第13章 仮定

 私たちは宿屋から出て左の広間の十字路を右に曲がり、海辺の道を通って船場付近に向かった。ドウルが指していた帆船のマークが描かれた建物はレンガ造りの「レナエルナ」という名称の帆船の総合組合のような所だった。この街には職業の斡旋を行う所はいくつかあるらしいのだが、ここでは帆船全般や乗組員の管理などを請け負っているらしく、その受付もこの中にあるそうだ。

 中はまた木造で、壁に舵や浮き輪、船の写真が飾られてあり、ここで間違いないと確信できる程に強調されていた。受付は用意されていたが、人は立っておらず呼び出しベルが置いてあった。受付の奥はドアが閉まっており、どうやらその奥は事業所になっていてそこに人がいるらしい。ベルを鳴らすと中から人が出てきて対応してくれた。中から出てきたのは中年の女性で、革のベストとゆったりとした無地のスカートを見に着けていた。この服装がここの制服なのだろうか。

「ごめんなさいね。この時期は忙しくて、ここに居れないの。何の用かしら。」

 と少し慌ただしそうに言っていたが対応は丁寧だった。この街の人はいい人が多いのかもしれないと思えた。

「お忙しいところすみません。船に乗りたくて…訓練の期間や詳細を教えていただきたいのです。」

 と私は単刀直入に聞いた。受付の女性はかしこまりました。と答え、次のように説明した。

「訓練は一週間です。うち四日は体力づくりや座学をしてもらいます。最後の三日間は実施訓練で、帆船に実際に乗ってもらい周辺のルートを巡回するような形で、三日間の航海の体験してもらいます。ちょうど明日から訓練プログラムが開始します。」

 私たちは念のため、メモを取ることにした。紙とペンを借り、聞いた事項を記入した。このペンは普通のボールペンで、昔のものを使っているわけではなかった。

「ありがとうございます。実務はなにをするのですか。あと普段はどれくらいの期間航海するのですか。」

 と彼が私を通して聞いた。これも重要なことで私たちがここに滞在する日数にも関係するからだ。

「そうですね…初仕事の場合、見習いとなりますので、雑用が多くなってしまうかと思われます。お手数ですが具体的な内容に関しましては船の担当者にお申し出ください。航海日数に関してですが、細かな規定はありません。ですが新規見習いへの配慮も兼ねて直近では10日間の航海を予定しています。」

 話を聞くに船に乗って本格的な航海に出るためには最低でも半月以上は滞在する必要があった。私たちはその場で少し話し合ったが、詳細は後で決めることにしてとりあえずは訓練を受けることにした。手続きは煩わしい書類などはなく、比較的簡単に済ませることができたが、手数料と訓練の参加費が必要だった。これもドウルが言っていた、誰でも彼でも乗せるわけにはいかないということの裏付けなのだろう。訓練は明日の午前から始まるらしく、船場に集合するそうだ。訓練の後は再び申請が必要だという事も予め伝えられた。後は給与の事などといった実務ではない部分の詳細を教えてもらった。給与は10日間の出航でも、それ以上の期間の生活が保証される程度の金額で、滞在することに足を引っ張られるような内容ではなかった。

「ありがとうございました。よろしくお願いいたします。」

 と私たちは挨拶をし、帰ることにした。もっといろんな仕事とは関係ないことも聞きたかったが忙しいと言っていたので控えることにした。

「よろしくお願いします。何かあったらまたここにいらしてください。担当のドウルでしたら普段は造船所にいると思います。造船所は出て右手、舵の掛かれた看板が掲げてある青い屋根の大きな建物です。海に面しているので直ぐに解ると思います。」

 と女性は身振り手振りで説明し、私たちがレナエルナから出るのを見送ってから事業所へと戻っていった。

 私たちが外に出ると女性が言っていた通りの大きな建物が海に面して佇んでいた。ここにも桟橋が掛けられており、造船所であるとうヒントが沢山見つかった。特に用はなかったのでそこには訪れなかったが。

 私たちは海辺を少し歩き、路地に入って例の広間に行った。広間は子供たちが和気あいあいと駆けまわり、それを微笑みながら噴水の椅子に座って見ている老人などがいた。皆それぞれ時代が異なる服装で、この街の服は多様性に富み、昔の文明に捕らわれていないことが分かる。私たちもその光景にしみじみとした感情を抱きながら、それを横目に商店街へと向かった。あんなにも楽しそうに遊ぶ子供たちの姿は久しく見ていない気がする。この街への憧れに似た何かがより一層高まった。

 今の時刻は夕暮れ前くらいで、夜までは時間があったが、宿の慣れない設備を使って料理をすることに決定したため、早めに商店街で買い物を済ませることした。

「何か食べたいものはある?」

 と彼は食料品商が多く並ぶ場所で止まり、聞いてきた。実は家に居た頃に主に炊事を行っていたのは彼で、私もたまに作るが、基本は彼が献立を決めていた。この旅を始めてまだ数日しか経っていないが彼の手料理を食べるのはずいぶんと久しぶりな感覚があった。

「そうね。海を見たし魚を食べたい気分になった。他のメニューは任せていい?」

 私は答えた。出会った頃と比べ彼の料理のスキルはかなり上がっており、私は日々密かに新メニューなどを期待している。

「分かった。ちょっと考えさせて。」

 と彼は言い、しばらく目を瞑って深く考えて始めた。他のメニューを何にするのか悩んでいるのだろうか。

「オッケー、まとまった。鱧の酒蒸しと、カボチャのクリームシチューにしよう。」

 とまた続けて言った。時々こういった小粋なメニューを作ってくれるようにもなったので、彼に任せて損はない。

「オシャレね。それでお願い。パンも買わなきゃね」

 とこんな風に今日の晩御飯が決まった。それからは魚屋、八百屋、酒屋など料理に必要な素材を買い、歩いた。魚屋の魚は昨今のスーパーにある切り身とは違い、ほぼ全てが一尾で売っているので、鱗を落とすところから調理しなければならないのは面倒だ。と彼は冗談交じりに言っていた。この街に滞在するなら今までの利便性を代償にしなければならないことも心に留めておこう。

 わざわざ一つ一つの店へ行く必要があったため、宿に戻った時には日は沈みかけていた。宿のオーナーに設備の使い方の詳細を一通り聞いてから調理を開始した。包丁やなべなど料理に必要な器具は揃えられており、ここが生活空間として充実していることが理解できた。私は野菜を切ったり、薪を組んだりと彼の手伝いをして一緒に調理した。キッチンテーブルにそれらの料理とパンを並べ、食事をとることにし、同時にこれからのことについても話し合うことにした。

 私は料理を口に運ぶの一旦止めて彼に話しかけた。

「これからどうする?結構長く泊まるとしたなら、ここだと高くなっちゃうのかな。」

 一応、訓練を受ける段階で船には乗れるため、一通りの訓練を終えた後に、仕事としては乗らずにこの街を離れるという選択肢はあったが、できれば大海原を旅する体験がしたいという気持ちが強かった。

「どうなんだろう。ここはかなり設備が整ってるし、ある程度長期的に泊まることを想定しるんじゃないかと思う。あくまでも予想だけどね。」

 こういう時の彼の予想は大体当たる。私も同様にそのような気がしてきた。

「確かにね。あとでオーナーに聞いてみよう。もし可能なら延長して、無理だったらその時考えよう。」

 と私は同意し、他の案も検討しながら食事を再開した。

「いい案だ。」

 と言って彼も食事を再開し、あとは二人で前に海に行ったのはいつだろうといった談話を楽しみながら食事を続けた。

 食事をとり終えて皿を洗ったあとは大浴場で体を洗いに行くことにした。二人で階段をおり、廊下で清掃をしていたオーナーに例のことを聞いた。

「あの、すみません。不躾な質問なんですが、私たち3週間ほどこの街に滞在することを考えてて、ここを利用したいんですが。その期間泊まるとなると高くなってしまいますか?」

 話し合いでとりあえず余裕をもって三週間にしようとなっていた。オーナーは掃除を止めて向き直って聞いてくれた。細々とした丁寧な所作を見て、接客の心得は充分に蓄えられているのだろうと思った。

「いえ、それくらいの期間ならお安くできますよ。一般的な家賃よりはほんの少し高くなってしまうので、それでも宜しければなんですが。」

 と利用することのデメリットまでもしっかりと伝えてくれた。私たちはすこし考えたが、ひとまず了承することにし

「わかりました。では明日の朝に手続きをお願いします。」

と軽く約束をし、宿を出た。オーナーもかしこまりました。と言って見送ってくれ、清掃を続けた。

 大浴場の場所は、部屋を借りる時に説明されたので知っている。宿から出て左の広間を今度はまっすぐに行き、住宅街を抜けた先にそれはある。大浴場はえんじ色の砂岩のような素材の建物で、老朽化が進んで見えた。利用客もそれなりにいて、出ていく人と入る人が何度もすれ違っているほどだった。

 中は受付のカウンターだけで、くつろぐような設備はロビーにはなかった。私たちはカウンターでお金を払って、男湯と女湯に分かれて浴場に入っていった。脱衣所はかなり広く、大浴場というだけあって大人数での着替えができる空間だったが、やはりくつろげるようなマッサージチェアなどは見当たらなかった。風呂場は大きな風呂が一つといくつかのシャワーからなっていた。ここも機能面を追及しているらしく、シャワーは馴染み深く使っているものと大差なく、風呂場は不便に思うような点は特筆できなかった。しかしシャワーを浴びてから風呂場から出たあと、脱衣所に髪を乾かすようなドライヤー等の機械が置いておらず、残念な気持ちにさせられた。私は仕方なく髪を束ねあげてタオルをターバン代わりにしてロビーへ出た。彼が浴場から出てきたのは私よりも後だった。私が風呂に浸からず、髪も乾かさずに出たためだろう。

「待った?」

「待ってないよ。」

 と何でもない気の取り合いをして、浴場を後にし、私たちは宿に戻り自分たちの部屋に入った。部屋に入った時刻はまだ寝るような時間ではなかったが、明日は早いため寝る準備をした。少し部屋を暗くして、ベッドでくつろいでいると彼が聞いてきた。

「今日一日過ごして、この街はどう?」

 特に深い意図もなさそうなので、私は素直に答えた。

「居心地の良いところよ。本当に。」

 平和な街だ。最初の印象と今の印象はほとんど変わらず良好だった。

「もしもだよ?ここに住みたいって俺が言い出したらアンナは怒る?」

 彼の話に怒る要素は見当たらなかった。私もこの街に居たいと感じている節は確かにあった。

「怒るわけないよ。どうしてそんなこと聞くの?」

 そう私が聞き返すと、彼は仰向けの姿勢だったが、こちらに体を倒して

「俺は急に旅に出ようと言った。もう戻ることはない、行く末もわからぬ旅だ。そんなのに巻き込んでおいて、数日しか経っていないのに、もしも、ここに住むっていう選択肢が出てきたときに身勝手な気がして…ごめんうまく言えない。」

 彼は珍しく感情が整理し切れていないと言った様子だった。私も彼のほうに体を傾けながら

「それは我儘じゃないよ。全部が嫌になって逃げだして、そんな中で落ち着ける場所が見つかるのって幸運なことだと思うの。それに私は好きでついてきたんだよ。決して付き合わされてるなんて思いはないからね。もっともっと遠くへ行って、旅をし続けてどこかで朽ち果てるのが駆け落ちってわけじゃないでしょ。だからもしこの街に留まることになってもそれも悪くないんじゃないかな。」

 と私は自分にも決定権があったことを知らせ、彼の目を見て優しく諭した。ここが旅の終幕になったとしてもそれでいいではないかと思った。

「アンナ…ありがとう。まあ、まだ決まった話じゃないけどね。ここを出ていくとなっても一緒に来てくれるか?」

 と感慨深げに少し明るい表情で彼は返答した。彼の問いの答え。そんなものは当然決まっている。

「もちろんよ。いつでも、いつまでもね。」

 そう言って私はベッドから起き上がり消灯した。

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