2.最悪の出会い

 顔洗ってくる、と言って志摩はバスルームに消えた。

 秦太朗はテレビのワイドショーが流れるリビングに残され、これからどうするべきか考えていた。


 ちらりと見たソファには、ハンバーガーに遠慮もなくかぶりつく姿がある。

 着古したTシャツにトランクス姿、その顔はもちろん覚えがある。

 あの晩、志摩と一緒にいた澤村という少年。あの時は女みたいな奴だとそんな印象を即座に抱いたが、両刃のナイフのような気配に志摩同様舐めてかかってはいけない相手だと感じていた。しかし今ここにある姿は、あの晩とは違って見える。男にしては臑毛もない脚、白く華奢な腕、よくよく見れば微かに胸も膨らんでいるような気もしてくる……。


「何見てんの?」

 無遠慮に眺められていると察知したのか、相手の咎めるような声が届いた。だがその声に違和感を覚える。それは先程も感じたが、その違和感をどう表現したらいいか分からない。とりあえずと思った。

「オレは別に何も……」

「別に見るくらい構わないけど。ところであなたは誰?」

「は? 誰って……前にも一度会ったろ、オレの部屋で。秦太朗だよ、本庄秦太朗」

「……秦太朗? ふーん、へーぇ」


 あの日の出会いはなかなか衝撃的と思っていたのに、忘れられていたのはショックだった。その上微妙なリアクションのあまりにも興味がなさそうな相槌に落胆する。

 一度会っただけの相手に多大な好感を持っていた訳でもなかったが、些か上から目線にも感じる態度には、もやもやしたものも残る。けれど先程の違和感の正体にも行き当たっていた。この推測が正しいなら、初対面のように見られたのにも納得がいく。


「あのさ、訊いてみるけどお前もしかして……女?」

「そうだけど」

「マジか……」

「何? 疑ってる? 何なら脱いでみようか?」

「べっ、別にそこまでしなくてもいいっつーの! そこまで疑ってる訳でもないし!」

 指先についたフライドポテトの塩を舐めて、相手は何でもないことのようにTシャツを脱ごうとする。それを慌てて制止して質問を続けた。


「んで、お前ら双子……なのか……?」

「そうだよ。アホそうな顔してるのに察しがよくて助かったよ」

 届いた返事を聞いて、こちらの推測は正しかったと確認できた。あの夜の少年と今ここにいる相手、二人は別人。しかし確認できたのはよかったが、最後の言葉にカチンときた。

 初対面であるのは向こうも同じはずだ。それなのにどうして出会ったばかりの相手にアホなどと悪態をつかれなければならないのか。当然の流れでムカつきを感じて、相手を睨めつけるついでにコーラを寸前で横取りして躙り寄った。


「は? アホそう? あのな、まず言っておくが、オレとお前は今日が初対面だからな。その辺りのことをよーく考えて発言しろ。あと、オレの方が歳上だ。それを踏まえてもうちょっと口の利き方を……」

「あー、なんかそう言ってる顔が益々アホっぽい」

「はぁっ?!」

「うん、やっぱり間違いなくアホっぽい」

「あのなぁ! 何度も何度も人のことをアホって言うな! 大体人にアホって言う奴が、アホなんです!」

「うん、更にアホ度が増すね」

「ああっ、クソっ! もういいから黙ってろ、ガキ!」


 遠慮の欠片もない相手の言葉が迷わず飛ぶ。

 口も悪いから気をつけろ。

 志摩の忠告が蘇るが、確かに悪すぎる。

 怒鳴ると相手は黙ったが、別にこちらの剣幕に怯えた訳でもなかった。再びむさぼり始めたハンバーガーを消費するのに忙しいからのようだった。


 憮然とした表情でソファに座り直し、秦太朗は腹の中に言いようのない感情を抱えていた。

 確かに相手の言うとおり、自分は頭がよくない。その自覚はちゃんとある。

 顔には少々自信があるが、それを除けば学もなく金もない。アホと言われても仕方がないのも分かっているが、だからとこんなにアホアホ言われる謂れはあるはずもなかった。 

 自分も決して行儀がいい方ではなく、人にどうこう言える立場でもない。だがこの相手の顔に似合わない悪態振りは、流石に癇に触ってもいいはずだった。


「ねぇ……」

 不意にその呼びかけが届いた。

 しかし秦太朗は相手の顔も見ずに、当然無視した。

 今更猫撫で声を出されても、本当に今更でしかなかった。大体自分はこんな相手に関わっている暇はない。自分の目的は潮里を捜すこと。志摩以外の外野に関わっても、利用価値は浮かばない。志摩とは深い関係にあるようだが、この相手にまで下手に出る必要はなかった。色々思考を巡らせていると先程のムカつきが沸々と蘇ってきた。


「……私はガキじゃないよ」

 けれど突然相手の指先が腕に触れ、思わず気を取られた。

 耳元を擽ったその声に油断した拍子に軽く胸を押され、気づけば天井と相手の顔に見下ろされていた。


「花、私の名前は花」

「は、花……?」

「そう、花」


 突然の展開に動揺が先立って、為す術もなかった。

 ソファに他愛もなく押し倒され、馬乗りになった相手が静かに名乗る。

 相手の手がためらいもなく服の中に潜り込み、慣れた指が腹筋を辿る。抵抗もせずに呆けていると更に浸食は深まった。

 動揺、困惑、戸惑い。それらを感じながらも、相手のペースに流されていた。

 迫る整った顔につい見とれ、冷たい指先に肌が粟立った。

 冷ややかな下肢が、こちらの両脚を跨いで掠る。

 これまで出会った女の子達にはない、妖しげな気配に取り憑かれる。最初は男だと思っていたのに、急激に女にしか見えなくなってくる。

 意識が下半身に集中していくのが分かったが、自分の中にいるもう一人の自分が強く警告していた。


 これは近づいたらいけない女だ。いや、

 しかもこいつは志摩さんの女じゃねぇ? 

 それにオレには大事にしたい相手がいる!


「だ、駄目だ! オレには潮里がっ! って、痛てえ!!」

「あははははははははは」

 衝撃にも似た激痛に我に返ると、正面には高笑う相手の顔がある。

 その手には頬から一気に剥がされた絆創膏の残骸があった。

「見て、すごくきれいに剥がれた」

「はあっ?」

「でもまだ治ってないみたいだから、戻しておいてあげるよ」

 にっと笑う相手が、呆然とする顔に再びそれを貼りつける。

 びたっ、と来た痛みに再々度もやもやしたものが湧き上がった。


 金もなく学もなく、行儀も決していい方じゃない。

 でもこんな自分にもそれは分かる。

 なんだ、こいつ? この女。

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