第15章 海へ
講義と運動の日々が過ぎ、いよいよ実施訓練の日が来た。私たちは予め、指定された三日間の動きやすい服の着替えと自分にとって必要な日用品を持って桟橋前に赴いた。
桟橋には既に昨日までの訓練の時より多くの人が集まっており、見慣れないエンガルドの職員と思わしき人々も何人かいた。職員たちは桟橋から帆船へと橋を掛けて荷物を詰め込んだり、安全点検をしたりしている様子だった。ドウルもバインダーに紙を乗せて、そこにチェックをいれながら職員に指示を出していた。職員だけで作業を行い、訓練生は手伝わなくいいらしかったが、それらは集合時刻までには済みそうだった。
そんな光景に見とれていると後ろから肩をたたかれた。その正体はハオイルだった。しかし、彼女を見て私は少し驚いてしまった。ハオイルは正に海賊といった服装をしており、頭に青いバンダナを巻き、シャツの上に革製の羽織物をし、下は丈が膝上程の短パンを履いた軽装をしていた。それらは普段着と比べるとかなり派手なものであった。ハオイルの衣装はいつも少し派手な衣装だったが、この街っぽさを残してはいたので、今回のそれが少し異質に感じた。
「おはよう、アンナ。驚いた?」
とハオイルは自信たっぷりに聞いてきた。彼女自身も奇抜な衣装であるという自覚はあるようだ。
「それ、海賊?」
と私は目を丸め、単純な疑問を返した。ドウルがどんな格好でもいいと海兵や海賊を例に出したのは半分冗談だと思っていた。
「そうだよ。かっこいいでしょ?でも変なことなんかじゃないんだよ。ほら。」
とハオイルは船で荷造りをしている同じような格好の職員に指をさした、先ほどまでは見えなかったが、船の上にはハオイルと同じようにまさに海賊といったような服装の職員が何人かいた。ドウルが自由だと言っていた様にここでは普通の事なのかもしれない。一人だけなら恥ずかしいことかもしれないが船の上に何人もいるとなったらそれは自然で異質でもなくなる。
「ほんとだ。いいね。それ普通に売ってるものなの?」
と私は関心を寄せ、また疑問を口にした。彼も面白そうにハオイルの服装をまじまじと見ていたが好奇の目というわけではないらしかった。
「いや、特注だよ。と言っても他に何人も着たがる人はいるからそんなに高くないんだけどね。」
こんな衣装を着て、ごく自然にふるまえることが不思議だった。それが普通だという事がまだ理解できていなかったのだ。私は古創主義というものを完全に分かっていないのかもしれない。そして、これが彼らの普通であるならばなんと自由で素晴らしい文化なのだろうと思った。
そうこうしている間に船の荷づくりが終わったらしく、訓練生も数が揃っていた。いつもの如く訓練生の前に立ちドウルがスピーチを始めた。
「おはよう。諸君。今日はいよいよ実施訓練の日だ。我々は三日間の航海をするが、回るのはこの辺りで、夜には一旦この船場へ戻ってくる。基本的に船から降りることはできないが、もしどうしても船に居られないならばその時に降りてくれ。これは一つの試験なので、悪いがそこで降りたものは通常の航海に連れていくことは認められない。でも、また試験を受ける機会はいくらでもあるからそれで見限られるというわけじゃない。あくまで自分の体調などと相談して考えてくれ。今日の予定の詳細は船の上で話すからひとまず乗ってくれ。」
とドウルは横にずれ、桟橋への道を開けた。私たちは胸の高まりに心を躍らせながら一列になって歩みを進めた。いよいよ、街に来て最初の目標だった船に乗ることが達成できるのだ。これはあくまで訓練で、真の目的はこの先にあるが、実際に海に出るというのは感慨深いものがあった。
私たちは桟橋から帆船へ掛けられた木の板でできた橋を渡り、甲板へ降り立った。甲板は、中央に太くて背の高いマストが立てかけられているものの、広々としており見晴らしも良かった。訓練生がすべて乗り込むと残りの職員も乗り込み、職員たちの最後の点検が開始された。それが行われている間にドウルは訓練生を中央のマスト前の一か所に集めて、荷物を職員に預からせて説明を開始した。
「どうだね。船の上から見た海は一味違うだろう。さて、今日の予定だが、出航を開始して最初の一時間は自由時間にしようと思う。せっかく船に乗れたんだ、景色も見たかろう。だが甲板以外の場所には行かないでくれ。一時間後はこの船の設備と業務についての説明を午前午後に分けて行うから、もう一度ここに集まってくれ。」
そうドウルが言うと航海士のクリムがやってきて問題ないと伝えた。クリムもハオイルのように海賊のような恰好をしており、この景色に溶け込んでいる気がした。
「分かった。では出航しよう。錨を挙げて帆を張れ!」
ドウルが声を高らかに挙げると桟橋から掛かっていた橋が撤去され、錨が巻き取られ、帆が一気に下ろされた。その光景は如何にも出航のファンファーレが鳴らされたかのような感覚をもたらし、再び私たちの心をときめかせた。程なくして船は桟橋を離れて街を背に、海に向かって前進した。また一時間後に。とドウルが訓練生に解散の合図をし、自由時間が訪れた。
私と彼はそれぞれ離れて好きな場所に行き、私は甲板の端から海を眺めることにした。船の端は高めの柵に覆われており、そう簡単には落ちることはない構造になっていた。潮風と船の揺れる心地よさのなか、離れていく街と地平線まで続く海を眺めた。美しい景色にも感銘を受け、私はこの上ない多幸感を覚えていた。
この街に居てもいいという感情は、この街に居たいという確信へと変わった。この旅に出て本当に良かったと、改めて思うことが出来た。この街には私たちがずっと求めていたものがあるではないか。デモや暴動もなく、人架かどうかなんて関係ないと言わんばかりに街の検問は緩く、世界で大きくなりつつあるそういったものに不満を感じずにいられる。ビターフォールは比較的いい街だったがいずれは暴動の街になるという可能性も秘めていた。そんなところで燻り続けず、動き出せたのは正解と言って間違いないじゃないかと。感動と海に揺られているとハオイルが声を掛けてきた。
「何考えてるの?アンナ。」
私が遠くを見つめていたので、何か思い詰めていると思われたかもしれない。ハオイルにはきっと駆け落ちの話をしても何も問題はないとは思ったが、もう少し仲が良くなって打ち解けてからそのことは話したかった。
「いい街だなって。今の世間が抱えるような問題もなさそうだし。」
と私は意図せず少し匂わせるような発言をしてしまったかなと思ったが
「そうでもないよ。表になってないものの方が一段とどす黒いし…」
とハオイルからもっと匂わせるような発言が飛んできた。私はその真意を聞きたがったが、ハオイルがすぐさま別の話題に移ってしまった。
「でも、いい街なのは確かだよ?景色もいいし、優しい人も多いし。そうだ。アンナはなんでこの船に乗りたいと思ったの?」
ハオイルが意図的にそうしたのか、特に深く考えずにそうしたのかは分からなかったがひとまずは置いておくことにした。
「そうだなぁ。かっこいいし、通だなと思ったのがきっかけかな。今はこの船での暮らしも気になるし仕事にも興味があるよ。そういうハオイルは?」
講義の中で知らなかったことに触れた分、興味を持った側面も多くなった。
「私も同じような理由かな。私の場合、見ての通り昔から海賊がすごく好きでさ。かっこいいと思ってたの。でも歴史を勉強するうちに海賊ってそんなにいいものでもないと知ってさ。憧れも潰えかけて…そんな中、この船団に「自分の思い描く海賊でいいじゃないか」ってことに気づかされて、それからは明るく陽気で愉快な海賊が私の理想像なの。」
とハオイルは熱心に語った。なるほど、古創主義の独自の文化の形成というのがこれなのか。歴史に沿い続けるのではなく自分たちの理想も追い求めるという姿勢がその表れなのだろう。
「へえ、いいじゃん。それ私も着てみようかな。」
私は途端にその価値観に興味が沸いてきた。自分の良いと思ったものが認められ、自由な格好ができるのは正に多様性の代名詞のようだ。
「えへへ、でしょ?いよいよ船で航海に行くって決まったらさ、よかったら買いに行こうよ。」
とハオイルは嬉しそうに頭を搔きながら言った。少し恥ずかしいかもしれないが着てみたい気持ちもあったし、着てみたらじきに慣れるものかもしれないと思ったので、快く了承した。
「うん。その時は是非お願いね。また街のことも教えてよ。」
と楽しく会話しているとあっという間に集合時刻になってしまった。訓練生が集まってきて、もちろん彼もその中に居たが、どうも様子がおかしい。顔色がすごく悪く気持ちわるそうにしてこの世の終わりのような顔をしているのだ。きっと船酔いがひどいのだろう。訓練生の中に彼と同じようにひどく体調の悪い者が一名いた。ドウルの言っていたように一人のために船を止めるわけにもいかないので、耐えるしかなかった。彼らもそれを弁えていて文句の一つも言わずに他の訓練生と同じく集合した。集合すると同時にドウルが話し出したので彼に声を掛けることはできなかった。
「さあ、諸君。今からはこの船、「ラ・ヴォヤード」の設備の説明に入る。途中、どうしても気分が悪いなら遠慮せずに職員に申し出てくれ。ではまず甲板からだが…」
とドウルも気分の悪いものにはしっかりと配慮し、二人に優しく働きかけて説明を開始した。この船は三本のマストからなり、船首と船尾が盛り上がるような構造のもので、三つのマストの内二つは高い位置にトップが設けられており海全体を見渡すことが出来るようになっていた。訓練生はここに上ることは許可されておらず、自由に利用できるものではないらしかった。甲板の前方と後方には扉が設けられており、その先は船内へと続く階段があった。
船内は広々とした甲板のイメージとは違い、狭くて若干窮屈だった。階層は二つで、大まかに上の階は食堂や、調理室、娯楽施設などが設けられており、船員が集められて何かを行う施設が主だった。ここではB1階と呼ばれている。下の階は船員の寝床や貯蔵庫、シャワー室などでこちらは個人利用に適した施設が主であった。ここはB2階と呼ばれていた。ドウルがこれらの設備の説明を行っている間、ソルヴは何度も職員と共にその場を離れては戻ってくるというのを繰り返していた。ドウルの説明は簡潔で、事細かな注意点は午後にある程度説明するとのことだった。
船を端まで紹介し終えると時刻もちょうど昼時を迎えていた。ドウルも頃合いだな。と言って訓練生の点呼を取り、再び話を始めた。この時は気分の悪かった二人もその場にいたのでスムーズに事が運んだ。
「いい時間だな。諸君。昼食にしよう。B1階の食堂に行く。」
とドウルは言って先導し、訓練生を食堂へ導いた。
食堂の中は若干窮屈な船内に対してかなり広く、この船の船員がすべて収まるほどの規模があった。
「よし、着いたな。真ん中の大きなテーブルについてくれ。料理を持ってくるように手配するよ。その間自由におしゃべりを楽しんでくれ。」
とドウルは指示し、奥の厨房の方へ入っていった。食堂は中央に長方形の大テーブルが置かれ、そこに何十人も座れるように多数の椅子が置かれていた。部屋の隅々には4,5人が囲めるような丸いテーブルもいくつか存在していた。訓練生は自然と長方形のテーブルの端に3対4で対面して座る形となり、こちら側はソルヴ、私、ハオイルの順に座る形となった。私は彼の横に座れたのでようやく話し掛けることが出来た。
「ちょっと。大丈夫なの?今日ずっとしんどそうだけど。」
向かいの気分が優れない男も肩を叩かれ励まされている様子だった。どちらも未だに顔色が悪い。
「大丈夫とは言えないな。今から何かを食べる気にもなれない。」
と彼はしんどそうに体を軽く揺らしていた。どうも落ち着かない様子だった。
「今日の夜、もう降りちゃう?」
そんな彼を見て不安になり、私はそう提案した。この調子だと三日は持ちそうにない。
「いや、頑張ってみるよ。」
だけど彼はそれ以上のことは言わなかった。もしかしたら彼が降りると言ったら私も降りると言うと思って気を使ったのかもしれない。そうしたら、航海に本格的に出る計画は振り出しに戻ってしまうから。こんなにも辛そうな彼を見ているとこっちまでも辛くなって気が気じゃない。しかし
「分かった。無理だけはしないでね。」
と彼の選択に任せることにし、私は念を押した。彼の限界は彼自身が理解しているはずだと思ったので、本当に無理をしていないかなどと問いただしたりはすべきでないと判断した。きっとそっとしておいて欲しいだろうから。彼も黙って頷いてくれた。会話の流れが切れたところで横から軽くつつかれた。
「ソルヴさん、大丈夫そう?」
とハオイルが首を傾けた。別に仲間はずれにしていたわけじゃないが蚊帳の外になってしまっていたみたいで申し訳なく思った。その雰囲気に気づいたようで、口を開いたのはソルヴだった。
「ああ。大丈夫だよ。心配させてすまないね。」
こんな状態でも周りを見ているのは流石というべきだろうか。
「そう。何かあったら私も頼っていいからね?」
とハオイルも気に掛けて言ってくれた。心優しい子なのだろう。彼もありがとう。と一礼してそれに答えた。
「口説いてるわけじゃないからね。」
と私の方を見て、ハオイルは笑いながら言った。私もそんな風には捉えていない。
「分かってるよ。」
と私も笑い返して答えた。
「今はそっとしておきましょう。」
と私が続けて言い、そこからは二人で会話した。そうしているうちにドウルが食堂に戻ってきて、料理もその他の職員によって運ばれてきた。それらは木製でできたワゴンに乗せられて人数分運ばれてきた。内容はピラフのような米料理と、肉団子と野菜のスープだった。料理が一通り運ばれてくるとまたドウルが話し始めた。
「いつもはここで全員揃って食事をしている。実は諸君に船の説明している間に他の船員には食べてもらっていた。人数も普段より少ないんでな。夜は揃って食べることを計画している。それと余談だが、授業でもあった通り、肉などは船の中では大変貴重だ。日持ちしない分特に。今回は一度街に戻って物資を補給できるため、このような食事を出せるといったもんで、普段はもっと質素なものを食しているんだ。さあ、召し上がってくれ。」
と講義を交えたスピーチを終えて自身も席について訓練生と食事を共にした。問題の二人はやはり食が進んでいない様子で、ドウルも声を掛けて励ましていた。私は食事の最中、思いついたことがあったのでドウルに問いかけた。
「あの、すみません。酔い止めなんかはないんですか?」
今更過ぎて、なぜここまで気づかなかったのかはわからない。
「あるにはあるよ。でも普段の長い航海で一日中薬に頼るわけにはいかなくてね。酷だが時間をかけて慣れる以外ないんだ。」
確かに。これはあくまで試験でその先を長い目で見なければならないことを失念していた。
「ごめんなさい。愚問でした。」
と少し落ち込んでしまったが
「いやいやとんでもない。彼もかなり辛そうにしてるし、アンナの気持ちは凄くわかるんだよ。もし限界で耐えられそうになかったらそういう手段もあるんだ。だから君のその発想は間違えじゃないよ。」
と気遣い、私の意見も肯定してくれた。組織を纏めるに当たって必要な厳しさを持ちながら、優しく接することができるドウルは、リーダーとして理想的で、付いていくには申し分ない判断力も有していそうだった。ドウルのそんな偉大であるという片鱗を見れたような気がする。私はありがとうございます。と微笑み、残りのスープを飲み干した。ここの料理も中々に美味しいではないか。
午後は船内での仕事の説明とその中の雑務を任されるといった内容だった。仕事は甲板や船倉の清掃、厨房で行われる仕事などを一通り教えられ、それぞれの箇所に訓練生が割り振られ、雑用を行う。私はその日、船倉の清掃を任されることとなり、他の訓練生も同様に甲板や厨房に行き、船員の手伝いを行った。それぞれの場所には担当職員が配属されていて、指示を受けながら共に作業を行うことになっていた。
私の向かった部屋は、B2階の最奥の部屋の扉の先で、そこから短めの階段を降りたところにある。置かれているものは樽や瓶、木箱などがあったが食糧庫というわけでもないらしかった。私の担当は機関士の「ユナレ・ルーセプト」という女性だった。格好は私と同じように普段着といった風貌で、こげ茶色のズボンと黒いシャツに藍色の上着を羽織っていた。見た目は30代くらいで、昨日までの4日間の訓練の中で講義を行っていた一人なのだが、普段はサバサバとしていて、絡みやすい人柄ではなかった。冷たい人というよりは単に意思疎通を苦手としている印象があった。
「担当のユナレよ。清掃は階段と柱もして頂戴。モップはそこね。」
と掃除用具入れに指を指すと、直ぐに自分の仕事に戻ってしまった。同じ空間で掃除するので、最初は世間話でもしながら親睦を深めようと思っていたが、そういう雰囲気になっていなかった。私はモップを手に取りしばらく床を拭いていたが、沈黙に耐えられず勇気を出して会話を試みた。
「あの、ユナレさんは船に乗って長いんですか?」
兎に角話題を振らなければという思いもあり、非常に稚拙で面白みのない質問になってしまった。
「ええ。」
とユナレは一言答えるだけだった。会話が苦手なのか、それとも言いたくないのか。どちらにせよ会話においての情報が少なすぎる。話しづらさはあったもののもう少しアプローチをしようと思い
「何年くらいとかって聞いても大丈夫ですか?」
と少し踏み込んだ質問をした。ユナレが敢えて答えていなかったとしたらデリカシーのない人だと思われてしまうとハッとしたが
「そうね。7年くらいかな。」
と意外にもすんなりと答えてくれた。しかし、それ以上は何も言わず、あちらから質問が返されることもなく、会話が一方通行だった。倉庫は樽の積まれた棚が並び、常に相手の姿が見えているわけでは無かったので、息が詰まるような思いはしなくて済んだ。それからは少しの沈黙が続いては私が質問をしてユナレが返すという、なんとも気まずい時間が流れていき、途中少しの休憩を挟み、二時間ほどで部屋の清掃も隅々まで終わってしまった。
「お疲れ様。今日の仕事はここまでよ、アンナ。ドウルが来るまでここにいなさい。」
と私の名前を呼んでくれた。何度も質問したが面倒な人物だとは思われていないようでその口調も最初よりも柔らかく感じた。そうユナレが言うと同時くらいにドウルが階段をタイミング良く降りてきて
「もうここの作業は終わっているかな?」
とユナレに対して聞いた。
「ええ。」
とユナレも会話を広げずに答えた。この人は誰に対してもこのような態度だということに少し安心した。
「お疲れ様。アンナ、今日の雑用はここまでだ。まだ夕食までは時間がある。娯楽施設についての説明をするからついておいで。ユナレも今日は好きにしていいぞ。」
ドウルは私に向かって手招いて言った。午前中の施設の紹介では娯楽施設はあるという話だけでその中はまだ拝見していなかった。
「ユナレさん。ありがとうございました。」
とユナレに一礼してドウルに寄った。ドウルが階段を上り始めていて、それに付いていくように部屋を出たのでしっかりとは見ていなかったが、こちらにユナレが会釈してくれている様に見えた。
「娯楽施設はB1だ。ユナレとは気まずくなかったか?」
倉庫から離れた廊下でドウルがひそひそと問いかけてきた。ドウルも彼女の人柄はよく把握しているらしい。
「正直、少し。でも悪い人じゃなさそうでした。」
と思ったことをそのまま言った。この人になら言っても問題ないだろう。
「はっはっは。アンナ、見る目あるね。ここだけの話、彼女意外に世話焼きでね、人の相談に乗ったりもするんだよ?もちろん普段はそんなタチじゃないがね。それにここじゃかなりのベテランさ。」
私の感想を聞き、笑いながらそう答えてくれた。話すのが苦手な分、人の話を真摯に聞くようには見えず、想像もできないがドウルはただただ冗談を言っているわけでもないらしかった。
話しながら階を跨いで少しすると何やら騒がしくなってきた。娯楽施設は船内の廊下にいくつか並んでいる部屋の内の一つだったが、他の部屋よりも若干扉が大きく、少し奥まった位置にあった。扉の前でドウルが止まると説明に入った。
「普段、船内で暇を潰すのに使っているのがここだ。もちろん日中使えるわけじゃなく、決められた時間で開かれる。稀に例外もあるがね。この中はボードゲームをしたり酒を飲んだりできるが、今回酒は出してない。また夜にでも出すよ。今ここで遊んでいるのは船員さ。まあ軽い親睦を深めることもできるだろう。」
と内容はこんなところだった。そう言うとドウルは扉を開けて私をその部屋にいざなった。中はカジノでよく見るようなチップが積まれている木のテーブルがいくつもあり、何人もそこに座ってトランプやらなんやらを楽しんでいた。その他にもチップが置かれていないテーブルもあり家庭的なボードゲームを楽しむ一行もあった。そして奥にはバーカウンターもあり、グラスを傾けている人は居るものの酔っている様子はなかった。そして
「騒がしいところが苦手なら他の所を案内できるがどうする?」
とドウルはここに私を開放するだけではなく、選択肢も与えてくれた。騒がしいのは得意というわけではないがこの空間から聞こえてくるのは陽気で愉快な歓声ばかりだったので好奇心の方が強かった。なので
「興味があるので、ここにします。」
とドウルに告げた。たくさんの人が集まり、楽しそうに騒いでるという光景も心に染みた。
「よかった。楽しんで。俺は他の訓練生を迎えに行く。業務時間に少しの差があったんで一人ずつ案内してるんだ。不公平と思うかもしれないが、それは明日に調節するから問題ないよ。ああ、あとどこのテーブルに行ってもいい。ここには君を邪険にする人間はいない。ここでは人架だとしても関係ないんだ。みんな快く迎えてくれるさ。じゃあまた後で。」
私に行動を起こしやすくして、ドウルは部屋を出ていった。ドウルは船員一人一人に配慮を行っていることが良くとれた。いや、そんなことはこの際どうでもいい。ドウルは今、とても意味ありげな発言をしたではないか。私が人架であるということは一言も発していない。検査だって行われたわけじゃない。あの口ぶりを見るに私を人架だと解っているようにも捉えられた。もし知っているのだとしたらソルヴが伝えたのか。そう考えるのが一番早いが、わざわざ理由なしに私を人架だと彼の口から他人に言ったことは一度だってない。しかし、幸いなことにドウルは信頼できる人間だと思えたので大した不安感はなかった。なぜ。という疑問がとても大きかっただけだ。そんな考えが一巡する前に声を掛けられた。
「おーい、アンナ。こっちきて一緒に遊ぼうよ。」
手を挙げて私の名を呼んだのはハオイルだった。少し奥のチップが積まれたテーブルに座って、数人とトランプで遊んでいた。さっきの件は後でドウルに聞くと決めて今は楽しむことにし、ハオイルの居るテーブルに向かった。
「何をしているの?」
そこでは6人ほどがテーブルを囲って座って対面していた。
「ポーカーだよ。アンナもしてみる?」
興味はあったがルールも知らない私が、勝負の途中かもしれないのに割り込んでいっていいものかと悩んだ。見たところ私の知っているポーカーではなかった。
「あの。いいんですか?入って。私ルールも知らないし…」
問いかけたがテーブルにいる人たちは満場一致で
「もちろんだとも。」
と笑いかけ、暖かく迎え入れてくれた。ハオイルの横に座ると配っていたカードはわざわざ回収され、その中の一人が私に説明を始めた。他の船員も何一つ文句は言わず見守ってくれた。
「アンナ?でいいんだよな。5ドローポーカーはやったことあるだろ?五枚配られた手札を交換して役をそろえるっていうやつさ。これはそれと似ていて、自分の手札二枚と場のカード五枚を組み合わせて、それらで五組の役を作って戦うゲームなんだ。」
内容は小難しくてわからないことも多かったのだが、役は知っているポーカーと同じということらしく、大まかなルールは把握しやすかった。このテーブルにはチップが置かれているが、賭け事をしているわけではないらしく、他に賭け事が行われているテーブルもあるということは後に知った。
説明が終えてゲームが始まっても、ルールを完全に把握できていない私に彼らは理解を示してくれ、ハオイルもチップの出すタイミングや強い手札などを教えてくれたので、こちらも楽しく心地よいプレイをすることが出来た。おぼつかないままだが、途中からは熱中してゲームに参加することができた。チップによる心理戦などは奥深く、1試合の中で何度もそれを出し合うタイミングがある理由も理解できた気になった。たまに役を間違ってしまったりもしたが誰も嫌な顔せずに和気あいあいとプレイしていた。私の知らなかった世界にこんなにも興味を持てたのはこの人たちのおかげだった。そうでなければ最初の小難しい説明だけでやめていただろう。そんな風に過ごす時間はあっという間に過ぎ、いつの間にか晩御飯の時間になっていたようだ。夢中になっていた気づかなかったが、他の訓練生も既に入ってきていた。しかし彼の姿は見当たらなかった。ドウルが部屋入ってきて手を大きく打ち鳴らすと部屋が一斉に静かになった。
「もうそろそろ晩御飯の時間だ。皆B1階の食堂に向かってくれ。訓練生はここで待機しててくれ。俺は残りの訓練生を集めてくる。」
そうドウル呼び掛けると、部屋にいた船員たちは立ち上がりぞろぞろと部屋から出ていった。私たちが居たテーブルの船員たちも立ち上がり。
「また遊ぼう。」
「楽しかったよ。」
などの言葉を残して部屋を出ていった。船員が全て出ると同時に扉が閉まり、ドウルも出ていった。私とハオイルはドウルが戻ってくる間、ポーカーの話で盛り上がっていた。先ほどまでの興奮が冷めやらぬといった具合に。
カードをめくりながらあーだこーだと言っているとドウルが戻ってきて集合を掛けた。部屋から出ると例の二人がおり、依然として血色が悪かった。私が楽しんでいる間も辛い思いをしていたと思うと心苦しい。
揃って食堂に入ると真ん中の大テーブルに60人ほどの人数が少し窮屈そうに座っていたが、まだまだ満席ではなかった。先ほどまで娯楽室で遊んでくれた人々やユナレなどもいた。ドウルは私たちをテーブルの上座の方に案内し、昼と同じような配置で私たちを座らせた。テーブルの上には既に料理や水差しが置かれ、大皿に蒸し料理や塩漬けの料理などがいくつも積まれ、それらはテーブルの真ん中に並んでいた。更に一人一人の前には豆のスープ、パン、木のジョッキと取り皿があった。私たちが座るとドウルは全員が見渡せる上座の席に行き、そこで話を始めた。
「訓練生の諸君。いつも我々はこのように食事を取っている。なるべく全員で食べるようにとテーブルや椅子が非常に多いといったわけだな。そして食事だが、見ての通り豪勢なものではない。保存性が追求された合理的な料理がほとんどだ。このことへの理解を深めて欲しくて今回豪華なものにしていないことをどうか分かってほしい。そして、君たちが無事にこの船団に入隊できるように。乾杯。」
そう言ってドウルが席に座り、ジョッキが交わされると一斉に食事が開始された。船員が中央の皿に手を伸ばし合ってはそれを食べたり、がっついたりする。半分冗談だが、ここだけ見れば海の荒くれものといっても差支えがないかもしれない。私たち訓練生も初めは戸惑っていたが、右へ倣えで中央の皿に手を伸ばして取り皿にとり、自分たちのスープやパンと一緒にそれを食した。料理全般の味は悪くないものの、非常に美味かと問われれば首を縦に振ることは難しいという程度のものだった。だが、何日間もこういった食事を取らなければならないとなっても嫌気が指すようなものではなく、腹を満たす役目だけの物と仮定するならば十分すぎる美味しさがあった。私は長い航海を夢見ながら食べていたが、ちらりと横を見た。彼のことも心配だった。彼は豆のスープをゆっくりと啜っていたが、食べたくて食べているわけじゃなさそうだった。早く良くなって欲しいと思いながらもまた食事を続けた。
食事を取り終えると奥から船員がワゴンを押してきて、私たちの前の食器類をそれに乗せ奥の厨房へ消えていった。その後は船員が手分けして中央の大皿などを片付けていった。どうやら片付けに関しては職員全員でするらしいと考察していると、同様のことをドウルが説明してくれた。片付けも終わると食器洗い担当の者は厨房へと、それ以外のものは下座から順に食堂から出ていった。そこでドウルはまた口を開いた。
「実は普段、娯楽の時間というのは晩御飯の後に設けているんだ。この訓練では特別で、さっきの時間にもあったんだ。だから君たちも今からは各々の好きにしてくれて構わない。勝手がわからぬ場合は聞いてくれ。あと、二時間後にB1階の船首側の階段下に集合するように。その後の予定を説明するからね。では解散。」
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