第7章 過去

 人架は特殊な感情のアルゴリズムを形成できる技術によって量産が可能になり、いつしか金持ちでないと手が出せないような高価なものではなくなった。そんな世で買い手はいくつかのパターンを数十個ほど、あるいはもっと多くの質問から選び取り、それに適合した人架が選ばれるという方式が取られている。よって、ある程度の理想パターンに沿うことはできるが、買い手自らが自由自在に性格や見た目を選ぶことが出来るわけではない。その人が完璧に望む容姿や性格を形成することは理論上可能だが、パターン機構から逸れたものとなり、不具合が出やすく、あまりにもコストが掛かるため一般に普及するものとしては現実的ではなかった。世間的にも自分が比較的望んでいた人架が届き、クーリングオフのようなサービスが充実していたのでそのシステムが古くから施行されていた。また、一般的に人架は製造時の記憶は消去されており、買い手の元に届き、そこから記憶が開始されるので、環境によってもその性格や考え方の変化も違うため、より人間らしい個体になるのだ。

 私が彼、ソルヴと出会ったのは数年前。元々彼は私の所有者ではなかった。私が目を覚ましたのはどこにでもある平凡な家庭だった。この頃になると、企業の人架を独占する動きも落ち着き、家庭の人架が仕事を担い、一定数の人々も社会へ出ていけるようになっていた。その家庭は夫妻からなる「ブラウン家」というところだった。夫は、「カール」。妻は「ジュリアン」という名前で中年手前の夫婦といった感じだった。私のアンナという名前は製造時からあるもので、彼らにつけられたものではない。

 人架の権利が認められたのはこの時くらいだったが、この家には家族として向かい入れられたわけでもなく、アンナ・ブラウンとして家族の一員になったわけでもないので、私も例に漏れずまだ機械らしさを残したままこの家で生活していた。と言ってもひどい扱いを受けていたわけでもなく、不満という不満はなかった。私に与えられた仕事も、丸一日行って帰って休むといったもので、家事も一部を任されていただけで過酷なものではなかったからだ。カールにも仕事があったために家庭は安定している状態だったと言えた。家族として扱われていないのは知っていたが、それに対しても日常的に不満があった訳でもなかった。定期的なメンテナンスも行ってくれるし、法律が定めた人架の権利を侵害するようなことは何もなかった。最も、この頃の法律があまりにも杜撰で抜け道が多く、体裁だけの権利にすぎないものだというのは後から知ることになるのだが。

 そう、最初は何もなかった。平凡に日々が過ぎ、数年が経った頃、度重なる不幸がブラウン家を襲ったのだ。まず、最初は私が働いていた工場が原因不明の爆発を起こし、私の働き口がなくなった。次にカールの会社が不景気によって倒産した。この頃は各地でこういった問題が度々起こっており、不可思議な社会問題として一世を風靡していた。これによって私たちの収入源はなくなった。私も少し無理して新たな場所を探して奮闘していたが、工場勤務などは定員がいっぱいだったり、別種の企業なども経営難などから受け入れ態勢がきつくなっていたりと私の働ける場所は見つからなかった。ブラウン夫妻は私に対して怒鳴り上げたり、罵ったりすることはなかったが、その方がよかったかもしれないと結果的に思うことになった。

 私たちが職を無くし、攻めあぐねいて数か月がたち、ブラウン家の家計も火の車になろうとしていた。カールも私と同じように職を探す日々を送っていたが、どうやら望ましい結果は得られなかったようで、いまだに職にありつけていないなかったのだ。そんなある日の夜、私がいつものようにキッチンで皿を洗っていると、

「ああ、アンナ、君に話があるんだが、いいかね。」

 とカールが咳払いと共に言ってきた。ジュリアンも既にキッチンテーブルの椅子に座っており、改まった感じだった。

「はい。なんでしょう。」

 少々の違和感を覚えたが、その時は大したことでもないだろうと思っていた。カールはジュリアンの横に座り、私は夫妻と向かい合う形で席に着いた。私が席に着くと、しばらくの沈黙の後。

「今、この家が破産の危機にあって、食いつないでいくのが難しいのは理解してくれているね。」

 私が黙って頷くと、彼は妻の方を一度見てから向きなおり、こう続けた。

「その、非常に申し訳ないんだが、君に娼婦として働いてもらいたい。君は稼げるだろうし。そして本当に悪いんだが、そうしないと君をリサイクルせざるを得なくなってしまうんだ。」

 人架に与えられた杜撰な法律、それは勝手気ままな人間に、やはり都合のいいように作られた、形だけのものだった。普通は権利を与えられた人架を好きにリサイクルできたりはせず、その肉体や精神は尊重されるのだが、破産宣告をした場合や、その他諸々自分たちの安全が保障されない場合は緊急措置として今回のようなことが認められるのだ。リサイクルもその名の通り、人架にとっては最期を意味し、イミットハートなどを提供することによって幾ばくかの安定したお金がもらえるといったものだ。そして、人架の権利を認めるというものも、家族として扱わなければいけないというものではなく、あくまである程度の安全は保障されるといった薄っぺらなものなのだ。今回の夫妻の行動も法律を通して観れば何一つおかしな点などなく、むしろ即リサイクルにかけずに人架に選択肢を与えて、その権利を尊重しているので良心的なのだ。

 カール夫妻の行っていることは詰まるところ死にたくないなら卑しい仕事をしろという強迫なのだ。どんな言い方をしたってその事実は変わらない。私はこれを聞いたとき理性が飛び、頭が真っ白になった。それと同時に様々な感情が沸いて出た。怒り、悲しみ、恐怖、憎悪、そんな負が沸き立ち心を覆いつくした。なにが申し訳ないだ。なにがリサイクルせざるを得ないだ。私のことを機械としてしか見ていないくせに。自分たちのためだからと尊厳を簡単に踏みにじる癖に。いやだ、そんな働き方したくない、死にたくない。なんでそんな理不尽な選択肢しかないの?そんな混沌とした感情に声が出なくなる。まるで絞首台に立たされたかのような気分で私は何も言えなかった。

 ジュリアンもカールと同意のようで、何も言わずに二人で私に哀れんだ表情を向けていた。そんな顔が許せなかった。自分たちの行いを正当化して、暴力をふるう。それなら最初から怒鳴られて、責められた方がましだった。土壇場になったら当然のように心や体を壊そうとする。仕方ないことなんだと言わんばかりに。そんな申し訳ない顔してるくせに私を買ったときから、機械としてしか見てなくて、家族として扱う気なんてさらさらなかったんだ。愛の欠片なんてこれっぽっちもない。それなのに自分たちが慈悲深く、真っ当な人間であるといった風に振る舞う。またそれが法律で認められているという事も非道だと思った。

 恐怖の感情に支配されかけたとき、私の中に本能的に逃げなきゃという感情が起こった。ここにいては危険だと察したのだ。私はここから逃げ出すため、声をひねり上げて

「少し、考えさせてくれませんか。」

 とまるで壊れた人形のように震えた声で、そう言った。

「ああ、時間は必要だ。」

 とカールは言った。虫唾が走る。両極端な答えしか突きつけない時点で、非道なんだよ。私は未だ混沌とした心を抱えたまま席を立ち、その場を離れた。それ以上夫妻の声を聴いているとおかしくなりそうだった。急に逃げ出すと怪しまれるため、隙を見て逃げ出しだすことを考慮した。だから完全に一人になることを我慢し、夫妻の居間の片隅で丸くなって考えるふりをした。夫妻も私が選択を迫られ、それについて考えていると納得したのか、それ以上は何も言わず、寝る時間になるといつも通り寝室へ向かっていった。

 私はその後、夫妻が寝静まったところで家を抜け出した。そこからのことはあまり覚えていない。私は怖くて、怖くてとにかく夢中で走った。もし、逃げたことがばれて見つかったら、問答無用でリサイクルだろう。

 私はいくつか街を横断した。気づけばもう夜明けで、全く知らない土地の全く知らない路地に倒れていた。最近の無理も祟ったのかとても疲れて眠たくなってきた。路地に倒れたまま意識が遠のく。運悪く大雨が降りだし、私はそれに晒されたが、それでも目が冴えることがない程に疲れ切っていた。もしかして私死ぬのかなぁ。そんな感覚はなかったが、孤独と絶望感のためかそんなことを思った。とうとう私は、その路地で眠りについてしまった。

 次に目を覚ましたのは、ある家の一室だった。私は、まだ意識が朦朧としていて夢か現かもわからなかった。どうやら誰かが私を介抱しているようだ。その情報しか頭に入ってこずに起きる気にもなれずにまた眠りについた。完全に目が覚めたころ私の介抱は終えているようで、私の傍らである男が小説を読んで私の目覚めを待っているようだった。その男は私よりも若く見えた。どうやら私はベッドの上にいるようだ。この男が私を介抱していたのか。そこから私は意識がはっきりしてきた。あれからかなり寝ていたらしく、あたりは暗くなっていた。私が目を覚ますと男は小説を畳み、

「ああ、やっと起きた。大丈夫か?随分と長く眠っていたよ。」

 と私に対して言った。介抱してくれたのはわかっていたが、正直不信感の方が強かった。この男の他にここには誰もいないようであるというのも不安の要素として大きかった。介抱をしている時点で私を人架だと解っているだろうし、この人も一時の正義感でそうしたに違いない。私を機械としてしか見ていないのだろう。それか、肉としてか。でも、まあこの人は私に対して今のところ害をなしているわけじゃないし、これ以上関わらないなら礼ぐらいは言うべきだろうかという葛藤もあった。

「あの。ここはどこ?」

 とりあえずは質問することにした。警戒も必要だ。

「俺の部屋だよ。」

 男は私の意図と違う答えを出した。

「そうじゃなくて、街の名前。」

 あまり親密になりたくなくて、私は無頓着に聞いた。

「ああ、ごめん。ビターフォールだよ。君は違うところから来たの?」

 二つも街を超えてきたことに少し驚いた。あまり詮索されたくなかったが、出身くらいは言ってもいいだろうと思い、また

「ハモスト。」

 と短く答えた。男は初めの方比較的明るく、私に話していた。しかし、私がツンとした態度をとっていたので、陽気な様子は見せずに

「君、ずいぶんと遠くから来たんだね。今日そこの路地で倒れてたんだよ。こんな大雨の中ほっとけなくてさ。その、なにがあったのか聞いてもいいかい?」

 と真剣な眼差しで言ってきた。そんな親切心のようなものに嫌悪の感情があった。できることなら、早くここから出ていきたかった。はっきりこの男も私に何をしでかしてくるかわからない。

「ごめん、嫌。」

 また、冷たく答えた。男は少し困った様子だったが

「そういえば名前も言ってなかったね、俺はソルヴ、ソルヴ・ウォーターだ。」

 と信用してもらうためか自己紹介した。取り合いたくなかったので、私からは何も言うことはないといった感じでそっぽを向いた。すると、男はこう続けた。

「分かった。じゃあ二つだけ答えてほしい。あんなところで倒れてたんだ。君、泊まる所と、行くところあるの?」

 二つだけ答えてほしいという問い流され、素直に

「どっちもない。」

 と答えてしまった。この男が嬉々として泊まっていけなんて言って、私に何かする口実を作ることを考慮して、あると言うべきだったのだ。でも、その考えを見透かされていたかのように予想と違った答えが帰ってきた。

「そうか。信じてもらえないかもしれないけれど、俺は君が心配なんだ。その様子だと、ここに泊まるのも嫌だよね。」

 そう言ってこの男は部屋の隅に行き、何やら封筒をもってきてこう続けた。

「2、3日分の宿代。これだけしかないけど、もらってくれ。もちろんタダだ。この近くにホテルがある。「ネンウェル」というところで、大きな看板があるからすぐに解るよ。この家から出て、左に真っ直ぐいったところだ。そこに泊まるといい。君が行くべきところもそこに泊まっている間に決めればいい。」

 この男は何の見返りもなく、私をここから出して宿まで与えるのか。何一つといっていいほど何も知らない見ず知らずの私に対して、なぜそこまでするのか。その時は私の心は冷え切っていて、そんな質問もしたくなかった。ただただこの男が不気味だった。その気味悪さに黙っていると

「これは今の君にとって必要なお金だ。違うかい?俺の予想だと何かから逃げてきたとか、家を無くしたのかそんなところじゃないか?もちろん答えてくれなくていい。俺を信じてくれとは言わないよ。でも時間をおいて、本当に君がその気になった時に、またここに来てくれ。この街も案内できる。きっと今は路頭に迷って働き口もないだろうから。」

 と私の目を見て言った。これ以上私を警戒させたくないのか距離を取っていた。私が逃げてきたと思うなら、私が悪人だという可能性も考慮すべきなのではないか。私が純粋で善良な救う価値のある人架だという保証はどこにもないじゃないか。そんな疑問もあった。私は少し混乱していた。裏があるのだろうと考えていたが、それにしては手が込み過ぎている。そんな混乱と不審感を抱えたまま私はこの家から出ていくことにした。本当にこのお金をもらってもいいのかといった猜疑心もあったが、私は早くひとりになりたかった。一応

「ありがとう。」

 とだけ言って。ベッドから出て、彼の横を通ってそそくさと出ていった。男も

「元気で。」

 と短く告げ、会釈して私を通して私を家から出した。

 私は少し歩き、街灯の下で封筒の中身を確認した。その中身は2,3日の宿代どころか4,5日の生活代くらいあった。やはり、こんなどこの馬の骨とも知らぬ人架にこんな大金をあんな短時間で渡すと決めたあの男は何か良からぬことを考えているのか、余程の金持ちなのか。はたまた、とんだ大馬鹿野郎といったことでしか説明できなかった。

 私は疲れていたこともあり、それ以上は考えたくなかったので宿に泊まることにした。しばらく歩き、あたりを見渡すと確かに大きく「ネンウェル」と書かれた看板があり。容易にそこを見つけることが出来た。

 私はそのホテルにチェックインを済ませ、部屋を借りるとシャワーを浴び、そのままベッドに潜り込んだ。疲れて眠りたかったが、その時大きな不安が心を抉ってきた。確かに私は行くべきところもない。私はこれから何をすべきなのだろう。私のこれまではよくよく考えれば、人間のために生きてきたのだ。今ではその奉仕する人間もいない。人間に奉仕する生活に戻りたいと思ったわけでもなく、自由や開放感も感じていたが、自分が何のために生きているのかという答えのない恐怖の方が強かった。そんな思いに胸を締め付けられ、思うように息ができない。無我夢中で飛び出してきて働き口も、着替える服も、食べる物も、それを買うお金すらない。そう、このお金があればそれらは買える。生活が整えば働くこともできる。今更戻ることもできず、生きていくためには何か行動は起こさねばならなかった。私にとって今この金が如何に大事かという事を思い知らされる。それと同時にまだ不信感は強かったが、あの人を頼るべきかもしれないという葛藤が胸に起こりつつあった。

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