天狗の花火【pixiv企画夏休み創作チャレンジ2024投稿作品】

「ねぇ、知ってる? 天狗の花火のはなし」

「てんぐのはなび?」

「そう、天狗の花火。天狗のお山から、誰もいないのに花火が上がることがあるんだって」

「……なんで誰もいないってわかるの?」

「……知らない。でも、近所のサトウのおじちゃんが言ってたよ」


 ふぅん、と気のない返事をして、ケイタは窓の外を見上げた。

 サトウのおじちゃんは近所でもホラ吹きとして有名だ。

 しかし既にクラスメイトたちはきゃっきゃっと楽しそうに夏休みになにをするかを話している。

 今年のケイタの家には夏休みに遠出する予定がない。きっとプールや海、キャンプだって無理だろう。

 だって、今、ケイタの母が臨月を迎えそうなのだ。

 八月中にケイタはお兄ちゃんになる。

 それはケイタも楽しみだし、弟か妹ができるのはとても嬉しい。

 でも夏休みに遊びに行けないのは問題が違うのだ。

 周りのクラスメイトが楽しそうに話しているのが少し遠くに感じる。

 じわじわと耳が痛いほどのセミの声を聞きながら、真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲を数える。


(ソフトクリーム食べたいな)


 あの大きな雲はソフトクリームみたいで美味しそうだ。

 去年、家族で出かけたときに食べた牧場の搾りたて牛乳で作ったソフトクリーム。

 つめたくって、あまくって、とっても美味しかった。

 次に行けるのはいつだろう。弟か妹がちょっと大きくなってからかな。

 そんなことを考えていたら、いつの間にかクラスメイトたちが解散して、教卓のところに担任の鈴村先生が立っていた。


「明日から夏休みだけど、ちゃんと宿題やるんだぞ~」


 はぁい、とか、うわぁ、なんて声が聞こえて、ケイタもちょっとだけうんざりした。

 自由研究だったらなにをしてもいいし、今年は遠くに行けないから庭で朝顔の観察でもしようかな、なんて考える。

 でも算数のドリルや漢字の書き取りは面倒で嫌だな。

 隣の席の清水さんも「ラジオ体操やだ~」と呻いている。

 先生が静かにと言ってようやく教室が静かになった。セミが隣で鳴いているかと錯覚するほど大声で鳴いているのが聞こえる。


「夏休み中だからってだらけないこと。それから、愛宕山……みんなにはテング山って言った方がわかるかな? テング山には立ち入らないこと。先月の大雨で地面がゆるくなってて危ないですからね」


 他にもいくつかの注意事項を並べてから、夏休みの宿題が配られる。

 それからまた少し宿題に関する注意事項をつらつらと喋り、ようやく先生の話が終わったら日直が号令をかけて解散となった。

 鈴村先生は隣のクラスの関谷先生みたいに大きな声を出したりしないけれど、ちょっと小言がうるさいのが玉に瑕だ。

 バタバタと駆けるようにして教室を出ていくクラスメイトに手を振って、ケイタも教室を出る。

 日差しが痛いほどに暑い。

 くっきりとした影が地面に浮かんでいて、それを蹴るようにしながらケイタは家にまで走った。

 母は父に付き添われてもう病院へ行っているはずだ。

 家にはケイタの面倒を見るために祖父母がやってくるそうで、祖母の筑前煮が好きなケイタはそれを楽しみにしている。きっともう家についているだろう。

 夏休みに家族でお出かけはできないが、それはそれとして夏休みは楽しみだ。

 ケイタは飛び込むようにして家の扉を開けた。


「ただいま!」

「あらまぁ、ケイちゃん。お帰りなさい。暑かったでしょう」


 柔らかな祖母の声が出迎えてくれて、ケイタはほうと息を吐いた。

 祖父母の家でなく自分の家なのに祖母がいるのはなんだか不思議な気持ちだ。

 ランドセルを放り投げるようにして置いて、祖母が用意してくれた冷たい麦茶を一気に飲み干す。「あー」なんて声を出せば、祖母は「おじさんみたいね」なんて笑った。


「おじいちゃんは?」

「おじいちゃんなら、晩ご飯の買い物に行ってもらってるわ。もうすぐ帰ってくるはずよ」


 祖父母の家に行ったときも、足の悪い祖母の代わりに祖父が買い物に行くのを見ているのでケイタはそうかとひとつ頷いて、もう一杯麦茶を飲んだ。

 ケイちゃん、と祖母が呼ぶ。


「明日から夏休みでしょう。どこか行きたいところ、ある?」

「うーん……」


 少し考える仕草をしたが、本当は行きたいところはたくさんある。

 海だって行きたいし、山にキャンプにも行きたい。市民プールだってきっと楽しいだろうし、図書館だってたくさん図鑑があるから楽しいに違いない。

 テーマパークにも行きたい。去年は身長制限で乗れなかった乗り物に今度こそ乗りたい。

 動物園や水族館に行くのも素敵だ。

 でも、きっとそれは無理だろう。

 図書館くらいなら行けるかもしれないが、それ以外は車がないと駄目だ。

 祖母は車を運転しないし、祖父も免許返納したと以前言っていた。そもそも車は父が病院に行くのに使っている。

 言えば祖母を困らせるだけだ。

 そう思ったから、ケイタは「今年は家でのんびりしたいな」とだけ言った。


「そう? ――そうだ、来週には花火大会があるでしょう。おじいちゃんも誘って、一緒に行きましょうね」

「うん」

「ケイちゃん、チョコバナナ好きだったわね。買ってあげましょうね」

「ありがとう!」


 確かにチョコバナナは好きだが、もっと小さいころの話だ。正直、今はチュロスやラムネの方が好きだ。それでも祖母が、自分が好きだったものを覚えていてくれたのが嬉しくてケイタは笑顔でお礼を言った。

 お礼は笑顔で、大きな声で。

 母がいつも言っていることだ。

 ケイタは嬉しくて、来週が楽しみになった。祖母には続けて「それまでに宿題、進めておきましょうね」と言われたが、花火大会の出店でなにを食べるか考えていたケイタは話半分におざなりな返事をした。


 ――結果として、ケイタたちが花火大会に出かけることはなかった。

 少し離れた花火大会会場に行く前に、祖母がまた足を悪くしたのだ。

 今は立てるようにはなったが、立ちっぱなしだったりしばらく歩くのはしんどいようで、ときどき顔をしかめている。

 ごめんねぇ、と眉を下げる祖母に、ケイタは首を横に振った。


「おじいちゃんと二人で行ってきたらいいのに……ごめんねぇ、ケイちゃん」

「おじいちゃんも会場まで歩くのは大変だろうし、気にしないで。おばあちゃん、まだ足痛い?」

「少しね。ごはんも作ってあげられないし……本当にごめんなさいね……」

「大丈夫だよ。ぼく、おじいちゃんの焼きそばも大好き!」


 祖母は相当落ち込んでいるのか、ごめんねごめんねとばかり繰り返す。

 ケイタ自身は正直、花火大会よりもずっとずっと祖母の身体の方が大事だから、今日の花火大会に行けないのは多少残念ではあるが、飲み込むことができる。

 きっと、本当に花火を見に行きたかったのは祖母の方なのだろう。

 昔、祖父がよく祖母とのデートは花火大会に行ったものだと言っていたのを聞いたことがある。

 これ以上、祖母が謝るのを聞きたくなくて、ケイタは祖母の目の前にコップに注いだばかりの麦茶を突き出した。


「おじいちゃんの焼きそば、美味しいよ」


 そう言ってコップを祖母に手渡し、自身は箸を手に取る。

 某春の祭りでもらった白いお皿に乗った焼きそばはできたてで、まだうっすらと湯気が立ち上っている。

 祖父の作る焼きそばはソースでなく塩で味付けされており、一口大に切られたイカやくるんと丸まったエビが入った海鮮塩焼きそばだ。

 ソースとは違った香ばしいにおいが鼻をくすぐる。

 一気にかき込むと、汗をかいて塩分を失った身体に少し濃いめの塩味が染み渡る。


(でも、やっぱりおばあちゃんに花火見せてあげたいな)


 豚肉とキャベツを咀嚼しながら考える。

 明日の夜にでも、と祖父が花火のセットを買ってきてくれているから花火自体は見せてあげることはできるだろう。

 けれどケイタが見せたいと思ったのは夜空に咲く大輪の打ち上げ花火だ。

 残念なことにケイタの住む町は中途半端に田舎で、近所で開催する大きな花火大会は今回のものだけ。

 あとは車がないと少し遠い場所ばかりなのだ。


(……あ!)


 ふと思い出したのは終業式の日、クラスメイトと話していた噂。


(天狗の、花火……)


 学校の近くの愛宕山――通称、テング山の噂。

 あの噂が本当なら、祖母に花火を見せてあげられるかもしれない。

 焼きそばをすすりながらケイタは考える。

 明日はテング山まで行ってみよう。先生は危ないから行ってはいけないと言っていたけれど、少しくらいなら大丈夫だ。

 ケイタはそう判断してひとり頷いた。



 じわじわと耳が痛いほどにセミが鳴いている。

 ケイタは手の甲で汗を拭って息を吐いた。

 祖父母には虫取りに行くと言って早くから出てきた。山に行くとは言えないから、近所をぐるっと回るとだけ言って。

 遠くの方を見ると地面がゆらゆらと揺らめいているように見えるほどの熱気に、ケイタはまた手の甲で汗を拭う。

 テング山には昔から天狗が出るという噂があると、今朝ちょっとだけ帰ってきた父が言っていた。

 天狗が出るのなら、きっと天狗の花火の噂も嘘ではないのかもしれない。

 そんな小さな希望を胸に、ケイタは一人、人手の入っていない山道を登っていく。

 家を出る前に虫よけスプレーはしたし、被っている帽子の上にオニヤンマのおもちゃもくっつけているから今のところ虫に刺されてはいないが、生い茂った草木が邪魔で歩きにくい。

 じーわじーわ。

 セミの声が頭上から降ってくる。蝉しぐれとはこういうことを言うのだろう。


(天狗ってどこにいるんだろう?)


 当てもなく山道を登ってきたけれど、噂の天狗はどこに行ったら会えるのだろうか。

 ケイタは立ち止まってきょろきょろと辺りを見渡す。

 山は木々が多くて日陰も多い。

 隠れる場所もたくさんありそうだ。

 そもそも天狗というのはどんな姿をしているのかしら。

 父がよく好んで食べているお酒のおつまみのパッケージに描いてあるような、赤い顔に長い鼻の怖い顔をした姿だろうか。

 もっと恐ろしい顔をしていたらどうしよう。

 ケイタは想像して、ぶるりと小さく身体を震わせた。

 再び意味もなく周囲を見渡す。

 誰もいない。

 聞こえるのはセミの声だけ――だけ?


(あれ、セミ……静か……)


 ふと気付く。

 いつの間にか、うるさいほどに鳴いていたはずのセミの声が聞こえなくなっていることに。

 こくり、喉が上下する。口の中が乾いている。

 つぅ、と額から頬に汗が伝った。


「おい、」


 びくりっ。

 ひっ、と小さく声を上げてケイタは飛び上がった。

 震えながら声のした背後に目を向ける。

 ――いつの間に来たのだろう、大きな身体をした中年の男がそこに立っていた。

 ケイタは目を丸くして男を見上げる。

 男はケイタを見下ろして、唇を歪めながら顎を触って首を捻っていた。


「おい、坊主。こんなとこでなにしてる」

「え……あっ」


 そこでようやくケイタは先生に山に立ち入らないようにと注意されていたことを思い出した。

 ここに来るまでも、立ち入り禁止の看板をいくつか見かけた。

 サッとケイタの顔から血の気が引く。

 どうしよう、怒られる。

 目の前の大男は隣のクラスの関谷先生よりも身長がありそうで、身体も横にも大きくがっしりとした体格をしている。きっと声だって大きい。

 ごくりとつばを飲み込んだ音が嫌に耳に響いた。

 男は唇をへの字に曲げてケイタを見下ろしている。


「……ご、ごめんなさい……」


 震える声で、やっとのことでそれだけ唇から零れ落ちた。

 男はきょとりと目を瞬かせる。


「お前、悪いことしたんか」

「……や、山に入っちゃダメって、言われてたのに、入って、ごめん、なさい……」

「ああ、そのことか。まぁ、入っちゃいかんと言われてるのに入るのはよくないな」


 ケイタの視線はゆるゆると下がっていく。

 男の声は大きくはなかったし、怒鳴りつけてくるわけでも、ケイタを咎めるような声色でもなかったが、それでもケイタは男の目を見れなくなっていた。

 頭上では男がううん、と唸っている。


「怪我はないか、坊主」

「……うん」


 その声が優しいことに気付いて、ケイタはそろそろと視線を上げて男を目だけで見上げた。

 それにしても不思議な恰好をした男だ。

 よく見れば顎を触っていない方の手には杖のような棒を持っていて、この気温だというのに白い変わった着物のような服を身に着け、その上に濃い黄色のような色をした上着のようなものを羽織っている。

 足元はわらじのような、ケイタの知る「靴」には見えない履き物を履いているし、腰の辺りには大きな巻貝のようなものがぶら下がっているのが見えた。

 そうっと見上げ直すと、男の頭には黒い小さな変わった帽子のようなものが乗っているのも見えた。

 よく日に灼けた浅黒い肌は健康的で、年は父よりは年上だが祖父よりはずっと年下のように見える。


「――おじさん、だれ?」

「……おじさんじゃない、八郎坊だ」

「はちろーおじさん?」

「……」


 八郎坊と名乗った男はむぅと唸って肩を落とした。

 だがお兄さんと呼ぶには男は年を食っているように見える。

 男ははぁと小さく息を吐いて、腰を屈めてケイタと視線を合わせた。


「坊主はどこから来た。なにしにこんな山奥まで来たんだ」

「……天狗を探しに来たの」

「天狗を?」


 うん、とひとつ頷く。


「昨日の花火大会、おばあちゃんが足痛くって行けなかったの。でもぼく、おばあちゃんに花火見せてあげたくって」

「花火くらい、最近ならあちこちで売ってるんだろう」

「ううん。そうじゃなくって……ドーンって空に上げるやつがいいの」

「空に……ああ、打ち上げ花火か」

「そう、それ。それでね、この山には天狗がいるって聞いたから、おねがいしにきたの」


 おねがい? 男は首を傾げる。

 ケイタはこくりともうひとつ頷く。


「天狗の花火をね、見せてほしいって。この山だったら、ぼくのうちからでも花火見えるだろうから」

「ははあ、なるほど」


 男も頷く。

 男は花火なぁ、と空を見上げた。

 ケイタも釣られて木々の間に見える真っ青な空を見上げた。


「おれいもね、ちゃんと持ってきたんだよ」

「ほう、お礼?」

「うん、ほら! ぼくの一番のとっておき!」


 言いながらケイタはズボンのポケットから手のひらほどの大きさの石を取り出した。

 何年か前の夏、河原で拾った綺麗な石だ。

 表面はツルツルしていて日に翳すとキラキラと光って見える。形は楕円で少し小さなハンバーグのよう。

 光の加減で青くも緑にも見える不思議な石だ。

 本当は誰にも触らせたくはないが、花火を見せてくれるのなら天狗にあげてもいいと思ってお菓子の缶で作った宝箱から持ってきたのだ。


「いい石だな」

「うん!」


 男が素直に褒めてくれたのが嬉しくて、ケイタは両手でぎゅっと石を握りしめた。


「しっかし……坊主みたいな子どもがお礼まで用意してるなら、なぁ」


 男はゆっくりと立ち上がると、ううん、とまた唸っている。

 「おじさん?」と声をかけると「おじさんじゃねぇ」と返しながら男は顎を触った。


「そこまでされたのに返さねぇのは、男じゃねえよなぁ」

「?」


 なにか呟いたと思うと、男は腰にぶら下げていた大きな巻貝のようなものを引っ張って口を付けた。


ぶぉぉぉぉぉぉっ

ぶぉぉぉぉぉぉっ


 ぎょっとしてケイタは耳を塞いだ。

 聞いたこともない大きな音で巻貝のようなものが鳴っている。いや、男が鳴らしている。

 山中にこだまするかと思うほど大きな音が辺りに響く。

 一通り鳴らし終わると、男は満足そうに頷いた。


「坊主」

「……なあに?」

「三日後の夜だ。すぐに用意はできないからな。三日後の夜にこっちの空を見上げておいで」


 パチパチと目を瞬く。

 三日後、とオウムのように繰り返すと、男は大きく頷いて、巻貝のようなものを手放した手でケイタの頭を撫でた。


「さぁ、そろそろ家に帰った方がいい。地盤も緩いから、もう来るんじゃないぞ」


 ゴツゴツとした、でも優しい手がケイタの頭からまぶたの上に降ろされる。


「送ってあげよう。目を瞑っておいで」


 視界が暗くなる。

 じーわじーわ。

 一瞬ののち、突然セミの大きな声が耳を塞いだ。

 ハッとケイタは目を開ける。


「……あれ?」


 パチパチと目を瞬かせ、周囲を見る。

 背後には「[[rb:天津 > あまつ]]」と表札のかかった見覚えしかない家。

 じわじわじわじわとどこかで鳴き続けるセミたちの声。

 カラリと玄関の戸が開いて、祖母が顔を出した。


「あら、ケイちゃん。お帰りなさい。虫、取れた?」


 ――自分の家の前に立っていた。

 きょとん、とケイタは目を瞬かせることしかできない。


「虫……取れなかった」

「残念ねぇ。さ、おうち入って、お昼ごはんにしましょう。おじいちゃんがお素麺茹でてくれてるのよ」

「……うん」


 祖母の背中を追って、ケイタも家に入る。

 ふと手を握ったままだったことを思い出した。


「あれ?」


 握っていた宝物の石がなくなっている。

 どこかに落としたのかと辺りを見渡すが、見当たらない。


――三日後の夜にこっちの空を見上げておいで。


 男の声を思い出す。

 三日後。

 男はそう言った。

 ケイタは釈然としない気持ちのまま、玄関で靴を脱いだ。

 あの男はなんだったのだろう。


(天狗、会えなかったな)


 じーわじーわ。

 セミが鳴き続けていた。



***


 三日後、ケイタは祖父母と一緒に庭に出ていた。

 夏とはいえ八時を回れば辺りはもう暗くなっている。


「ケイちゃん、お外でなにかあるの?」


 首を傾げる祖母にどう説明したものかとケイタは口をもごもごとさせる。

 そんなときだ。


 ひゅるるるるるるるるっ


「あっ」


 声を上げたのはケイタだけだっただろうか。それとも祖父母も一緒だったのだろうか。


 ――ぱぁぁぁんっ


 大きな音を立てて夜空に大輪の花が咲いた。

 方角はまさに、テング山の方向だ。


「あら、まぁ」


 祖母も空を見上げて目を丸くしている。

 その間にも次々と花火は打ち上がる。

 赤、青、黄、緑、紫、白……色とりどりの花が夜空を埋め尽くす。


「わぁ……」


 その夜のことを、きっとケイタはずっと覚えているだろう。

 それほどまでに美しい打ち上げ花火だった。

 ぱぁん、ぱぁん、ぱらぱらぱらぱら……弾ける光が夜空に消えていく。

 形も丸いものばかりではなく、輪っかになっているもの、大輪が弾けたあとにまた小さく弾けるもの、小さな花が同時に咲くもの、変わったものでは赤い火花が鼻の長いお面の形をしているものも打ち上がっていた。

 ケイタも、祖母も、祖父も、予定にない大きな打ち上げ花火にぽかんと口を開けて空を見上げる。


「わぁぁぁ……」


 そして、最後の花が咲き、辺りはしんと静まり返る。

 まるで予定外の花火大会などなかったかのように。

 ふわりと風に乗って火薬のにおい。

 ちりりり、と静かな夜の住宅地に虫の声。


「……す、ごかったねぇ……」

「ええ、本当に。あんなに近くで花火大会なんて、あったかしら」


 祖父も祖母も首を傾げているが、どことなく嬉しそうだ。


「ケイちゃん、花火あること知ってたの?」

「……ううん」


 肯定も否定もできず、ケイタはやっぱり口をもごもごとさせることしかできなかった。

 ビールでも開けてたらよかったなぁ、まぁまぁお酒は減らしたはずでしょう、なんて祖父母が話ながら家の中に入っていく。その後ろ姿は少しだけ名残惜しそうだ。

 ケイタも慌てて二人の背を追う。

 戸に手を掛けたところで、もう一度だけテング山の方向の夜空を見上げた。


「……天狗だったのかな、あのおじさん……」


 小さく呟く。

 だから、あれから宝物の石は見つからなかったのだろうか。

 きっと。

 そうだったらいいな。

 その思いを込めて、ケイタは小さく「ありがとう、はちろーおじさん」と呟いた。

 おじさんじゃない、と男の声が聞こえたようだった。

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