9.終わりの地に辿りついて

1.五十五階

 そのビルは夜空にそびえ、いつもと変わらず街の中心で全てを見下ろしていた。


「で? ここ何?」

「ハルと私の雇い主がいる。ハルはあんたと別れた後にここに来たはずなんだよ」

「へぇー、雇い主がこんな所に? マジでそれすげーなぁ……」

 秦太朗は言いながら明かりに屯う虫のようにエントランスに向かおうとする。

「違う、秦太朗、こっち」

 浮かれたその後ろ姿を呼び止めて、花は地下駐車場の入り口に向かった。スロープを降りた先にある地下駐車場は日曜深夜のこともあって、停められた車両も疎らだった。高級車ばかりが目立つその中にある型の古い車はすぐ見つかった。


「あっ、秦太朗! ちょっと!」

 慎重に近づこうと考えていたが、車を目にした秦太朗が勝手に駆け出していた。車まで辿り着くと迷いもなくドアを開け、声を上げた。

「あれ? キー、刺さったまんまなんだけど!」

 確かめてみると言われたとおりだった。美島の話によるとハルは正午過ぎにはここを出たはずだ。ボスから仕事を請けて任務に不必要な車を置いていった可能性もまだ残るが、鍵をつけたままの不用心さが彼らしくなかった。


「おい花、今度はどこに行くんだよ?」

 花はエントランスに続く階段を駆け上がった。ロビーを横切るとエレベーターに乗り込み、いつもの階数を押す。遠くなる眼下の景色は昼間とは違って見えた。でもそれは錯覚でしかなく、ここはいつもの場所で自分はいつもの場所にしかいなかった。

「うわー、マジでこの景色すげーなぁ。ほらー、花も見てみろよ」

 夜景に騒ぐ秦太朗をよそに、花はエレベーター内に取り付けられた監視カメラを見上げた。

 自分がここにいることは既に伝わっているはずだった。今後はあちらがどう出るかを見極め、それに的確に対応していかなくてはならなかった。

「着いたけど……誰もいないな……」

 エレーベーターはじきに四十九階に到着したが、フロアに人の姿は見えなかった。耳に届くのはきょろきょろと辺りを見回す秦太朗の声と空調の音だけで、周囲は静まり返っている。


「うわっ! な、なんだよ、花……」

「しっ。黙って」

 相手の肩を掴み取って、花は傍の衝立の陰に身を隠した。

 再奥にある部屋の扉が開き始めていた。

 扉向こうから姿を現したのは美島だった。

「うわ。すんげー美人」

 彼女は優雅な足取りでエレベーターホールまでやって来ると、今自分達が乗ってきたものとは別のエレベーターの前に立つ。手慣れた様子で壁のパネルを操作し、中に乗り込む。彼女の姿が閉じていく扉の向こう側に消えるのを待って、花はエレベーターに歩み寄った。


「なぁ花、今のでっけー超絶美女、お前、知り合い?」

 美島が乗ったエレベーターは最上階の五十五階で止まった。

 花は今美島が使ったこのエレベーターには乗ったことがなかった。と言うより今いる四十九階より上階に行ったことがなかった。

 このビルは五十階から上、最上階の五十五階までは居住スペースになっている。これらの階に行くには居住者の許可が必要で、勝手に忍び込もうとしてもセキュリティに弾かれる。行くには美島のようにパネル操作が必要だが、部外者である自分にはその手段は使えない。

 別の手立てがないか考えていると、エレベーターの扉が静かに開き始めた。軽い足取りで秦太朗が乗り込み、中から平然とした顔で手招きしていた。


「ほら、花も早く乗れよ」

「乗れよって、一体何をどうやったら扉が?」

「へ? 別に珍しいことはなんもしてねーけど。単に〝開く〟のボタンを押しただけ」

 問うと当然と言わんばかりの答えが返る。だが他の手段を使ったとは思えず、言葉どおりボタンに触れてみた結果であるようだった。

「乗らないのかよ、花」

 秦太朗が再度呼びかけている。花はエレベーターに乗る前に一度足を止めて相手を見据えた。

「あのさ秦太朗、最後に訊くけど本当にこの先もずっとついてくるつもり?」

「ああ、もちろんそのつもりだけど」

「この先どうなるか分からないし、どうなったって知らないよ」

「……どうなってもいい、とは思ってないけど、多分どうかなんなきゃオレに潮里は見つけられない」

「そう……それなら分かったよ。もう何も言わない。だけどこの先私の足だけは引っ張んないでよ」

「あのさぁ、んなにオレのこと邪険にすんなよ、花。オレだって役に立つことはあるよ、多分だけど」


 相手はそう言ってへらっと笑う。その言葉の軽さに一抹の不安を覚えたが、花はそれを振り切ってエレベーターに乗り込んだ。

 内部のパネルを見遣ると、セキュリティ解除のランプがこれから起こることを示唆するように赤く点滅している。ここに着いてからの出来事が、全て何者かにいざなわれているようも感じる。でももう足を止めるつもりはなかった。

 上昇するエレベーターは間もなく五十五階に到着し、扉が開いていく。一歩進めば、その先にあるのはフロア全てを贅沢に使用したプライベート空間だった。

 厳選された家具や本物の美術品が並び、床には一般大衆車より遙かに高額な絨毯が敷き詰められている。

 窓からはこの街一番の高所から見下ろせる夜景が望めた。ここはこの街の選ばれた者だけが住まう特別な場所だった。


「……お前達、一体どうやってここまで上がってきたんだ……?」

 そこにいたのは三人。

 そのうちの一人、塚地が驚きの表情でこちらを見る。

「私がセキュリティを解除しましたので」

 彼の問いには美島が無機質な声で答える。

「もがふがふが」

 そこに割って入るように意味不明の呻きを零すのは傍らの椅子に縛りつけられ、猿轡をされたボス。

「……えーっと、これってどういう感じ?」

 それらを前にして、秦太朗が困惑の声を上げる。

 花はそれに応えることなく、解りかけた何かを感じていた。

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