第3章 相違点

 私が目を覚ますと彼はすでに起きていて、ベッドの上に座り何やら冊子を広げてそれを眺めていた。見たところそれは地図のようであった。私が起きたことに気づくとこちらを見て

「おはよう。」

 と彼は挨拶した。彼は既に着替えており、きっちりと髭も剃られていた。

「おはよう。何見てるの?」

 私は彼の広げている冊子を覗き込みながら言った。やはり地図だった。それは彼が私物として持ってきていたものだった。少し分厚いことから、かなり幅広い地域を見ることが出来そうな代物と推測できた。

「昨日絶景を見に行くって話をしただろう?それで思い出したんだよ、前から気になっていた所をさ。まあ、絶景というと違うかもしれないけど、いい景色は見れると思うんだ。」

 彼は、地図を眺め少し得意げに言った。

「どんなところなの?」

 私は彼のわくわくした表情に期待した。

「海だよ。」

 その彼の答えに私はほんのちょっぴり拍子抜けした。彼が妙案とでも言いたげな自信の表れた発言の割には返ってきたものがありきたりな景色だったからだ。とは言っても決して落胆したわけではなく、ただ私の考えの外にあるような言葉が出てくると思っていたからそうなっただけなのだ。海なんて近頃はもうめっきり行っていないし、漣や朝焼けを想像すると胸が昂った。海に行くということ自体は確かに妙案だった。

「でも、海はここからかなり離れているんだ。国を跨がないといけないし、先の話になるな。もし、行くなら当分ここを目指す旅になりそうだ。どうだろう、行きたい?」

 彼は私が望むかどうかも優先して提案してくれた。彼が広げているページの地図を見ると確かに私たちの国ではないどこか違う地形が描かれていた。

「もちろん。異論はないよ。でもどうして国を跨ぐの?国から出なくても海には行けるし、遠くに行きたいっていうのが一番の理由?」

 駆け落ちらしい駆け落ちをするなら私たちのことを知る者がいない場所に行きたいというのもわかるし、他にも理由はいくつも考えられた。

「それもあるけど、そこにしかないものがあるんだよ。でもそれは見てからのお楽しみにしたいから、今は言わない。」

 そんなことを言われると誰だって気になる。でも私は今の期待の大きさを保っておきたくて追求せずに心に留めておくことにし

「いいね、楽しみにしておくね。」

 乗り気であることを伝えた。それに伴って直近の目的地は国境にしようという事になった。私たちは自国の「デイラント」を超え、他国「トゥモ―ル」に向かうのだ。その後は私も着替えて準備し、昨日と同じように二人でホテルの提供する朝食を取り、ホテルを出るための身支度を済ませた。チェックアウトを終えた私たちはすぐに次の目的地に向かうのではなく、街を散策することにした。何かに差し迫られているわけでもないし、ゆっくりと旅を楽しんで行こうという考えからだ。

 私たちはホテルの駐車場を後にして、街の適当な場所に再び車を停めて街を歩いた。それから暫くして、店などが散見できる歩道を歩いていると、デモの行進が向こうからやってくるのが見えてきた。先ほどから遠くで音はしていたので特に驚くこともなかった。しかし、その内容はやはり否定的な「機械に感情はいらない」等で、そういった類の看板が掲げてあった。最近はどうも人架を排他的に扱うデモが多いようで、それに反対する人は当然一定数いるが、多数派に押されて表面上あまり見受けられなくなっている。デモも否定的なものが多く、逆に肯定的な印象を与えるようなデモはほとんど見なくなってしまった。そんなところを見ると本当に世界的に人架の機能単純化や感情の撤廃が施行される日が来るのではないかと不安になってくる。私がデモをちらりと見て顔をしかめているのに気づいて彼が

「もうこの街を出るかい?」

 と心配そうに言ってくれた。ありがたいけど、ここから逃げ出したところで何処に行ってもこういった光景は見ることに変わりはないだろうし、反対意見の方が世間的に多いならそれからは目を逸らせないのだ。そのこともあり、私も少しは慣れなくてはいけないとも思った。

「ううん、大丈夫。せっかくだし店のなかも見ていこうよ。」

 私はそう提案した。そのためには向こうから歩いてくるデモの行進とすれ違わなくてはならないが、その程度の時間なら心が疲弊するようなこともないだろう。デモを行っている集団も私たちのことが視界に入っているのは確かなことだが、別に私たちに何かを言ってくるわけでもなく、ただ通りすぎるだろうし。最も私が人架だと解れば、ややこしいことになることは間違いないが、都合の良いことに人間か人架を見かけで判別するのは非常に困難だ。

 人間と人架は同じと言っても過言ではないほど似ており、その行動さえも、一部を除いて非常に緻密に模倣し、再現されているので普通にしていればまず気づかれることはない。人間と同じように食事によって、エネルギーを補給できるし、睡眠だって行う。これらの人間との差別点は、例えば、食べたものは排泄されるが、人間とは違う身体構造をしているため、別のものとして出てくる。睡眠も一日二日行わなくとも問題なく活動することができるなどの点が挙げられる。他にも人間との大きな違いとして挙げられるのは痛みや温度を感じ取る器官がないところである。開発段階でそれを与えることは可能だったが、過度な痛みや熱にさらされると深刻的なエラーが発生することが判明し、その機能は取り除かれ、それが普及した。今ではごく稀に痛みや熱を知りたいという知的好奇心に突き動かされる人架のためにそれを与えるチップなども存在する。最もそれは特殊なもので市販のものではないが。

 これほどまでに似て、外見的な違いを認識できない人間と人架を区別する主な方法として「スキャナー」という通称が与えられた、小型の機械が用いられる。スキャナーは金属探知機のようなもので人架の「イミットハート」と呼ばれる、いわゆる心臓部分に使われている特殊な素材を検知できるものである。これによって金属探知機よりも正確にかつ迅速に人架かどうかを判別することができる。否定的な意見が多くなる前までは、企業などを除き、わざわざ日常的に人架かどうかを判別するようなことはなかったのだが、昨今はどこにでもある普遍的なものという認識で間違いなくなった。 

 二人で店に入って一息ついたので、私はデモのことなど気にせずに買い物をすることにした。外ではまだデモの行進が行われ、声は聞こえてくるが、それも段々と遠ざかっていってくれた。私たちは話し合いをしながら買い物をすることにした。今は収入もないので余裕がある事実を考慮しても、持っているお金はとても貴重だったからだ。そんな理由で買い物に制限はついたが、それでも楽しむことことはできた。

 必要だと結論に至ったのは服の買い足しと、言語学の本と辞典だ。服は長旅になることを考慮したときに今の分では心もとないという事で買うことになった。言語の本は次が国境を超えるという事に決まったのでその国の言語を少しは話せたほうがいいという事で、必要だと判断した。私がこれらの買い物を楽しむことが出来たのは、お互いの意見を交換しながら歩き回れからだ。値段のことはもちろん相談したうえで、服は組み合わせなどを、こっちの方が合いそうだとか、こっちの柄の方が好みだととかを意見を出し合いながら決めた。言語学の本に関しても内容を確認し、言い回しなどを見て日常会話にはどれがいいかだとか、これはすぐに覚えられそうだとか、そんなことを言いながら買い物をした。なんといっても気になっていたワンピースがあり、それはほんの少し高かったが、ついてきたご褒美だといって彼が買うのを許してくれたことが嬉しかった。そんな風に制限があっても有意義な時間を過ごすことが出来た。

 私たちはその後、ウィンドウショッピングという形で違う店をめぐり、車に戻った。戻ったころには昼になっていた。

「国境までは数時間ある。お昼はあるもので済まそう。食べたら出発だ。」

 彼と車に乗り込むと、配給の袋のもので食事をすることを提案した。さっき見回った場所にレストランはあったが出費を抑えるためにも敢えてこう提案したのだろう。それに配給の袋に未だに手を付けてない。こういう時のためにそれらはあるのだ。

「なんかわかんないけど、旅らしくて良いね。」

 缶詰たちを見て粋だと思った。エモい、という奴だろうか。質素かもしれないが、旅という雰囲気がそれらを昇華してくれた。でも彼はそんな風には捉えていなかった。

「そうかな。これが日常になってもアンナは平気?」

 彼が言った。彼が少し真剣な眼差しでそう言ったので私は面喰ってしまった。

「どうだろ。わかんないや。」

 本当にわからなかった。そんな風に考えられなかった私は少し軽率だったのだろうか。 

「そっか。これにも慣れていかなくちゃね。でも食事は楽しもうよ。」

 彼は切り替えるようにそう言ってくれたが、気まずさを感じた。私は思いのほかこのことについて考えさせられたのだ。私たちは缶を二つ開け、それぞれを食べた。私は彼と話をしながら食べていたが、視線は遠くを見てゆっくりと食べた。

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