第18章 再発
三年の月日が流れた。私は造船所と帆船での仕事を続けていた。帆船ではユナレとコミュニケーションを一番取っていたこともあり、仕事のしやすさという理由から機関士補佐という役職を任されていた。ソルヴもこの国の言葉を話せるようになり、パン屋で働くようになっていた。お互いにこの街ではうまくやっていけており、大した不満も抱えることなく過ごすことが出来ていた。最近はソルヴとの年の差を感じるようにもなってきた。彼はまだ若いが、私が年を取らない分、その差は着実に広がっていることが現実問題として挙げられる。しかし、直近で気にするような問題ではなかった。
一方で世界情勢は更に悪化し、飢饉などの理由により戦争を始める国も出て、それも増えつつある。それに伴ってデモや暴動の成果なのか、人架廃棄の運動が各所で見られるようにもなり、その行為も世間的に正当化されてきた。人架を家族のように扱う人々もいたが、国が武力行使で無理やり引きはがすなどして、人間の権利さえも脅かされる事態となっている国が幾つもある。各地での戦争と、武力による民衆の制圧は再び世界に大混乱を招くことになった。
私たちの文明は過去に著しく後退している。その原因は「コラプスシャット」と呼ばれている文明崩壊である。私たちが「あの事故」と散々呼んでいたものだ。ある日、何の前触れもなく全世界で主要な電子機器が一斉にシャットダウンした。これによって人類は文明に途轍もなく大きな打撃を受けた。それは民間の家電にまでも及んだため、世界は大混乱に包まれたが、何とか庶民が生活できる程にまで復旧は行われた。そこで一旦大混乱は収まることとなったが、大きく発展した技術などは失い、元の生活に戻ることも厳しく、今でも財政を元に戻すことに死力を尽くさなくてはならない状態にある。なので全てが元に戻った訳ではなく、古創主義でなくとも各所に古い技術が応用されているのもその結果によるものだ。各地でデモや暴動が行われ、検問所が設置されるようになったのもこの後からだった。もっと時代が進めば、人架の権利が充実し、個々として認められるようになっていたかもしれないが、そんな岐路で大混乱が招かれたため、人架という存在にも魔の手が迫る原因ともなった。
この文明の剝奪は陰謀論であるという見解もあったが根拠はなく、真相は誰にもわからない。この事故によって世界中は未だに飢饉の問題を抱え、戦争を余儀なくされる国も多数に上ったわけだ。その結果が今の大混乱であり、その混乱に乗じるように人架の居場所が奪われつつあるのだ。いつか人架が存在しなくなってしまう日もそう遠くない気がする。この街ウェープランの古創主義はコラプスシャットの前から存在しており、崩壊した文明の中でも打撃が少なく生活できていたそうだ。古創主義はコラプスシャットの影響を受けづらいものが多かったので、一時期話題になったという背景がある。また、この街もトゥモールという国の傘下にある以上は、戦争になった場合も巻き込まれる可能性は十分にあり、人架廃棄の問題も今は顕現していないが、いずれ浮き上がってくることも考えられ、いつまでもここで平和に暮らしていけるかは分からなかった。
そんなある日、長い航海の後、いつもの様に船から積み荷を降ろし終え、業務を終えて帰ろうとしたところドウルに声を掛けられた。
「アンナ。君に大事な話がある。今夜ここに来られるか?できればソルヴも連れてきてほしいんだが。」
私にだけ聞こえる声で真剣な眼差しでそう告げてきた。ソルヴの名前も挙がり、何の話かは皆目見当もつかなかった。仕事の話で呼ばれたことは何度もあったが、彼の名前を引き合いに出されたことはなかった。
「ええ。今日は彼も仕事がないと言っていた気がします。」
3週間ほどの航海に行っていた後なので、詳細は把握していないが家に居ると言っていた気がする。
「そうか。では一緒にここに来てくれ。俺は待っているよ。居なかったとしても最悪君にだけ話をしよう。」
と言ってドウルは私が帰るのを見送ってくれた。この時、時刻は夕方くらいだった。家に帰ると彼はキッチンで食事を取っていた。長い航海では到着日数が前後しやすいので、到着の日時になってもわざわざ私を待たずにご飯を取ってもらうことを日常にしていた。帰って久しぶりの再会を喜びたいところだったが
「ただいま、なんかドウルさんが、話があるって。今夜出られる?」
と彼に挨拶をしつつ、直ぐに聞いた。別に焦りはなかった。大事な話とは言っていたが危機感を覚えるようなことではないと判断したからだ。
「お帰り。ああ、大丈夫さ。」
と彼はそう答えて食事を終えてから、支度を済ませた。そして二人でドウルの居る桟橋へ約束した時刻に向かった。
桟橋に行くと先ほどと変わらぬ場所でドウルが木箱に腰掛け、帆船を眺めていた。ずっとこうしていたのか一旦何処かへ行ったのかは不明だったが、荷下ろしの時にいた職員たちは軒並みおらず、ドウル一人だけになっていた。
「お待たせしました。お話ってなんでしょうか?」
と私はドウルに声を掛けて、要件を尋ねた。それを受けてドウルは
「ソルヴ久しぶりだね。まあ、立ち話でもなんだ。中で話そう。」
と帆船に指さして立ち上がった。いつもは帆船に掛けられている木の橋は、荷下ろしが終わると回収されるのだが、この日はまだ掛かっていた。私たちは黙ってドウルの後に着いていき、船に乗り込んだ。ほぼ完全に停まっているこの船ならソルヴの船酔いは心配ないだろう。
私たちが案内されたのは船内の作戦会議室だった。部屋の真ん中の円卓テーブルに何人かが腰掛て囲むことができるように椅子が設置されていたが、食堂のみたいに規模は大きくなく、私とソルヴ、ドウルと二対一の形で向かい合って座ったが、お互いの距離はそこまで離れておらず、話し合うにはもってこいの場所だった。ドウルは座ってしばらくすると話し始めた。
「いきなりで悪いんだが提案があるんだ。今、世界各地が戦争になりつつあって、人架も居場所を失っていっているのは知っているね?いざ、この国トゥモールも戦争になった時、ここウェープランも例外ではなくなる。そこで君たちはここから逃げる選択をすべきだと思うんだ。急にこんなことを言われても困ると思うが現実で起こっていることなんだ。」
と本当にそれは急な話だった。私はこの街が好きだし、出ていくつもりもなかった。ここに居たかった。
「でも、そうなるって決まった訳じゃないですよね?戦争も直ぐに収まるかもしれないし…」
と私の中の希望を口にした。可能性があるだけでそう慌てふためいても仕方ないではないか。しかし、ドウルは
「実はもうほぼ確定していることなんだ。残念なことにね。俺も古創主義の研究成果を国の偉いさんの所に持っていくこともあってね。そこの人とは仲がいいんだ。それで知った。今後は世界的な戦争は避けられずに悪化していくことは目に見えてるってね。俺も最初は信じられなかったよ。そんなのは憶測だろうってね。でも世界の飢餓状況を記した資料や戦争せざるを得ない財政難にあることを知らされて本当だって解ったんだ。だから近いうちにここも戦争になる。それは避けられないんだよ。万に一つなら起こりえないかもしれないが起こってからでは遅いんだ。そうなったら、検問は封鎖されて出られなくなって人架の廃棄も開始されるだろう。」
ドウルの話は説得力があり、明らかに私を厄介払いするための口実にそんなでたらめを言っているわけではなかった。それでもすぐには理解し切れなかった。世界でそんなことが起こっているのは知っていたが、ここだけは大丈夫だと高を括ってしまっていた。
「そんな。でも、他の皆さんは?ここには人架だって何人もいるんですよね?その方たちはどうするって言ったんですか。」
きっとこの話をしたのは私たちが第一人者ではないだろう。その人たちの意見を参考にしてみてはどうだろうと考えた。
「他の者は…ここに残るのも多いよ。他には抗議をするため街を出ていった者もいる。逃げたものも何人かいるよ、街にだけどね。」
とドウルはいくつか例を挙げて言った。それを聞いてもどうするべきか分からなかった。逃げるべきか、ここに残るべきか。考えているとしばらく黙って聞いていたソルヴが口を開いた。
「それで、ドウルさんはただその人たちと同じように逃げてくれっていうわけじゃないんですよね?」
と彼は何か納得している様子で言った。ドウルの意図を察したらしかったが、私には何のことかさっぱり分からなかった。ドウルは決まりが悪そうに
「そうだ。鋭いね。非常に申し訳憎いんだが街へ逃げたとしても戦争から逃げられる確率は非常に低い。俺が提案するのは国でない国、法律もないところに行くことさ。危険な選択だがアンナにとってはそれが一番安全だ。まあ、みんな行かないって言うことからどういう選択かは理解してくれ。もちろん提案だ。どうするべきか、自分たちで決めて欲しい。」
こんな情勢になると知ってまで、ほとんど誰も行かない場所はさぞ危険な場所なのだろう。そこまでして私たちの安全を勝ち取らなければいけないのだろうか。私たちが黙っているとドウルは口を開き、おもむろに話を始めた。
「少し昔の話をさせてくれ。ソルヴには言ってなかったが、俺は人架なんだ。そして前は所有者が居た。名を「カノラス・ホプキンス」という男の人だった。彼は古創主義に熱心に取り組んでいたんだが、同時に好奇心が旺盛な人でね。人架が普及した時もそれを取り入れて時代の流れに乗っていた。その時に俺が購入されたって訳だ。彼は思慮深い人で、俺にホプキンスというファミリーネームを名乗らせてくれて、まだ権利が出来て間もない頃だったが、そんなの関係なしに俺のことを大事に家族同然に扱ってくれた。彼もここの船長を務めていて、その頃からこれらの船の研究はされていたよ…そして俺をここの仕事に就かせて働かせてくれた。俺もやはり人一倍仕事もできたから嫉妬の対象にもなり、煙たがる人も最初は多かった。だけどカノラスさんは職員それぞれの良さを引き出して、人架が居たって以前と何も変わらぬとその人達に教えて、人も人架もより良く働ける環境を作り出したんだ。そんな中であの事故が起きた。電子機器はあまり使わない生活だったが、人架の単純化や廃棄が謳われるようになったのは大きく影響した。彼はこの街に働きかけてその運動を取りやめるまでに活動を広げてくれたんだ。俺も嬉しかったよ。混乱の中でも、お前はお前だ。と言って今までと何も変わらず接してくれたから。だけど、彼は世間風が強くなって、程なくして亡くなってしまった。本当に偉大な人だった。あの人のおかげで今この街があるんだ。あの人が居続けてくれたら、もっとこの街は良くなっていたかもしれない。
その後は彼の意志で俺が船長を任された。彼のおかげで文句を言う者はいなかった。誰もが人架の可能性や人にだけある良さを知ってくれていたから。ユナレもその内の一人さ。俺が船長になることを最後に後押ししてくれたのは彼女なんだよ。俺はその後、この街の整備と船での人架の雇用形態についてより良い環境になるように貢献したんだ。だから実は俺が船長になってまだそんなに経ってない。まあ俺のしていることはあの人の足元にも及ばないがね。
だから、これは俺の希望に過ぎないけれど、そんな世界が何て言おうと大事にし、愛してくれている人が居ることをアンナには幸せに思って欲しいんだ。所詮人の都合で作られた我々が、人生を賭ける程に愛してくれる人に出会えたのは奇跡だと思うんだ。俺はあの人が愛したこの街に残る。例え廃棄されると解っていても。だけど、アンナ。君にはソルヴという大切な人が居る。危険なことをさせるつもりだという事はわかっている。でもそういう人とずっといて欲しいんだよ。大事だって解っていても失ってから気づくものもある。まだその時じゃないだろ?」
と話はこんなところで、ドウルの思慮深さや人情味あふれる理由を知ることできたが、既に大切な人を失ったからこそ、そこに込められる思いも大きく、ここから逃げて欲しいというのは切なる願いだと実感した。ソルヴの存在の有難さが改めて認識できた。
事の重大さはわかったがそれでも決めきれない。例えここから逃げたとしてもその先に安全があるとは限らない。こんな時ソルヴはどんな決断を下すのだろう。彼の行動があり、私はこの街に出会えた。今回も彼が出ると言うなら私も異論はないし、結果が悪くても責めるつもりはない。そう思い、彼の方を見た。それに彼は気づき
「こればかりはアンナが決めなきゃ。もしどんな決断をしても俺は君のそばに居るから。」
と少し突き放された気分になったが、それは真っ当な意見だった。人架を取り巻く問題を彼に丸投げするわけにはいかない。自分がどうするかということは自分で考えるべきなのだ。
「私は…わからないよ。今までの話を聞いて、この街を出なきゃいけないのはわかるけど、本当にそれが正しいのかは分からない。この街を出ていくのが不安。正直出ていきたくないよ。この街も、この街の人も大好きなんだもん。」
ここに残るというリスクがどういう事かは理解しているつもりだった。それでもそのリスクは、目的の見えない旅の代償には不釣り合いなものに感じた。深く考える中で、廃棄という言葉と共に過去のトラウマがフラッシュバックした。また、あの命を脅かされる感覚に捕らわれて生きなければならないのか。その感覚が全身を伝い、声が漏れてしまった。それを見かねてソルヴが声を掛けてくれる。
「大丈夫。心配いらない。ここから出ても、もし世界が落ち着いたらここに戻ってこよう。ここに残るとしても全力で君を守るよ。だから自分の決断をあまり重く受け取る必要はないんだ。」
と私の背中に手を当てて擦ってくれた。いつもこの人は私に希望を与えてくれる。それによって、廃棄される恐怖に身を震わせながら生きるよりも、先の分からぬ道を歩む方が明るく生きれるのではないかという前向きな考えが少し芽生えた。でもこの街がどうなるかは分からない。戻ってきても私の大切な人たちはもういないかもしれない。そんな不安もあった。それでも
「私、この街から出るよ。不安は大きいけれどソルヴと一緒ならどこまでも行く。」
と決心を示した。肯定的な感情は少なかった。本当に非力だ。そう思った。何の力もなく、何も変えられない私たちは逃げることしかできないのだ。今まで逃げてばかりで、これからも逃げ続けることになるのは目に見えている。戦いたいがその力がないのは充分に解っている。そんな当然の理が憎らしい。
「すまないな。辛い選択をさせて。本当に。」
とドウルは泣くようなことはなかったが、心のこもった声でそう言い、私たちに深く頭を下げた。責めるつもりも勿論ない。私たちのことを案じてくれているのは痛いほど伝わった。
「ドウルさんは悪くないんです。今まで本当にお世話になりました。しばらくしたらこの街を出ます。」
と私も頭を下げてドウルをなだめた。ここまで思ってくれる人に自分を責めて欲しくはない。ソルヴも礼を言い、頭を下げた。
「ああ、こちらこそさ。国でない国。君たちが行くのは「ポトサレク」という国で、広大な大地が広がっている。果てに何があるのかは俺にも分からないが戦争からは逃れられる。きっと幸せを見つけられるさ。二人なら。それとこれは選別だ。」
と言って壁に掛けられた地図でその場所を指さしてから、足元から大きなバックパックを二つ取り出し、テーブルの上に置いた。ここからでは見えなかったがきっと最初からこのことを見越して置かれていたのだろう。中には船でよく口にした、保存性の高いビスケットや粉ミルク、缶詰などが詰められ、その他はキャンプに使える鍋、ランタン、ナイフや食器類などがたんまりと入っており、この先で野宿することを十分に考慮した内容となっていた。
「いいんですか?こんなにも…」
至れり尽くせりだ。何度礼を言っても足りないだろう。
「もちろんだとも。出発はいつごろにするかな?」
とドウルはいつもの柔らかい口調で聞いてきた。もうこれも聞けなくなると思うと物悲しい。ソルヴはこの選択も私に任せた。
「明日には出発しようと思います。気が変わらぬ内に。」
と私はドウルに返した。ソルヴも異論はないようで頷いてくれた。
「それが良い。大事にはしたくないので、悪いが告別式は行えない。造船所と帆船の仕事を辞めることはこちらで手配するよ。他には、この街を出るという事を伝えて欲しい人がいれば担おう。急に出ていくとは自分からは言いづらいだろ?」
ドウルの言う通りで、今日決まって明日に出ていくという事を伝えるのは難しい。今日の事での気持ちの整理も必要だからだ。
「船員の皆さんにはありがとうございました。とお伝えください。ハオイルには出ていくと伝えてください。後、ユナレさんにも。」
私はドウルに後のことを任せることにした。今、ハオイルやユナレと会えばまた気持ちが揺らいでしまうかもしれないから。
「分かった。伝えておくよ。明日、検問所まで車を回す手配をするから駐車場に集合しよう。時刻は任せるよ。」
とドウルは言って話し合いは終わった。明日は家賃解約のためにも昼に出ていくことにして、それを集合時刻にした。
帰って寝る前にソルヴが心配してくれたが、心配しないで。と明るく返した。不安は大きかったけれど、旅も楽しいかもしれないのだ。元はと言えばこんな目的も分からぬ旅から始まったではないか。そこには小さな希望も確かにあった。
朝に解約の手続きやその他諸々を済ませた私たちは、集合時刻に約束の場所へと向かった。朝食と身支度は済ませ、荷物もボストンバッグ2つに二人のカバンと昨日貰ったバックパックを持って出たので準備は万端だった。
駐車場前に着くと、ドウルの他に二人の影が見えた。ハオイルとユナレだった。私はてっきり自分たちが出ていった後に代わりにサヨナラを告げられるものだと思っていたので驚いた。ドウルは昨日の内にこの二人に伝えに行ってくれていたのか。私たちに気づいてハオイルが駆け寄ってきて言った。
「急に出て行くって言われて驚いちゃった。悲しいけど引き止めたりしない。今まで本当に楽しかったよ。船でのことや、街を回ったことも全部鮮明に覚えてる。もっともっと一緒に居たかったけど残念だよ。でもきっと大丈夫。もう会えないなんてことはない。またどこかで会えるよ。そしたらまた色んな所に行こうよ。アンナも私の事を忘れないでね。絶対だよ?」
ハオイルは私を抱きしめて、いつもの明るい口調で言っていたが、泣きながらだった。出会ったときは私よりも若かったハオイルは、今では私と同じ年程に成長していた。私も泣きそうになりながらハオイルを抱きしめ返していると、後ろからユナレが歩いてきて私とハオイル二人を抱くような形で私に言った。
「アンナ。あなたといられた日々は本当に充実していたわ。あなたは良い子で明るくて、沢山思い出もくれたわ。それなのに私、なにもしてあげられなくてごめんね。もっとあなたに思っていることを伝えるべきだった。だから最後にせめてこれだけは伝えたくて。ありがとう、アンナ。」
ユナレもいつも様に落ち着いた口調ではあったが、目からは涙が流れていた。そんな二人からの熱い見送りに私はとうとう泣いてしまった。私を抱く二人を強く強く抱きしめた。そうすると二人もそうしてくれた。私たちはお互いが落ち着くまでそうしていた。私は落ち着いた後、二人にサヨナラの挨拶をした。
「私、二人には本当にお世話になりました。ハオイル。あなたは私にとって一番の友達だったわ。本当は離れたくないよ。私だって一緒に居たいんだよ?だから忘れたりなんかしない。またどこかで会えるって信じてるからね。そうだ。バンダナ。一緒に買いそろえたのがある。私はいつもそれを身に着ける。いつか出会ったら直ぐに解るように。ユナレさん。私はあなたから色んなことを学び、与えられましたよ。本当に感謝してるんです。仕事もたくさん丁寧に教えてくれたし、不安な時は傍に居てくれました。私もユナレさんの素敵なところをいっぱい知れました。だから大好きです。ありがとうユナレさん。」
とまた泣きそうになりながらも二人の手を握りながら思いの丈を伝えた。ハオイルはポケットから例のバンダナを取り出して、それを首に巻いてスカーフ代わりにし、満面の笑みを浮かべてくれたし、ユナレさんは私の頭を撫でて微笑んでくれた。名残惜しい気持ちもあったがそろそろ行かなくては。やっぱりやめましたなんて口が裂けても言えない。暖かい気持ちのままこの街を出ることにした。二人はソルヴにも挨拶をし、私たちを見送ってもらった。
ドウルに街のいくつかある検問所の内、ポトサレクへと向かう場所に車を回してもらい、そこで別れるようにした。私たちは車に乗ったところで、ドウルが最後の挨拶をしてくれた。
「幸運を祈ってるよ。君たちに会えて本当に良かった。また会えたらいいな。」
と二人に握手しながらそう結んだ。
「ええ。ドウルさんが進めてくれた道です。きっと幸せに暮らせます。さようなら。」
「アンナが世話になりました。あなたも無理をなさらないように。」
私たちもサヨナラの言葉で締めくくり、検査を終えてその場を後にした。ドウルは最後の最後までいいリーダーだった。さようなら、愛しきウェープランの街並み。
街から出てしばらく車を走らせていたが、左手は崖でガードレールがあり、その先は見慣れた海が広がっていった。右手は高い壁で、その上には木々が続いていたが映えるようなものは無かった。三年も見続けた海ともお別れだ。私は見えなくなるまで車窓から海を眺めていた。海が視界から消えてまたしばらくすると国境線に着いた。
この先がポトサレクであったが、国境線は機能しておらず、建物があったであろう場所も崩れて原型をとどめていなかった。リッツァルの街にあった国境線と違い、大掛かりな施設は見当たらず、厳重な門だけが開けっ放しにされて放置されていた。私たちは、誰も居ないので許可もなくこの国に入ることにし、そのまま車を進めた。と言っても、もう国としての機能はとうの昔に破綻しているそうだが。国境線の近くにはかつて街だったと推測できる建物がいくつもあり、規模は比較的小さかったが、ずっと前までは人が居たであろう痕跡がいくつもあった。道路はアスファルトで整備されていたようだが今ではほとんど朽ちて、当分の間街の整備が使われていないことが分かった。住居であった場所も殆どが崩れた建物で構成されており、この街に寄る必要はなさそうだった。なので私たちはこの名前も分からぬ人っ子一人いないであろう街を一つ抜けまた先に進むことにした。もし、荒らされてこのようなあり様となっているならばこの国の治安はどれだけひどいものなのかという不穏さがあった。
車で街を抜けた後、道路として道は続いていたが、それ以外は地平線まで荒野が続いていた。中には原型が分からぬ人工物もあったが、そこがかつて街だったのか、何かの施だったのかは判別できない状態まで劣化していた。それすらも通り過ぎると、もう建造物も何もない、岩だけが散見する景色へと変わった。あっけからんとしているが、かつて栄えていた場所だったのだろうか。
退屈な景色が続き、特に話の種もなかったので彼はカーラジオをつけた。久しぶりだが、まだ動くようだ。ウェープランに居た頃は稀に車に乗って外に出たりしたこともあったが、ほとんど乗ることもなく置物と化していた。ラジオのニュースは途中からだったが衝撃的なことを耳にすることになった。
「…にして…デイラントは隣国であるノフキアジに宣戦布告を行いました。これに対してノフキアジも全面的に対抗する意思を表明しています。現在、両者の国境は封鎖され、移民を受け付けない体制を強化しています。なお、デイラントでの人架廃棄率は高い水準が見られるようになり、今後の方針については検討中とのことです。」
デイラント。それは私たちが住んでいた国だ。国境が閉鎖されたということはビターフォールも例外ではない。そんな逃げられない国の中で人架廃棄の運動が行われるなんて、そこに居たということを想像するだけでゾッとする。デイラントは比較的平和な国だった。他に比べれば暴動も少なく、デモも取り立てるほど酷いものではなかった。そんな国でさえ戦争を始め、人架を廃棄する運動が見られるという事実によって、世界戦争になるかもしれないという不安が現実味を増してきた。そして、こんなにもタイムリーに知ることになるなんて。ドウルはもしかしたら本来話すべきでない機密情報のようなものを私たちに警告として掲げてくれたのかもしれない。そしてふと思う。
「ねえ。ソルヴ。もしかしてこうなるって知ってて旅に出ようって言い出したわけじゃないよね?」
全てが嫌になったというよりもこのことを予想していたと言う方が合理的で辻褄が合う気がした。しかし
「まさか。こんなことになるなんて予想できないよ。俺はただ単純に喧騒とか日常とかが嫌になっただけさ。だから今内心ほっとしている。あの街に居たらと思うと…」
と彼にも分かっていたわけじゃないことを再確認できた。変な話だが、このニュースで不安は少し軽くなった。街を抜け出して遠くに行って、戦争が起こらなかったら今からの旅のリスクに見合わない。既成事実としてあってくれた方が前に進みやすかった。最もウェープランにそれが及ばないことを心から願っているのは変わらないが。
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