第2話 夕空を走る列車

「しおり、じゃあね! 卒業おめでとう」

「春休み遊びに行こうね。メッセージ送って」


 日の暮れ始めた町、駅のホームで卒業祝いの花束を頭上に振りかざして、三人の親友が手を振っている。ミカ、ユーナ、アイ。今までできた友達の中で、一番の『親友』だった、としおりは微笑みを浮かべる。

「うん! ありがとう」

 ドアの向こうに叫んだその時、発射ベルが鳴って、扉が閉まった。先ほど駅までの道のりを歩いていた時はあんなに切なかったのに、ガラスに隔たれてしまうと、彼女たちは異世界の住人のように見えた。

 ガタン、という音がして電車が動き出す。体が進行方向とは逆に引っ張られて、手に持った花がお別れの挨拶のように揺れた。

 この通学路も終わりだ。来月からは、逆方向の電車に乗る。見える景色は変わらないが、時間帯は変わる。いつもと違う光に照らされている町は、いったいどんな風に見えるだろう。


 しおりはカバンを開いて、一冊の本を取り出した。一時間近い電車の時間を、いつも通りに過ごしていなければ、なんとなく涙が出てきそうだった。

 カバンを閉じようとして、ふと確かめたくなって、もう一つのポケットを開く。そこには、もう一冊文庫本が入っていた。布製のブックカバーを取って、表紙を眺める。紺のざらざらした紙に、金の箔押しの署名。『銀河鉄道の夜』。優しくてやわらかくて、でも奥底に悲しみを閉じ込めたような賢治の言葉が、しおりは好きだった。


 一はもう忘れてしまっただろう。幼いころにしたお遊びのような約束なんて、覚えているこっちがおかしいのかもしれない。それでも、どうしても渡したかった。クラスも違うのに訪ねるなんて、勇気がなくてとてもできなかったけれど。

 一は、賢い人だった。小さなころから、しおりよりものをよく知っていた。一が、自分に何かを教えてくれることが好きだった。彼は、知識を披露するときだけ饒舌になって、そのあと我に返ったように真顔に戻るのだ。そのちぐはぐさが、なんとなく好きだった。

 一は、この町を出るだろう。賢いから、この辺の大学ではもったいない。ここに残る自分とは、決定的に道が分かれてしまう。自分はやりたいことを選んだ。そうしてこの町に残ることにした。それでも、一が見えないところに行ってしまうなら、思い出の残った町に一人だけ残るよりは、私も一人で遠くに行ってしまいたかった。あの家の本棚の、古くて甘い知恵の香りを吸い込めば、きっとどうしても思い出してしまう。春風の中で寝転んだ座敷。夏の風鈴の音に合わせて競った、課題の短歌の出来。拾ったどんぐりで作った人形を並べた番台。二人で囲んだ店のストーブ。

 一は、いつ引っ越すのだろう。明後日の誕生日に聞いてみようか。図々しいだろうか。この本を持っていって、「今日私の誕生日なんだけど」なんて言ったら、死ぬほど嫌がられるかもしれない。そもそもなんのことだか気が付かない可能性もある。

 それでも、と思う。後悔はしたくない。明日誘いをかけてみようか。そういえば、おじいちゃんが店の掃除をしたいと言っていた気がする。それを口実に一を呼び出そう。どうせ予定なんてないだろうし、彼は『みのむし書房』に頭が上がらないはずなのだ。最後くらい手伝ってくれてもよい。


 しおりは、手に取った『銀河鉄道の夜』を開いた。これは、お別れをいうための旅の物語だと、誰かが言っていた。

 日はほとんど落ちて、世界は東から順に藍色のヴェールに覆われていく。今もどこかで、銀河鉄道は星をぬって走っているのかもしれない。しおりは、淡い象牙色の本の頁を撫でた。



 どこまでも一緒じゃなくてもいい。


 ただ、最後に君の言葉が聞きたい。自慢げじゃなくていい。自信がなくてもいい。今まで彼が語らなかった、一自身の話が聴きたい。

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さよならモラトリアム 藤石かけす @Fuji_ishi16

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