第二章 3

 S国との緊張はピークを迎えていた。次に開催される我が国との首脳会談で、互いに折り合いをつけることができなければ、開戦は免れない。会談は中立国であるE国で予定されている。

 そもそもS国とE国と我が国で大きな違いはない。元々一つの国が三つに分かれただけのことだ。だから、街並みも文化も風俗もだいたいは共通であり、国境には僕と同じような顔をした騎士が護衛をしていて、同じ言語を使っているが、それぞれの国で訛りがあった。

 

 王は僕含めてたくさんの護衛を引き連れ、会談が予定でされているE国へと向かった。移動中に、市街地から離れたところにある農村部を見て懐かしい気分になった。緩やかに育ってゆく農作物と時間を共にする人々を見ながら、母の呪いと父の行方について思いを巡らせる。父の行方は日記に描かれていなかったから、おそらく、母が失踪した後に彼も続いたのだろう。父に会いたいかと言われると、母より会いたいとは思わない。それは他の人の父の話を聞いたり物語の父なる存在から察するに、父というものがあまりにも支配的な性格だからだろう。

 そして、呪われた両親のもとに生まれた僕は呪われているのか考えてみる。呪われた両親から生まれた妹が障がいを抱えているのは呪いのせいなのかもしれない。もしかすると、僕にも何かしらの呪いがかかっているのではないかというぼんやりのした不安が、眼球についた目脂のように、視界の端に張り付いて鬱陶しい。そして、それは漠然としすぎていて分析すらできないのだ。もやもやとわからないものを抱えたままにしていて、良いことは何一つない。目脂のように拭えばとれるものならいいのだが……。だけど、仮にその不安が分析できたところで、解決のしようのない類のものな気がする。仕方なく受け入れるしかなさそうだ。天候を操ることができないのと同じで、雨が降れば、それを受け入れるしかない。だから、人々は傘を産み出したように、不安を防ぐ手段を産み出し続けた。王の勅、農地区画整理、政治討論会……。しかし、それらは不安を解決したように見せかける解決手段でしかない。質量保存の法則的に不安はかたちを変えて依然と残り続ける。やがて不安は沼のように地面に広がり、足を掬われ、もがけばもがくほど、かえって深みにはまってゆく。やがて、頭の先までのみこまれ、息すらできなるなるのだ……。


 E国は周りを鉱山に囲まれた盆地で、金の輸出で成り立っている国ゆえに、国民の生活が豊かで、優れた学者や政治家、芸術家を数多く輩出している。また、鉱山の傾斜にあわせて作られた街並みは技術力の高さと美しさを証明していた。

 会談は議会討論場の一室で、3時間ほど行われた。我が国の王と隣国の王が顔を向かい合わせて座り、あれこれと話あっている。そんな中で僕は護衛の騎士らしく、口を一文字にして、一点を見つめ続けていた。話を聞くぶんには開戦は避けられないだろうと思った。表面上は穏やかな口調で話すが、内容はかなり攻撃的なもので、両者譲らず、平行線であった。これだけ話し合って、物事が進まずに、さらには互いに武力までちらつかせているのだ。開戦は避けられないだろう。部屋を出る頃には日が沈んでいて、辺りは暗かった。

 護衛を終えた後、用意された宿場に戻った。鎧を脱いでベッドの上に置くと、重みでマットが沈んだ。その様子をボーッと眺めてから、外に出て酒を飲もうと思い立ち、部屋を後にした。


 夜の繁華街はそれなりに賑わっていて、却って鬱陶しい。歩いていると、大通りから枝分かれしていた路地に、酒場の広告の張り紙があった。この店で腰を落ち着けようと決めて、張り紙に書いてあった場所へ向かう。

 その店は路地の奥にひっそりと構えていた。おそらく、地元の酒場だから、僕は他所者扱いされるかもしれないが、まあ、それはそれで構わない。誰かに愚痴をこぼすために酒を飲むわけではないのだ。

 扉を開けると、客は僕だけだった。適当に端のカウンターに座り、酒を注文して、ちびちび飲んでいた。肘をついて、正面に並ぶ酒のボトルを眺めて、銘柄を丁寧に読んでいると、もうひとりの客人が現れて、僕の席から一つ空席を挟んでその隣に座った。なんとなく見てみると女だった。彼女は少し疲れた様子で酒を頼んでいた。僕は珍しいものを見たと思った。世間の女どもが酒を飲むときはたいてい家の中で隠れて飲んでいるものだ。酒場まで足を運ぶものは滅多にない。いたとしても大抵は売春婦だ。だけど、彼女の顔を盗み見ると、派手な化粧もなく、格好も地味なものなので、売春婦ではないことはわかる。旅人だろうか? 僕は興味本意で声をかけた。

「旅人?」

 彼女は僕を見て首を振る。

「国の遣いよ。現場で兵を取りまとめているの……」

 話を聴く限り、S国の生まれで、王の護衛のためにやってきたらしい。こんな偶然があるのかと僕は驚いた。だけど、会談の時は向こうの護衛もいたが、彼女の顔は見かけなかったから、移動の時だけの護衛だったのだろう。

「あなたは何をしているの?」

「僕も君と同じだよ」

 N国の王の護衛だと言うと、彼女は眉をひそめて神経を張り巡らせた。その様子を見た僕は何でもないと片手を軽くあげる。

「君の国の情報を聴き出すような真似もしないよ。敵対意識なんて持っていない。それは僕の騎士道に誓って言えるよ」

「どうだか? 無警戒なものほど怪しいものはないから」

「本当だよ。僕にとって守るべきなのは田舎にいるじいさんと妹だけだ。だから、一番稼げる騎士になったんだ。もちろん国王に忠誠心を持っているけど……父を慕うような感情に近い。まあ、僕に父さんはいないから、この例えが的確かわからないけど」そういって酒を飲み干して、もう一度同じものを注文した。

「あなたは会談の内容を知ってるの?」

 彼女は僕に運ばれてきた酒を横取りして一口飲んだ。

「あなたじゃなくてアリクっていう名前なんだ。それに君、酒を横取りするなんて行儀の悪い……」

「君じゃなくてエルシーよ。アリクは一番稼げる騎士なんでしょ? 同じものを頼めばいいじゃない」

「まあ、それもそうか」

 僕は酒のせいか、彼女の説得力のせいかはわからないが妙に納得する。酒を注文し直し、運ばれてきた酒を口に流し込む。酒のせいか、彼女のせいかはわからないが心臓の鼓動がずっと速いままだ。

「会談の内容を教えてよ」

「王の護衛なのに知らないんだ?」

「私は基本的に裏方みたいなものだからね、たまに現場に出る時もあるけど。今日の会談内容はそこにいた護衛と書記係の二人しか知らないわ」

「面白い話なんか何もなかったよ。治水権をどうするかで話はずっと平行線さ」

「本当?」

「神に誓って」

 エルシーは酒を一口飲んだ。僕もマネをして酒を一口飲んだ。

「それよりエルシーの話を聞かせてよ。どうして騎士になったの? 女の子なのに」

 つまらない話よ、と彼女は前置きした。

「たしかにあなたの国では騎士は女の子がやるような職業じゃない。だけど、私の国は貧しくて人手が足りないから、どんな職業でも女がいるわ。私が騎士をしているのはたまたま騎士の家系に生まれたから。私だけじゃなくて姉も、弟もみんな騎士になった」

「へえ。将来の夢とかなかったの?」

 彼女は首を横に振る。

「そんないいものなんて無かった」

「じゃあ僕と同じだ。僕の家も貧乏で、小さい頃から働かなくてはいけなかった。たまたま運が良かったから学校に通わせてもらったけど、それでも働きながらじゃないと、じいさんも妹も食っていけなかった」

「大変だったのね。私はそこまでじゃなかった。私は単に意志のない子どもだっただけよ。仮に両親が農家だったら、農家をしていたと思う」

 彼女は、ほらつまらないでしょ? と言わんばかりに視線を投げかけてくる。

「僕だってそうだよ。なんなら意志なんて今でも持っていないようなものさ」

 たぶん、人間は突き詰めていけば、そこに空洞がある。だから、他人から盗むのだ。口癖、仕草、考え方までも。やがてそれは自分の構成する一部に成り変わるのだ。しかし、背中の影のように付き纏って離れない空っぽの自分。どれが自分なのかわからなくなる。

「じゃあ私に話しかけたのも、あなたの意志でやったことではないということ?」

「それは違うよ。君を一目見て、僕が忠誠を誓うべきは国王じゃなくて、君だと気づいたよ」

「あら、うれしいこと言ってくれるのね……」



——裸になった彼女はベッドの端に座っていた。僕は勇敢な騎士の如く、彼女の前に跪き、足に触れた。陶器のように白く、くびれた様はまさに美しさの極みだと思う。僕はそこに顔を埋める。

「やめてよくすぐったい」彼女は笑いながら、僕の頭をぽんぽん叩いた。

「君の足ほど美しいものは見たことがないよ」

 やがて、彼女の隣に座る。そこから彼女の首元を眺めた。僕は首に優しくキスをすると、どこか懐かしい記憶が蘇る。彼女も僕の腕から乳首にかけて指をなぞった。その跡には彼女の優しさが残っている。

「アリクは本当に騎士なのね。この体を見ればわかる」

「もちろん。エルシーを守るために鍛えているからね」

「バカなこと言わないの」

 エルシーは僕の腹を拳で軽く殴った。

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