第二章 1

 王都の騎士というのは過酷な職業だ。毎日5時のけたたましいラッパの音で起床。訓練広場に集まり国歌の斉唱をして、仲間と共に体操。5時半に朝食を胃に流し込むと、鎧を身にまとい、王宮入り口での警らを3時間。その後、再び訓練広場に集められ、剣術から格闘技、護身術の訓練が昼まで。休みを取った後、王の公務、会合の護衛があり、それが終われば、夕食を取って9時までまた訓練。その後、1時間の自由時間があって、夜10時に就寝だ。そんな日々がしばらく続くと、自分が何のために生きているのかわからなくなってくる。たしかに村のじいさんと妹の生活には余裕ができて、以前よりもいい暮らしを送っているが、それが、僕の本当に生きる意味ではないことに気づいてからは、何のために生きているのかわからなくなっていた。そして、いつからか覚えていないが、ユリを殺したことの罪悪感が綺麗に失われていることに気づいた。彼女を殺めてから数ヶ月の内は彼女の幻覚にあれほど苦しめられたのに……。所詮、人の死なんてそんなものなのだ。どんなに愛しい人であろうと、反対に嫌いな人でも、時間がその人の死を、共有した思い出とともにじわじわと奪ってゆく。

 もし、ユリが生きていたら、僕は正式に結婚を申し込んでいただろう。だけど、彼女の家は良家だから、ユリには決められた結婚相手がいるかもしれない。その時は彼女を奪って他所に住めばいい。側から見ればロマンチックだ。だけど、そのユリは僕の手で殺してしまったんだ、本当は彼女が僕の生きる意味だったのだろうか。いや、わから……。

「アリク、次の予定はなんだね?」

 考え事をしている間に王の公務のうちの一つが終わっていた。僕は慌てて予定表を取り出し確認する。

「……今日のご公務はこれで終わりです。閣下」

 王は自分の机に羽筆を置き、両手を上に組んで、うんと背中を伸ばす。

 今日の警護は僕一人だけだった。王の警備を一人で任されるようになると、一人前の騎士と認められたということだと先輩から聞いたことがある。ということは、僕も一人前として認められたのだろう。

 王に忠誠を誓ってからもう4年経って僕は22歳になっていた。世間的にはだいたい嫁をもらい、子どもを作っているような年だ。以前にじいさんから結婚を勧められたが、今、結婚しても、ユリの後ろ姿を妻なる人に重ねるだろうし、それは妻なる人にも、ユリにも申し訳ないことだと思うからできない。痛みがなくなったとはいえ、傷跡は残ったままだ……。


 最近は王の公務の後に一緒に食事をすることが多くなった。それは苦痛ではなかった。騎士になりたての時は嫌味な上司と共に食事をすることが多く、そのたびに神経を張り巡らして、気乗りのしない相槌を打たなければならず、興味もない話を広げなくてはいけなかったのだが、王は対照的に落ち着きと気品を求めていたから、僕は対上司用の度が過ぎた過剰な反応をしなくて済み、丁寧な物腰で話をすることができるので、気が楽だった。やはり、国を治める頂点の人間なだけあって、カリスマ性を肌で感じ、魅了されることが多かった。

 王との食事は宮廷の煌びやかだが、どこか寂しさの陰が付き纏う大食堂ではなく、王の自室に料理を運んでもらい、そこで二人きりで食べることが多い。王も最初の頃は自分の家系や、詩や絵画や音楽についてよく話していた。

 彼の幼少期の記憶は厳しい家庭教師に叱られ、弟と共に泣きながら勉強机に向かっていたことが大半を占めている。生まれながらにして国体の一部に組み込まれていた彼は、その環境に反発したこともあったが、父である先代の王がそれをねじ伏せ、敷かれたレールに乗せられて華々しく社交会にデビューし、やがて決められた女性と気乗りのしない結婚した。

 彼の弟も似たような教育を受けてきたが、王位継承順位が2番目であるために、彼よりは制限のない暮らしだった。たくさんの恋愛をしては様々な女を泣かせたことが、社交会では公然の秘密となっているぐらいで、彼は弟の自由な境遇に嫉妬しない日はなかったぐらいだ。だから、その慰めとして、音楽や詩や絵画を芸術家に作らせて、鑑賞に耽るのが、唯一の楽しみとしていた時もあった。しかし、先代の王が退き、彼が王座に就いて政を執るようになって、その楽しみは国民の期待に応えることや、外交問題に頭を抱える時間に置き換わってしまった。特に隣のS国との国境にある川の治水権での揉め事が悩みの種である。そんな生活の中で最近見出した彼の新たな楽しみが食事であった。特に気に入った部下とゆっくり食事をすることで日々のストレスから逃れようとしているらしい。その食事の中で僕自身の話を聞き出そうとすることもしばしばあった。

「君は結婚はまだかね?」

「ええ。まだしていません」

「君ぐらいの歳になるとだいたいは結婚するものだよ。私はもう少し早かったけどね。どうして結婚しないのかね?」

 王の質問に少しだけ固まってしまった。口に運ぶためにフォークで刺したステーキが落ちてしまった。

「失礼しました、殿下」

「いいんだよ。ここはプライベートだ。堅苦しい食事のマナーなんて気にしなくて良い」

「ありがとうございます」

「それで、どうして?」

 王の追跡に僕はたじろいだ。王の好奇心に応えなくてはいけないが、時々思い出されるユリが原因で、今は結婚する気になれないということを話すか迷う。

 王を見ると、優しい視線で見つめ返され、心臓が飛び跳ねる。彼の瞳の奥に、ユリの姿が見えた。彼女の死の原因は本を正せば国によるものなのだ。まさに目の前の彼が、操り人形のように僕を手繰り、彼女は喉を貫かれたのである。いや、そうじゃない。自分の意思で殺めたんだ。自分で殺めたことにしないと、この王なるものを恨むことになってしまう。

「……実は、私の慕っていた人が亡くなったからです」

「それは残念だ。結婚が決まっていた相手だったのかい?」

「いえ。結婚が決まっていたわけではありません。ただ、結婚を申し込もうと考えていました」

「辛いことだろうに」

「今は彼女のことを引きずってはおりません。ただ、気持ちの整理がついていないから、結婚をしたくないんです」

 僕がそういうと、王は何も言わずにテーブルの上に置いていた僕の手を握った。王の手は生々しい体温と肌触りを感じた。彼は僕の手をしばらく握った後、手の甲を撫でた。

「それは強がりというやつだ。引きずってはいないと言ったが、まだ、君の心のどこかに彼女が住んでいるのだろう? この世界中を隈なく探せば、彼女に逢えるかもしれないと君は期待しているんだ」

「そうかもしれません」

「大丈夫だ。君は我が王国の騎士なのだよ。アリク君に乗り越えられない壁というのはないのだよ」

「御心遣いありがとうございます。殿下」

 王の優しさに心が揺さぶられた。首を伸ばして鼻から息をする事で、涙が溢れそうになるのを抑えようとした。王は僕の手を優しく引っ張る。

「こっちにおいで」

「えっ?」

「いいから」

 王に言われるがまま、横並びにソファに座らされた。

「私を父だと思って、抱きついてきなさい」

「えっ、でも…」

 王の言葉に混乱する。窓から溢れている優しい月明かりのせいで、部屋の中が怪しげな雰囲気だった。王の言葉を拒んでしまうと、王に対する忠誠を裏切る気がした僕は王の懐にぎこちなく抱きつく。

「アリクよ。君は美しい顔立ちをしている」

 王は甘い吐息を吐きながら耳元で囁く。

「そんな事言ってくれたのは殿下が初めてです。ありがとうございます」

「みんながアリクの魅力に気づいていないだけだ。見る目がないのだ」

「王がいなければ、私も騎士という職業ではなく、もっと別な人間になっていたでしょう」

「顔をよく見せてくれ」

 言われるがままに顔を見せると、王の唇が迫ってきた。それは優しく僕の唇に吸い付いたから、戸惑った。王は僕の身体を弄びたいから、食事に誘ってきたのだろうか?

「あの……」

「何もいうなアリク。忠誠心をそのままに、私に身体を預けなさい」

 今度は舌を僕の口に入れてきた。久しぶりの感覚に思わず鳥肌が立った。こんな時にどうしてか、ユリの顔は思い浮かばず、代わりに牧師さんに犯されていた妹の姿が目に浮かんだ。それが引き金になって、王を拒絶する気持ちが腹の底から湧き上がり、呼吸が荒くなる。

「あの、殿下。私は……」

「アリクよ。わかっておる。君の身体を私に預けてくれたまえ。君は今まで見た騎士の中で一番美しい顔立ちをしている。それに、気品があり優秀さを併せ持った人物は君だけだった!」

「ありがたいお言葉に畏れ多いですが、閣下、私は、私は……」

「私を信用できないのか? 君はこの私がいる限り、その身分を永遠に保証したいのだよ。そして、君はこの王都の騎士のトップに立つべき人なんだ。わかるかい?」

 王の言葉が鉛の重さを伴って、僕の心にのしかかる。彼は僕の身体の対価に、出世への片道切符を僕に差し出した。自分の身体と将来の身分が天秤に乗せられ、不安定でぎこちない動きをしながら、一方へ傾いてゆく。


 王は慣れた手つきで僕の着ていた制服を脱がしてゆく……。

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