し、豆のスープの缶をおかずにしていた。質素だが、この雰囲気もあり悪いものではない。そう思っていると彼が口を開いた。

「無法地帯って聞いてて、確かに怖い目に会ったのはあるけど、こんなに自然豊かで心落ち着ける場所があるなんて思わなかった。」

 と彼自身も今の状況を悪いとは感じていないらしく、穏やかな声でそう言っていた。

「そうよね。不安はまだあるけど、こんな景色が続くならそれも悪くないかも。」

 私も正直な感想を彼に伝えた。この先にもっと波乱が待っている可能性はあるが、希望も持ちたかった。

「アンナはどんな所に行きたい?」

 と彼は唐突に、何でもないことのようにそう聞いてきた。明確な目的のない今の私たちにとってそれは難しい問題だった。逃げるために旅を続けた。では逃げた先に何を期待しているのだろう。私は答えられなかった。

「ソルヴはどうなの?」

 と彼の意見を聞いてみることにし、質問を質問で返した。彼にはもう希望の光が見えているかもしれないと思ったからだ。

「俺は、漠然としてるけど世界が戦争になっても関係のない所に行きたいなあ。ちょっと夢見過ぎかな?」

 彼は考えた後、答えともいえぬ発言をした。かなり漠然としていて参考にはならない。でもいい所は突いている気がする。世界戦争となれば、その大勝による国の拡大の規模は予想することは難しく、ここポトサレクもその拡大に飲み込まれる可能性はあるのだ。例え戦争が終わっても、開拓が進んだ大地では人架が生きていける保証は既になかったからだ。

「私もそんなところかな。こんな自然的な場所でもいいから平和に暮らしたいよ。」

 私も漠然とした理想を語った。フランクが言っていた、人の住まぬ場所に行くというのは、単にそこに生活しているものがいないという意味なのだろうか。もしも、こことは違い、完全に人の手の付けられていない場所があるならば、戦争の影響を避けるにはうってつけの場所かもしれない。

 今の私には未来は見えなかった。私にとっての幸福は?今の私にとっての幸福はソルヴと一緒にいることだった。今は頼りになるものが彼しかいなくてそう思うのは当然だろう。しかし、そういう事ではなかった。私はこれまでずっと彼に支え続けてもらっていて、彼なしでは私は語れない程だった。だから正直に言って、私は彼に依存している節があった。それだけが幸せではないはずなのに。旅を続けていった先の幸福も形が見えず、分らなかった。彼が居るならそれでいい。その安直な考えが怖くなった。私にとってそうでも彼にとってはどうだろう。彼にとっての幸せに私以上のものがあるのが怖かった。その思いは嫉妬や自己肯定感からくるものではなく、先の見えない不安のなかでお互いに命を懸けられる程の存在でありたいという強い願いからだった。

 あと一つ、ただ依存からくるわけではない不安もあった。それが年だ。私は年老いていかないが彼はどんどん年を取っていくだろう。人架の平均寿命は、大体人間と同じだと言われている。だがそれは私を20代と仮定した場合ではなく、私が製造されてからの話だろう。年月で言えば、まだ私は彼の半分も生きていないのだ。寿命で言うならば彼がなくなった後は十年、二十年と私は生きることになるだろう。老いないからこそ、自分自身の終わりが見えづらく、人間の様に老いて後を追うという感覚もないのだ。その感覚があれば彼の死を受け止め、自分が老いて潰えていくことで悲しみも薄れるのではないか。そうじゃない私は依存した重い愛に押しつぶされて、彼と共に死を望むのではないかと思えた。怖いことに今はそれでも良いと思うのだ。そういう理由で、私は幸福の追求を別の角度で行いたかった。近頃心の中にあったわだかまりが形となって浮かんできた。

「アンナ、大丈夫?」

 ずっと焚火を見つめて動かない私に不安を覚えたのか。彼が声を掛けてくれた。

「うん。大丈夫。眠くなってきちゃった。」

 と彼を心配させないためにも今の考えを話すのはやめた。いつかは話し合ったほうがいいかもしれないが今考えることではないのだ。私は横になり、森林の空気を胸いっぱいに吸い込み、やがて眠った。

 朝には出発することにした。荷物をまとめ、再び街を目指すことにした。朝になり、思考がぐちゃぐちゃになるのは避けられたが、不甲斐なく昨日の考えが頭をよぎってしまう。この旅の果てに何が待っているのだろう。私は車の窓から外を眺めていた。この旅を始めてからずいぶん経った。終わりがあるとすればそれは凡庸なものなのだろうか。「人生」は劇的なものではないと知っていたはずが、この旅は知らない価値観や風景に触れることが多く、感銘を受けたことが幾度もあった。そんなことに思いを巡らせて、車に揺られながら次の目的地に行くのだった。

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