第12章 古創主義
街の入り口にある検問所は今までと違って厳重ではなかった。検査も形だけのもののようでそこの担当者も無線でどこかに報告するようなこともなく、紙にメモを取っただけで街に入れてくれた。中に入ると左手に木造の大きな建物があり、そこに車を入れてから荷物を全て持ち出すようにそこの係員にお願いされた。どうやらここは駐車場で、車を預かってもらえるらしく料金も取られないらしい。中に入ると車が何台も停まってあったがどれも長い間乗られていない様子だ。言われた通りに車をその中に停め、荷物を出して出口でこのことについて係員に質問すると、この街では車に乗る人がほとんどいないのと、交通設備も行き届いていないらしく、中での車の利用もできないとのことだった。疑いがあったわけではないが街の中でそれらが本当であることを知ることになった。
街に入ると先ほどから漂っていた陽気な雰囲気が色づき、視界に入って来た。この街は西欧風な木造やレンガ造りの建物がほとんどで、道も現代の街程整備されていなかったがレンガ調のタイルや石畳で整えられており、町全体が古びた様子だった。反面、住人たちは活気づいており、にぎやかで清々しかった。なんといっても運動会を彷彿とさせるような、多数のカラフルな三角の旗に糸を通した飾り付けがそれぞれの建造物を横断するように高い位置でかかっている光景が所々にあるのが特徴的であり、この街の賑やかさを強調していた。これらの風景は何処か見覚えがあり、ノスタルジックな気分になった。更に驚いた点は今までの街と違い、デモの行進もなければ、それを彷彿とさせる看板が何処かに掛かっていることもなく、町全体が暖かく寛容な雰囲気に包まれていたところだ。
そんな街の様子に、興味津々に二人で歩いて程なくして、路地から海が見えた。路地を抜けて海辺の道に出ると彼が前に言っていた漁港が見えてきた。彼が漁港と言い切らなかったようにそういうニュアンスの物ではなく、船場といった方が適切だった。なので、この光景を見た後は二人でこの場所を船場と一括りに呼ぶことにした。ここもかなり古びていて、それも異質な光景だった。船場はとても大きな桟橋がいくつか掛けられ、そこに船が数隻停まっていたが、現代のようなクルーザーや漁船のようなものは一つもなく、大昔のキャラベル船やガレオン船と呼ばれるような帆船が陳列しており、それらが錨を下ろして停泊していたのだ。それを見て思い出した。
「ここって…」
私は驚いて声をあげた。見覚えがあるのも当然だった。彼とこの旅に出たあの日にテレビで映し出されていた情景だった。私はテレビでここの旗や船が映し出された映像をぼんやりと見ていただけだが、その時はてっきりアミューズメント施設か何かだと思いこんでいた。
「あれ、知ってたの?」
彼は私の知っていそうな口ぶりに驚いていた。しかしその実、私はこれが何なのかは分からなかった。街の風景の一部として鎮座しているこの船たちは何の目的でここにあるのかという事だ。
「テレビで見たことがあるだけ。これって観光用?」
思い当たる一つの予想を質問として彼に投げかけた。
「俺もこの街の内情は詳しくないんだ。もしかしたら、それ用のものはあるかもしれない。でもここにあるほとんどの船は「古創主義」によるもので、実際に使われてるものらしいよ。」
古創主義。それは人類の栄えあるテクノロジーが生み出した産物の一つだった。歴史の研究が進み、科学力が高次に異転した末にそれらは出来上がった。昔にあった文明や文化をその技術によって再現し、より深くその時代背景に浸り、そこで生活し、その歴史を自らで追体験する。といった物だ。これらの考え方が産声を上げた頃は文化を再現すると言っても現代との差が大きく、現実逃避感もあり、金持ちの道楽というのが世間の印象だった。最初はそんな、ひょうきん者たちを揶揄する言葉として古創主義者などと呼ばれていたが、様々な文化が浸透していき、その再現性が評価されるにつれて学術的価値もあると認められ、今では昔の文明に生き、生活を育むものとしてその名で呼ばれている。
また、大昔や別の世界に来たような感覚になれるという事で、一部の古創主義者たちの中には一般の人々を、非現実的な体験をさせるために娯楽施設としても招きいれる者や、古創主義者でなくともその応用で人々を楽しませる目的で運営される施設を開く者も出てきた。今では応用を重ねた結果、形としては昔の生活や仕事といった文化が取り入れられているものの、独自の文化を形成し、その中で多様性が認められたことで、再現という枠組みに捕らわれない、かなり個性的なものとなった。そうして歴史の再現性だけでなく、新たな文化の創出にも価値があると評価されるまでに至った。
この街ウェープランも数百年前の街並みや帆船が再現されたものだったが、その中で文化が枝分かれし、今ではこの街らしさを追求し、昔の生活などの文化はある程度残したまま昔にはなかった文化も取り入れた日々の営みが行われている。このように大規模で、街の中の人々も昔の文化に沿って生きているということは珍しいことらしい。それもあってウェープランはこの国の保護地域として認定されており、文明維持のためにも緊急時を除いてこの街の管理はこの街の意向に一任されているそうだ。これらの経緯があり、検問が緩かったり、デモが行われていなかったりしたのだ。彼からも簡単にそういう文化や考えがあるということを学んだ。世間で話題になったこともあって、私もそんな人たちが存在しているのは知っていたが、ここまで引き込まれるような世界として存在しているものというのは想像もできなかった。
「いいところだろ?」
「ええ、素敵な場所。」
本当に素敵な場所だ。私はこの街に来てものの十数分しか経っていないが気に入っていた。ぶらりと見ただけだが、今まで面倒だったいざこざもなく、何かを大声で批判するような大衆がいないのはそれだけで価値のある場所なのだ。
「そうだ。あの船には乗れるのかな。聞いてみようよ。」
私はウキウキとした気分で彼に問いかけた。海の上はもっと開放的な気分になれるのだろう。ここから見ると地平線まで海が広がって、遠くにはちらほらと孤島が見えた。そこには私の焦がれていた自然があった。
「わからない。ちょうど桟橋に人が立っているな。尋ねてみよう。」
私たちは船場まで歩いた。船場に着き、近くで見ると帆船は想像の何倍も大きく迫力があり、こんな大きなものが海に浮いているのが不思議に思えた。桟橋の上で船を見ながら名簿の様な物を見ている男性に私は声を掛けた。
「あの、すいません。この船って乗れるんですか?」
そこにいたのは少し髭の濃い中年手前だったが、目がまっすぐで若々しい印象があった。横に古風な船があるのに対してこの男の格好は私たちと似たり寄ったりで、昔のものというわけではなかった。何やら名簿に書き込んでいたが私たちが声を掛けると顔をあげて
「こんにちは。お嬢さんは遠くから来た人?悪いけどこれは観光用じゃなくてね。前はあったんだけど、観光客が減った都合で今はお休みしてるんだ。でも、お仕事として船団員になることはできるよ。簡単な訓練は必要だけどね。」
と答えた。この男はこの船の管理者らしく、その対応もこの街に似つかわしく明るく爽やかなものであった。私は質問にうなずき、今の話を彼にすると
「俺は悪くないと思う。暫くここに滞在するのもありだね。いい街だし。問題はどんな仕事か、あと訓練の内容かな。」
と乗り気であった。それは私も同感だった。この街にしばらく滞在する理由ができるのも良いことかもしれない。と検討していたが実際乗るためには何をすればいいかは気になった。私は彼の話を男に伝えようとしたが、結局私を中継し三人で話し合うような形になった。私に通訳を任せっきりなのもどうかと彼は思ったのだろう。
「その、仕事はどんなものです?」
と彼が聞き、それを男に伝えた。
「簡単な仕事さ。船の中の手伝いとか荷物の運搬だね。もっと長期的に働くとなったら、航海日誌の整理とか、炊事、食料の管理、貿易等々だね。本業にする必要もないさ。手伝い程度ならね。」
この男の話はどうも陽気で興味をそそられる。次に私からも聞く。
「訓練ってどんなことをするんですか?」
男はどちらにも話しているという風にそれぞれの顔を見た。
「海に慣れてもらうためのものさ、長い間船に居なきゃいけないこともあってさ、一人 の都合で船を停めるわけにもいかないからね。実際に船に乗ってもらったり、ちょっとした体力づくりをしてもらったり。あと座学もあるよ。まあ、こんな船だしさ、定員も決まってて誰でも彼でも乗せられないっていうのが要因として大きいんだけどね。だから難しく考えなくてもいいよ。ごめん。長くなっちゃたね。」
男は私たちがまだその仕事に就くと決めたわけでもないのに詳細までも懇切丁寧に教えてくれた。通訳を交えながらではあったが彼もこの男の人柄の良さを感じ取っていたらしく、にこやかな表情をしていた。そして、しばらく時間をもらい、話し合って出た結論を伝えることにした。
「すこし、検討させてください。実はこの街に来たのはついさっきなんです。でも私たちすごく興味は持てたので、どうしたら訓練を受けられるか教えていただけますか?」
それを聞くと男はやってしまった。といった風に頭を掻きながら口を開いた。
「そうなのか。早とちりしちまったかな。最近、乗りたいっていう人が少なかったもんで…もちろん人気がないってわけじゃないよ。申し込み用紙を渡しておくね。二人分でいいかな?これをそこにある、旗に帆船マークが描かれた建物に持っていけば解るよ。色々な詳細もそこで教えてくれるさ。」
と傍に置いてあった箱から用紙を取り出して私たちに渡し、船場から少し離れたところにある建物を指さした。
「いえ、とんでもない。丁寧にありがとうございます。自己紹介が遅れましたソルヴ・ウォーターです。」
と私の通訳を通して彼が自己紹介を行った。彼が続いて私に手を向けたので
「アンナ・ウォーターです。」
と私も自己紹介した。
「失礼、「ドウル・ホプキンス」だ。よろしく。普段はこの船の船長を務めている。みんな船長だったり、キャップだったりと呼ぶけどドウルでいいよ。また良かったたら声を掛けてくれ。」
と握手をしてくれた。ドウルの目の前の帆船を見たときに真っ先に連想されたのが海賊で、荒々しいイメージを持っていたが、この男は物腰が柔らかくそんなイメージは払拭された。後は停泊所から私たちが去るの見送ってくれた。
その後も街を見回ろうという事で、船場を離れて街に入っていった。道中で彼が
「良い人、だったね。俺たちいつから結婚したの?」
と微笑みながら言った。私自身がウォーターと名乗ったことがなかったのでそう言ったのだ。彼と住むようになってからも家族という感じではなかったのであえてファミリーネームはつけていなかった。でも嫌とは思っていないようだ。
「うん。いいじゃん。別に。」
私も笑って返した。最初は気まぐれで言ったのだが、案外気に入ってしまった。いつか式を挙げるような日は来るのだろうか。彼も私もそれ以上のことは言わず陽気な街の中へと入っていった。
そこには商店街があり、ランダム調の石畳の道が続いていたが、私たちに馴染みのあるものとは違った。そこはギルドのような市場で、肉屋、靴屋、花屋などの専門店がそれぞれの商売を行っており、建物の中にあるものや、屋台のようなものと業務形態は様々だった。当然このような所ではスーパーマーケットの様な便利な複合施設は見当たらなかった。とはいえ貨幣はこの国の物が採用されているらしく、またもや両替しなければいけないなんてことにはならずに済んだ。こんな煩わしい方式を採用しているが、案外物価が安く、この街のもので生活しても割高になりそうにないのはありがたいことだ。私たち以外にもそれらの店を利用している客が大勢おり、この街が形だけ過去の文明を再現する場所ではなく、市場として栄えているのが確認できた。また、その当時存在したかは不明なカフェテリアなどもあったが外観や雰囲気を壊すものはなく、どれも調和しており機能面を充実させていた。
商店街を歩きまわりながら端まで来るとそこには大きめの宿屋があった。石造りの建物で、梁や窓枠が木造でアクセントが入っており、温かな雰囲気の場所だった。宿屋の先の道は中央に噴水が設置された広間に繋がっており、その広間からは十字に道が伸びていた。その十字路は商店街と住宅街、海辺に向かって伸び、ここからは街の随所に行けるようになっていた。私たちはまだ夕方にもなっていない時刻だったが、今日はここの宿屋へ泊ることに決め、部屋を借りてからまた街の散策に行こうという事になった。当然だが、ここに来るまで私たちは車から降ろした荷物をずっと持っていて、自分たちのカバン、ボストンバッグ二つ、配給の袋二つを持ち歩いていたため、何処かに置いておきたい気持ちもあったのだ。
宿の中に入るとすぐ受付で、開けたロビーはなかった。受付の男は風通しの良さそうな麻布の服を着ていて、比較的ラフな格好で佇んでいた。年は私たちより若いように見えたがここのオーナーだそうだ。
「いらっしゃいませ。お泊りですか?この街に来たのは初めてですか?」
と手際よく、対応し世間話を挟めるくらいにはこの仕事に慣れている様子だった。
「ええ、二人です。一泊でお願いします。」
街の様子を見て、ここに数日間いることは決めていたが、船に乗るための具体的な日数を把握してから考えたいので、あえてこう言うことにした。
「分かりました。では二階の部屋へどうぞ。」
とオーナーは言って鍵を渡してくれた。この宿の中は木造で、縦にも横にも長く、一階部分は奥に宿泊部屋が並んでおり、横にはオーナーの生活空間があるらしかった。ロビーからすぐの場所に二階への階段があり、二階部分は宿泊客専用だそうだ。この宿は一部屋が大きいらしく、部屋数はそこまで多くはなかった。私たちは鍵に書かれた番号の部屋に入り荷物を下ろした。
中もほとんどの家具が木でできていた。設備はキッチンもトイレもベッドもあり、所々鉄やレンガなどもあしらわれ、おしゃれな空間となっていた。シャワーはここにはないらしく、大浴場があるのでそこを使ってくれとのことだ。キッチンもガスはなく、着火剤はあるものの薪を利用した窯を使うものだったり、トイレも水洗式だが古く不慣れなものだったりで、利便性は確保されていたが慣れるには時間の掛かりそうな家具が多い。私たちは部屋を一通り拝見したあと、街をもう少し見回りたいという思いはあったが、早速申し込み用紙を例のところに持って行くことにした。詳細な情報を得られないわけにはどれだけここに滞在するかといった今後の方針も決めかねるからだ。
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