第2章 信頼
私たちが最初に向かったのは検問所だ。ここから国を跨ぐわけではないが各地で暴動などが行われるようになってからはこのような場所が設けられるようになった。実は私たちの街はましな方で、隣町ではもっとひどい有様となっている。なので街の端ではこのように検問所が設置されており、様々な検査が行われ異常をチェックされる。検問所は担当者が入るための小さく簡素なポリマーでできた建物と門からなっており、門は担当者の建物と比べると無駄に厳重に造られている。私たちの街が比較的安全なのも功を奏して規制もそこまで大きくはない。なので今回のこんな大掛かりな旅も許される。検問につくと車から荷物を全て出し、車のチェック、ボディチェック、荷物のチェックが行われる。税関の男は警備員の様な格好をしており、額にしわの多い中年の男性だった。配給の日であるためか、愛想がいい。
「兄ちゃん、長旅かい?」
荷物をチェックしながらそんなことを言う。こんな荷物を持ってこの街を抜けるのは珍しいことではない、誰でもあんな喧騒にさらされた町は嫌気がさす。最もどの街もほとんど変わらず、皆、自分の場所があるので帰ってくるのだが。
「ええ、少しね。」
彼も当たり障りのないように愛想よく答える。そして身体チェック、身分証明をする
「名前はソルヴ・ウォーターさんね。」
次に私も同じようにチェックを受けた。
「名前はアンナ。オーケー、異常なし。」
何の問題もなく通ることが出来そうだ。男は無線で報告する。街のそれぞれの検問所は一帯の管理局と繋がっており、そこと連絡が行われている。
「ソルヴ・ウォーターさん男性、アンナさん女性、男性は人、女性の方は人架です。荷物に異常はありませんでした。」
と一通り報告すると私たちに
「通っていいよ。楽しんで。」
と元気よく手を門の外へ向けてくれた。ここ一体の管理体制は人架について否定的ではないため特に問題となることもなく、ややこしい手続きもなく通ることが出来るのだ。私は遠くに見える「廃棄!」と書かれたデモの看板を尻目にバンに乗った。彼が車を走らせ、私たちの街「ビターフォール」を後にした。
次に向かったのは私たちの住んでいた街から少し離れた「ヒュームバレー」という街だった。車の中ではこれからのことやどんな場所に行きたいかという事を簡単に話し合っていた。とりあえず、いい景色が見える「丘」があるという理由だけで、初日はそこに行くことに決まった。その街にはホテルもあるため、不自由を感じることはないだろう。かなり前に二人で来たことがあり、そこに行くと決めた時にはその頃を懐かしみ、思い出話に発展した。しかし、ヒュームバレーに来たのは各地で暴動やデモが起こるようになった前の話で、今のことを予想せず、情勢が良かった頃の思い出によって胸を躍らせていたことを少し後悔する結果になった。
ヒュームバレーには2時間とちょっとで着いた。身支度を慎重に行い、車に色々と詰め込む作業があったのも起因して着いた頃にはすでに夕暮れ時だった。前に来た時は何もなかった街の入り口には当たり前のように検問所が頓挫し、造りはビターフォールの物と同じだったが、違う点は監視カメラも設置されていたところだ。私たちは車を出て、街を出たときと同じように各種チェックを受けた。検査を行う男は若く、気だるそうに作業を行っていた。その男は彼の検査の時は何ともなかったが、私が人架だと判明すると露骨にため息をついた。これには何処か差別的なものを感じた。でも、その真意はわからなかった。ただ今の混乱の世の中の問題を思い出してしまい、嫌気が指したともとれるし、ただただ私に向けられたものではないと思うことにした。どちらにせよこの街に人架は大歓迎という感じで迎えられることはなかった。
「男性 人間1 女性 人架1 荷物に異常はなし。」
男は事務的に無線で報告していた。私たちの検査をするときも仕事に関係あること以外は口にしなかった。
「まあ、通っていいよ。」
その男の何か含みのある言い方に彼は何か言いたげだったが特に何も言わず、車に乗り込み、私もそれに続いた。
「通れてよかった。中で美味しいものでも食べよう」
彼は少し気まずそうにそう言った。彼自身もこの街が人架に対し良い印象を抱かなくなっているのをあまり予測していなかったために、私に気を使っているのだろう。でも彼の言葉はその通りで、通れただけラッキーだと考える方が良いのだ。中には人架というだけで街に入ることを許可されない所だってあるし、人架に対する評価が世間的に向かい風だというのは最初から覚悟の上だ。差別を許容するつもりはないが私たちに危害を加えてこないなら私は大きな問題にはしたくなかった。
「うん、あの夜景が楽しみね。」
彼に余計な気を使わせないためにも話題を楽しいものへと切り替え、私は答えた。
税関だけでなく、街の中の様子でその街の人架に対する印象が伺える。ヒュームバレーは私たちの街に比べ、やや人架に対して否定的な張り紙や看板が多い。最も人架が入ることを許され、大きな暴動が起こっているわけではない時点で、どれだけ否定派が居るかという問題に過ぎないのだが。この街は、前はネオン街で、カラフルな光が夜を包む場所であったがそれも廃れ、今ではその名残を申し訳程度に引き継いだだけの、落ち着きのあるレンガを基調とした街並みに作り替えられていた。
私たちは前に来た時と同じようにホテルに泊まることにしていた。街は少し荒れていること以外はほとんど前と変わらず、建物が数件減ったくらいで、ホテルも以前利用した時と同じ場所にまだ建っていたのでそこに泊まることにした。私たちはホテルの駐車場に車を停め、中に入った。そしてホテルにも前と同じく問題なく泊まれた。ホテルは「レストホーム」という安易な名前で、何処にでもある普通のホテルだったが、外観はレンガ調でできて、比較的綺麗な建物だった。手続きも面倒なものではなかった。というのも受付で人架の検査をすることもなく早く済んだためだ。管理方式が人架を受け入れる体制の街でも中には過敏に人架どうかに反応する所もあるのだ。この街が人架に対して否定的な傾向にあることが分かったのでそれを予期していたが、その心配はいらなかった。
一先ず、私たちは部屋を借り、その日の着替えと日用品とそれぞれのカバン、それと配給の袋全てを持ちこんだ。配給の袋を全て持ち込んだのは中身をお互いに確認するためである。車の中で袋の内容は簡潔に聞いていたが、実際に確認して計画していくことが肝心なのだ。なんと言ったってこれらはこの旅に重要な役割を与えられている物なのだから。袋の中身の大半は食料品だった。どれも日持ちするもので、缶詰めや瓶詰が多かった。中にはインスタントの物があったり、ちょっとした嗜好品なども紛れていたりした。これからどこに行くかは決まっていないが、行った先で買い足すことも考えれば何日か過ごすには十分な量だった。残りは予備の日用品などで、これも暫く不自由を感じない程の量があった。かなり周到に準備され、やはり考えなしに旅に出ようとしただけではないことが見てとれた。私たちはどういった物から消費するかを大雑把に話し合い、早速目的である丘からの景色を見にいくことにした。
目指す丘はそんなに遠いわけでもなく街の中にあり、徒歩で20分もあれば着くことができる。また、丘というのは私たちの愛称で、本当は人工物の一帯であり、街が一望できる高台のような所だ。初めて来た時、遠くから見たときにその場所が山なりに見えたことから私たちはこう呼んでいる。
丘に着くと待ち望んでいた夜景が目に入ってくる。あの頃とほとんど何も変わっていない綺麗な情景が心を刺激する。ここからは街全体を見ることができ、一部街の建物がそれぞれ違った色の光を放っていて華やかな夜景を演出している。高層ビルのような建物もほとんどなく、町全体を見渡せ、遠くに山も見えるので広々とした解放感を味わうことができた。そして何よりも星が綺麗だ。満天の星空というわけではないが、それらはくっきりと大空に広がっていたため、その星々を堪能することは十分にできた。穏やかな光彩を感じ取れ、静かで空気が澄んでいるここは、私にとっては最高のロケーションだった。私たちはしばらくベンチに並んで座りながら手を握り合っていた。
「これからどこに行こう。」
星々を見上げながら、彼がしみじみとした様子で聞いてきた。
「そうね。こんな綺麗な、まだ私たちの見たこともない絶景を探しに行ってみたいな。」
私は久しぶりに心を動かされていたため逃避行の目的らしい目的ではないが、やりたいことが一つ見つかった気分だった。
「いいね。でもこのあたりにこれを超える絶景はあるかな。もっと遠くへ行かないといけないかもしれないね。」
私は心で思ったことを言っただけだが、彼は肯定し、旅の一つの目的として受け取ってくれた。
「直ぐにって訳じゃないよ。少しずつ遠くへ行って、いつかそんなことがあればなぁって…そんな感じ。」
私のイメージする絶景は漠然としていた。憧れ。それ以上のものは無かった。
「分かった。じゃあ当面の目標はいい景色を探そう!ってことで。」
彼も明確ではない目標を掲げた。でも今はこれでいい。駆け落ちなんてそんなものだ。
「ラジャー。」
私は少しひょうきんに敬礼して返した。それからはまた暫く黙って星を見ていた。その間もずっと私たちは手を握ったままだった。
そろそろ帰ろうか。そう私が言おうかと考えていると握っていた手を彼が離して
「俺さ、正直これからのことが不安なんだ。」
と唐突に言った。彼は動揺すると時々言葉足らずなことがある。急に逃避行に出て最終的な目標も決めてないので不安になるのもしかたないか。と解釈したが
「旅がどうなっちゃうかってこと?」
と確認した。しかし、彼からの返事は私の解釈とは少し違った。
「まあ、それに近しいことかもしれないんだけど。俺が心配しているのはアンナのことだよ。今日のヒュームバレーの税関であの男の態度を見ただろ?明らかに君に対して何か言いたげだった。あれを見て思ったんだよ。この旅を続ける上で君が差別的な扱いを受けることも増えていくって。今日みたいなのはまだましなほうだ。もしかしたらこの先、色んな所を旅するとなったら、アンナの‘‘命“が危険に晒されることもあるかもしれない。俺はそれが怖いんだ。俺はそんな危険から守ってやれる程強くないし、今日みたいに中途半端な相手に対しては何も言えなかったりもするくらい情けないから。」
私も各地を旅することを考え、今の世の中の変遷のこともあり、当然差別的な扱いを受ける可能性は考慮していた。今まではほとんどあの街にいたし、ひどい差別にはあったことはなかった。それほど心配する立場になかったため、その思考が心配事として大きかった。確かにひどい目に合うのは怖いけれど。彼がそのことを真剣に考えてくれている。それだけで私は嬉しかった。守れないと言いつつもいつも彼は私の味方でいてくれた。だからこそ私は逃避行をしてもいいと思うほどにこの人を愛しているのだ。それを知っているから、世の中が悪い様に変わっても、虐げられる恐怖に怯えずに安心していられた。私は少し彼との距離を縮め、遠くの山を見ながら考えていたことをそのまま話した。
「ソルヴは情けなくなんかないよ。それに今日のあれは仕方なかったよ、確かにあの人の態度は気持ちの良いものではなかったけど、私を見て今の人架を取り巻く問題を思い出してため息が出ちゃったのかもしれないし、責めれないよ。それにそんなにも心配してくれてるって知って私はとっても嬉しいのよ?確かにこれからひどい扱いを受けることはあるかもしれない。でも私は大丈夫。あなたは私のことを理解してくれてる。それだけで前に進めるの。だから二人で乗り越えていこうよ。」
まるで映画の登場人物みたいなセリフを吐いたので少し恥ずかしくなったが
「うん。ありがとう。でも辛いときはいつでも話を聞くから。どんな怒りや悲しみだって受け止めるから。」
と彼も粋な文言を使ったので、ロマンチックな気分にさせてくれた。私が返事をすると
「よし、戻って明日に備えよう、お腹がペコペコだ。」
と彼が切り出した。私たちはそうして丘を後にし、ホテルに戻った。戻った頃には余暇を楽しむには長くないが、寝るまでの時間は十分にあった。
ホテルに戻ると私たちホテルの提供するご飯を食べ、お風呂に入り、ベッドに入った。特に大きく動いていて疲れていたわけではないが、直ぐに意識は遠のいていった。
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