6.想定外の連れ合い
そこはただの塞がらない疵口だ。
背後の詰めた息と身体が離れたことを知って、花はその場から抜け出した。
「お、おい、待てよ……」
慌ててジーンズを引き上げる相手の方は見ずに手早く服を着て、さっさと部屋を出る。
夜道を歩きながら、次に向かう場所は決めていた。
回り道などせず最初からその場所に向かえばよかったと今は思っていた。
「待てって。おい、待てよ! 花」
「うるさいな、まだ私に何か用?」
「どこに行くんだよ」
「さっきも言った。ハルを捜しに行く」
「それはまぁ、分かってるけど……つーかお前……オレと寝たばっかなのにもう他の男の話かよ?」
「……何それ?」
足を止めて花は振り返った。
呼び止める声に仕方なく反応したが、そんなくだらないことを言われるくらいなら無視すればよかったと思う。呆れた視線を受けて相手はバツが悪そうに目を逸らすが、こちらの意図が通じているにも拘わらず、ぼそぼそと口を開いて更に眉を顰めさせることになる。
「……なぁオレも志摩さん捜すの手伝うよ」
「別にいらない」
「いらないって……そう言われてもこのままお前と別れたらオレ、なんだかアレだし……」
「別にもういいって言ってる。それとも私にまだ何か用? あんた私から取れるものもう取ったじゃない」
「取れるもん取ったって、そんな言い方……なぁお前にとってはそんな感じなのかよ?」
「他に言いようがない」
「ホント……マジで冷てぇな、お前……さっきのは確かになりゆきだったかもしれないけど、こういうのってもっとこう、感情が動くっていうかもっと深い所でっていうか……勢いでヤッちまったオレが言うのも何だけど、そこにある感情だとか愛情だとか……なんかこうもっと……」
相手はどうにか思いを伝えようと身振り手振りで奮闘している。しかし花はその様子を冷めた目で見返した。どう表現されようと相手の言う〝それ〟は、自分の理解の向こう側にある。否定とか、そういうのではなかった。単にものの考え方に接点がない。故に耳を傾けても、いつまでも意味を為さないこの議論に必要性はなかった。
「もう説明しなくていいよ。私に伝えようとしても無駄だから。私はそういう感情からあの行為をする人の気持ちが分からない」
「へ?」
「そこで全部終わる。そっちが言う愛情だとかいうものとの繋がりが持てずに、全く別の感情しか感じない」
「えーと……それってどういう……」
「今ので伝わらなかった? じゃ、もっと分かり易く言おうか? つまりは自分の誘いに乗って簡単に寝るような相手の言葉は一番信用しないことにしてる」
「……!」
花は言葉を失った相手に背を向けて歩き出した。
相手のその表情も、今夜あのアパートの一室で起こったことも、これから向かう場所には必要ない。相手の言う繋がりなど自分の中にはあり得ず、今後も感情は平行線を辿り続ける。それは永遠に交わることもない。
後を追う足音はもう聞こえてこなかった。再び必要のない言葉を並べ立てなくてもいいことには軽い安堵を覚えるが、なぜか平行して寂しさの欠片のようなものが過ぎった。
「おい、花! 待てよ!」
その大声が再度背後で響いた。相手の諦めの悪さにうんざりしながらも足を止めて振り返れば、闇の向こうで言葉が続いた。
「ああ、もう分かった、もう分かったよ! だったらオレのことはもう信用しなくていい! 全然構わねぇ! でもオレのことは連れてけよ!」
言い放った相手は勢いよく駆け寄ってくると、息を切らして目の前に立ちはだかった。
「分かったかよ?」
「分かったかよって、言ってる意味が全然分からない」
「そんなことはクソどうでもいい! 細かいことは言うな!」
「どうでもよくないし、細かいことは言うよ!」
「それじゃあお前に訊くよ。寝た相手を信用しないってさっき言ったけど、志摩さんはどうなんだよ?」
「ハルとはそんなんじゃない」
「そっか! だったらオレだって、お前らと一緒じゃなきゃ潮里を捜せねぇんだよ!」
届いた言葉には今度は花が絶句する番だった。
相手の言い分は滅茶苦茶だった。これは多分説得と言うより力業で現状をどうにかしようとしている。馬鹿認定したのは確かに自分だったが、こんな馬鹿な反論をされるとは思ってもいなかった。呆れた思いで暗い歩道に立っていると、相手がぼそりと呟いた。
「オレだってもう訳分かんないんだよ……だからもう別にいいじゃん。元から馬鹿なんだからしょーがねぇ。だけどこんな馬鹿でも使い道はきっとある。だから連れてけよ、花……」
夜道に生温かく、薄ぼんやりした風が吹いた。
反論の言葉は思いつかず、理由の分からない苛立ちにも似た妙な感情が心の襞に入り込んだ。
「もう勝手にすればいい」
その思いを言葉にして吐き出せば、
「ああ勝手にするさ」
と返る。
歩き始めれば相手も後を追った。
並んで歩く隣の横顔を見上げれば、いつもと違う表情が垣間見えた気がした。
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