3.花VS美島

 強い風が吹き抜けた。

 ただ立っているだけではその風に身体ごと攫われそうだった。


「綺麗でしょう、ここからの眺めは」

 剥き出しのコンクリートも寒々しいビルの真の最上階、屋上。景色を眺めるために存在する訳ではないこの場所には、換気装置や太いパイプが不格好に点在している。

 その場で対峙するのは闇にも紛れることなく立つ長身の女。だが確かに彼女の言葉どおり、数多の光が瞬く眼下の光景はまるで異なる世界のもののようだった。


「ですが景色を愛でる暇はありません。ここから落ちた方が負けです」

 言葉よりも早く、鋭い蹴りが髪を掠めた。

 後退れば、スニーカーの靴底が砂埃を擦る。

 迫る追撃を再度躱し、花は足場の悪いコンクリートの上を素早く移動した。


「冗談きついね、あんたみたいなでかい女とこんな場所でやり合えって?」 

 言葉を向けても相手は余裕の笑みを見せる。

 幾度も吹き抜ける強風と足場の悪さがどう足掻いても動きを鈍くさせる。しかしそんな場所でも彼女は的確に状況を捉え、流れるように次々攻撃を繰り出す。躱してもまたすぐ次が来る。均等の取れた長身を持つ相手の攻撃一つ一つが重い。まともに食らえば、嫌でも致命的な隙を生むはずだった。


「志摩さんの安否が気になりますか」

「そんなこと、訊かなくても分かっているのでは」

「言われずともあなたはそうすると思いますが、私を負かすことができたらあの青年を追っても構いませんよ。残されたボスの安否など、あなたは気にもしないはずですから」

「そうだね、よく分かってるじゃない」

「ところで話は変わりますが澤村さん、あなたに訊いておきたいことがあるのです」

「何? 言ってみてよ」

「私が敵だと、どこで気づきましたか」 


『真実と私はいつでもお待ちしていますよ』


 あの時のその言葉が頭にずっと引っかかったままだった。

 彼女美島は業務に必要なこと以外話さない。感情的とも言えたあの言葉は、僅かな疑義を継続させるに値していた。

「さあね、女の勘ってやつ?」

 けれど正直に答える義理もなかった。花は適当に返し、目の前を通りすぎる踵に舌を出す。すると相手は微妙とも言える表情を向けてくる。それには訝しさを隠せなかった。


「何? 何か可笑しい?」

「いえ、驚きました。あなたが自分をそう認識しているとは意外で」

「どういう意味?」

「あなたは自身が女であることを憎んでいると思っていました。だから敢えて口にしたことが意外だったのです」

 その言葉に気を取られたつもりはなかったが、同時に繰り出された素早い蹴りが脇腹を掠め、衝撃を食らう。


「……ぐっ」

「動揺しましたか」

 問われても自分でもよく分からなかった。でも僅かでも感情が揺らいだのは確かだった。

 花は美島から距離を取り、頭を強く振って自らをもう一度見据える。

 このままでは相手のペースに乗せられたままだ。目の前のアンドロイド女を倒さなくてはどこにも行けない。負かしたらと彼女は言うが、避けるだけで精一杯で攻撃を当てる余裕もない。

 元々力が強い訳ではない。相手の隙を利用するやり方が得意な自分が、美島のような相手に真っ向から挑むのは無謀でしかない。彼女が動く度に二丁の拳銃が上着の下で揺れる。それに目を留めれば、視線を追った相手が微かに表情を変えた。


「気になりますか」

「あんた、その銃は使わないの?」

「銃は使いません、不公平ですから。でもあなたは隠し持っているそのナイフを使っても構いませんよ」

「言われなくてもそうするよ」

 花は取り出したナイフを構えた。相手は恐らく自分を殺すつもりでいる。だったら自分もそうするだけだ。

 相手を倒しきるのは難しいかもしれないが僅かでも動きを封じられれば、ここから逃げ出せる可能性はある。美島だって同じ人間のはずだ。やってれないことはない。


「私は明らかにあなたより実力が上です。ごめんなさい、許してくださいと言えばここから落とすのだけは許してあげますよ」

「絶対嫌だね」

「そう言うと思いました」

 相手の言葉に花は即答した。彼女の言葉には裏がある。彼女は単にと言っただけだ。


 相手の手が素早く肩を掴もうとするが、ぎりぎりで躱す。

 美島に捕まれば終わりだ。ここから落とされ、自分は真下の堅いコンクリートと永遠の結合を果たす。その絶望まみれの想像の代わりに、閃かせたナイフで相手の手首を切りつける。

 だが血が散っても、彼女は気にも留めない。どんな状況にあっても美島は軽やかに動き、硬い筋肉で覆われた脚で蹴りを繰り出す。

 ヒールの高い靴の底が何度も鳴る。攻撃の間合いに立たなくてならないが、それでは彼女に近づきすぎることになる。相手の周りをちょろちょろと逃げ回るだけの、まるで鼠のような自分に苛立っていく。


『とっくに殺されている頃でしょう』

 ふと蘇ったその言葉に身体が震えた。

 それを信じたくはないが、その言葉を平然と言い退けた彼女の赤い唇を思い出せば心が乱れる。

「余計なことを考えてる余裕、ありますか」

 そう言って突き出された掌を避けられずに、バランスを崩す。

「寝てると終わりますよ」

 尻をついた身体に肘が落ちてきた。

 咄嗟に転がって避けるが、鋭く切り替えられた次の攻撃、落下する踵が続く。


「……あんた、やっぱりアンドロイドなんじゃないの?」

「そうかもしれないですね」

 こちらを見下ろす表情は見えない。

 揶揄に答えた相手の脚を切りつけようとするが、その前に腕を取られ、身体ごと引っ張り上げられる。まだ自由な足で蹴り倒そうと試みるが掴まれた腕を締め上げられ、思わずナイフを手放す。


「先程あなたのことが嫌いだと言いましたが、特に嫌いな所がひとつ」

 美島はパーカーの襟首を掴み取ると、軽い荷物でも運ぶように屋上を歩き始めた。どうにか抵抗しようと試みるがそれも虚しく、両脚を引き摺られるだけの身体は術もなく屋上の端へと連れられていく。


「それは私かと思ったのですが、違ってました」

 柵もない屋上の縁に立った美島は、襟首を掴んだ腕を突き出した。彼女は腕一本で襟刳りを掴み取り、その身体を支えている。為す術のない敗者の身体は風に揺れ、爪先は頼りなくコンクリートの縁を擦る。強風吹き抜ける中、対峙する相手は静かにゆっくりと言葉を繋げた。


「残念ながらあなた、ボスの若い頃にそっくりですよ」

「マジ……それ、ちょっと冗談きつくない……?」

 最後の呟きが相手に届いたかどうかは分からない。手の力が次第に抜き去られていくのを、花は自分を見下ろす暗い夜空の下で感じていた。

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